琴富士孝也。
幕内優勝を飾るなど、1990年前後に長らく関取として活躍。
力士時代に得た名誉と栄誉、引退後に味わった苦労と辛酸。
病に冒される現在を掻い摘んでお伝えする。
琴富士は幕内優勝経験者だ。1991年7月場所のこと。
状況としては、前場所に千代の富士が引退、さらにこの名古屋場所途中に横綱・大乃国が引退するなど混迷の中、琴富士は初日から13連勝し、横綱・旭富士に加え、小錦・霧島の両大関も撃破。13日目に見事平幕優勝を果たした。
翌場所、小結へと番付を一気に上げるも4勝11敗と大きく負け越し、琴富士にとってこれが最後の三役で過ごした場所となる。
その後は一進一退を続け、1994年11月場所には十両へ陥落、1995年9月場所中、幕下陥落が濃厚となったため現役を引退した。
引退後は年寄・粂川を襲名。佐渡ヶ嶽の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、琴稲妻の引退に伴い、年寄・粂川を返上。1999年7月場所限りで相撲協会を退職。
退職後はタレントへ転向。元大関の小錦が経営する株式会社KPに所属し、現役時代からフジテレビの部屋別対抗歌合戦などで披露するユーモラスなキャラクターを活かして活動した。
タレントとしての仕事が減り始めたころ、当時の大嶽(貴闘力)から電話で「うちの部屋に来ませんか」と誘われ、部屋を提供されてともに暮らしたという。しかし、2010年にその後、琴富士が定職につけずにいるところ、再び貴闘力から連絡があったという。貴闘力が経営する焼肉店の中国進出にあたり、上海に渡った。しかし中国人スタッフから「貴闘力氏は店を辞めた」と告げられ、それから言葉が不慣れな環境で1年働いていたが自らも辞めて帰国している。次第に琴富士の生活は荒れ始め、離婚もしたという。
~転げ落ちる転落人生、逮捕・病気~
2014年2月、偽装結婚の疑いで逮捕。
同年5月、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑懲役1年6ヶ月)の判決を東京地方裁判所から言い渡された。
釈放後、国内を転々とし、工事現場や飲食店などで働いて食いつないだ。
神戸市内での家賃5万円で6畳のアパート生活が公開され、冷蔵庫も無く、1日に50円のインスタントラーメン2袋という極貧生活を送っていたという。
2021年2月、YouTube琴富士チャンネルで入院することを公表。
1月に検査入院をした結果、虚血性心疾患と慢性腎臓病の診断を受けた。
こんなこともあったそうだ。
一過性脳虚血発作で救急搬送。8時間にも及ぶ大手術を受けるは成功したが、麻酔が覚めないため検査したところ、脳梗塞が発覚。そのため、頭蓋骨の一部を取り外し「減圧開頭術」という手術を受けて奇跡的に助かったという。
現在は寝たきりの状態で、右半身麻痺が残っているそうだ。意識はあり、顔の表情や左手の動作で意思表示を伝えるのだという。
(失礼ながら)随分と浮き沈み・山谷の多い人生を(特に)相撲協会退職後は送っていたようである。
どう言葉をつないだらいいのかわからない。
可能な限り、健康と平凡な毎日が取り戻せますように。
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