続・育盛物語

 ありふれた言い方だが月日・歳月が経つのは早いものである。
異色・珍名力士の育盛が去って相撲界を早や9年が経った。
当ブログでこの育盛を取り上げてから、1年以上が経つ。

(皆様のおかげで)この投稿はコツコツと着々とアクセスを集めている。
ありがとうございます。

そうこうしているうちに、YouTubeを見ていたら更新されていた、育盛の近況を伝える動画が。
聞けば半年ぶりの更新で、この間は大なり小なり鬱状態が続いていたそうだ。
現状では「食事が難しい」とのこと。
食べれる時は食べれるけど、食べれない(ひどい時)には戻してしまうこともあるとか。
鬱って、想像できなくて難しい。
体重も10㎏以上も以前より減ってしまったとのこと(60㎏弱)と、元相撲取りを感じさせない現状だ(元々、相撲をやるには)軽量すぎたが。

今後についても語ってくれた。
・(なるべく)動画の投稿頻度を増やすこと。
・今までは(複数本の動画を)限定公開だったのを元通りに公開していくつもり。
など語っていた。

一角度(いちかくど)からひたすらに元・育盛が映し出され、ある種声明のような動画ではあったが、育盛こと田井 雅人が元気そうにやっていることだけは確認できた。

珍名四股名を名乗ったがゆえに、ここまでスポットを浴び続けるのも「育盛」こと田井雅人の運命か。

育盛は今月8日で27歳を迎える。
彼の今後の人生・道のりは誰にもわからない。

相撲シーズン到来だ↓↓↓




竹葉山、師匠として

 12代宮城野こと竹葉山真邦。
失礼だが、力士として現役時代はそんなに大成したわけではないが、引退後に年寄宮城野を襲名して後の白鵬 翔ことモンゴル出身 ムンフバト・ダヴァジャルガル少年との出会いが相撲人としての竹葉山の人生(立ち位置や存在感)を大きく変えた。

入門当時身長175cm、体重68kgしかなかった白鵬だが、大きな手足と腰、柔らかい筋肉を見るに、もしかしたら化けるかもと思い、入門してからの2ヶ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ牛乳を飲ませ続けたり、当時部屋の経営に余裕がなかったにもかかわらず白鵬の口に合う鹿や羊の肉をわざわざ予算を割いて調達したという。

当時の面影が甦る↓↓↓

こうして、竹葉山の白鵬に対する環境作り・バックアップ体制と本人(白鵬)の並はずれた努力と血と汗と涙の結晶・積み重ねが調和し、「大横綱」の称号を手元に引き寄せることになる。

しかしその反動と言ってはなんだが、20代で数多くの栄光を手にした白鵬は(どこまで本人の自覚があったかわからないが)力士として人として徐々に「肥大化」していったのは否めない事実だと思う。
当時、話題になった横綱としてあまり相応しくない行為として挙げられるものとして
・(立ち合い時の)かちあげ
・(立ち合いや取組中の常軌を逸した)張り手(ビンタ)
・(肘に着用していた)サポーター疑惑(何か入っているのでは?)などと言われた。

そしてここまで(白鵬が横綱として)いろんな記録・実績を打ち立てると
「師匠」と「弟子」の肩書・言葉の持つ意味が段々と薄らいできた印象が少なからずあった。
「師匠」の最高位は前頭13枚目
「弟子」は横綱を張っていたのだから。

「師匠」としての「弟子」白鵬に対する舵取りやコントロールは(当時)自然と難しくなっていったのではないかと勝手に推察するが。
亡くなった朝潮が、朝青龍の扱いに苦労していたように。

話が横道に逸れた。
時の少年(後の)白鵬が縁あって入門したのは、竹葉山が師匠の宮城野部屋。
(白鵬が)冨と栄光を築いたのも宮城野部屋。
竹葉山は白鵬を育てるのにこれ以上ない労力を注ぎ込み、大横綱に育て上げ「名伯楽」と呼ばれるまでになった。

竹葉山は、弱小だった宮城野部屋を一大勢力にまでになる基盤を作り上げ、更なる栄光への架け橋を白鵬へ受け継いだ大人物である。

宮城野部屋の歴史の証人です↓↓↓

照強が霞んでいく

 新番付では東幕下17枚目、照強翔輝が遠く霞んでいく印象である。
幕下陥落後5場所が経つ現在地だ。
「あの豪快な塩まきは」
「得意の足取りは」
華やかな関取の座からすべり落ち、以前ほどのスポットが当たらなくなった今、存在感が場所ごとに薄らいでいるのも現実だ。

ちょうど1年前、去年の11月場所に東前頭16枚目で15戦全敗を記録した時は(あの板井以来の31年ぶりの記録)元々抱えていた両膝の故障に加え、糖尿病も患っていたらしいですね。場所中は血糖値が400まで上昇し、インスリンを服用しても数値が下がらなかったとか・・・。これで15連敗した理由に合点しました。
力士に膝のケガはつきものですが、糖尿病でしかも血糖値がこれだけ上昇してしまうと、その場所の不調以上に力士生命にも影響を少なからず及ぼすのでしょうか。

「糖尿病」で追いかければ、隆の里や千代大龍、若嶋津なんかもこの病気で苦しみましたかねぇ。

照強は「まだ」28歳。
モチベーション・気持ちを切らさず、まだやってほしい!
出来るはずだ!

照強の四股名の由来は何だ!自身の兵庫県南あわじ市出身にならって
阪神・淡路大震災の時の「強くなって被災した地元を照らせるように」じゃないのか!

ファンとして、あなたのこの相撲っぷりを思い出す。

あと、これは行き過ぎだと思うが、大量塩まきからの。

照強に奮起を促す!

あなたの復活を祈念して↓↓↓

3代・朝潮の人物像

 3代・朝潮太郎。
現在の高砂から数えて3人ほど前の高砂(5代)であり、元横綱である(46代)
今日の投稿は親方としての3代・朝潮にスポットを当てる。怖くて厳しい親方だったらしいが一方で人情味あふれる数々のエピソードを紹介する。

4代・朝潮(長岡)編

・なかなか思うように大関昇進基準の星を挙げられず、大関獲りまで時間のかかった朝潮(長岡)に対して「朝潮という四股名をやったのは大失敗。黒潮にしておけばよかった」と嘆いたが、その末に昇進を果たした。
・大関昇進後も5代高砂(元横綱・朝潮)から稽古中に当たり前のように竹刀で叩かれていた。

双羽黒=北尾光司編

・この3代・朝潮の葬儀には廃業していた双羽黒が出席した。双羽黒が(事実上の)破門された経緯からこの出来事は意外だが、双羽黒曰く「事件の際、今迄お世話になった高砂親方に大変迷惑を掛けてしまい、深く責任を感じていた」とのことである。

小錦 八十吉編

3代・朝潮が死去した際、弟子の小錦は「みんなは俺のことをガイジン、ガイジンって言ったけど、親方は言わなかった。俺も体を切ったら赤い血が出る。お前も赤い血が出る。おんなじだよと言ってくれた」と泣いていた。

3代・朝潮太郎
総じて言えば、相撲・稽古には人一倍厳しく、とっても優しくて寛大な器の大きい方だったのか。ユーモアが利いて。
愛称(ニックネーム)のひとつとして「ケガニ」とあった。

1950年代が蘇ります↓↓↓

高田川師匠の評判と3代目・若乃花のエピソード

 昨日・おとといと2日連続で(相撲の)トークライブに出掛けてきました。
順におとといは埼玉県草加、昨日は東京・池袋と。

そこで記憶、印象に残った話題・ネタを紹介します。

25日の草加にて
いろんな忘れられないネタがありましたが、高田川親方の寛大さってところですかね。
アメとムチの使い分けが絶妙らしいんです!

所属力士全員に分け隔てなく声を掛ける。
⇈簡単にできることではないです。
「いいよ、いいよ」「絶対にこれを続ければ上に行けるよ!」「自信持ちなよ」
などなど、プラスに前向きな声掛けが次々に出てくるらしいんですよ。
かなりキツいことを言っても、必ずどこかでフォローがあるらしい(当然と言えば当然ですが)

(全員ではありませんが)中卒力士が多いのもこの部屋の特徴。親方なりのこだわりがあるみたいで。

親方の現役時代(殊勲インタビューなど)そこだけを取ると、不愛想・仏頂面(極端なまでの)無口など良い印象があまりなかったのですが、わからないものですね。

埼玉・草加にある居酒屋・闘勝花。気さくでおしゃべり大好きな元力士の店主が営む楽しいお店でした。

お店の情報です↓↓↓

https://tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11033952/

26日・池袋編
「豊ノ島の部屋」と題したトークライブ。

豊ノ島とゲスト、3代目・若乃花でのやり取りの中で一番印象に残った(楽しい)話題は
(20年以上経ったから言えるが)若乃花が横綱在位時に7勝8敗で負け越した時のエピソード。
若乃花は当時の師匠(父でもある)貴ノ花に「引退します!」と即刻、その旨を伝えたが、師匠は「まだやるよな、まだやるよな」と3~4時間かけて強引にねじ伏せられたらしい(引退撤回をさせられた)とかで、千秋楽の打ち上げパーティーをやっているというのにそこを抜け出して、当時の理事長だった時津風理事長に2人で「現役続行」の意志を伝えに行った・・・の逸話があったそうだ(笑)

あと、現役の頃の若乃花は立ち合いの「待った」が比較的多かったが、そこで怒鳴りつける感じの鏡山審判(元横綱・柏戸)の注意は何を言っていたのかさっぱりわからなかったとのこと。会場がドッとウケてましたね。

NHKの中継画面でも、よくブチ切れた鏡山(柏戸)の姿は映し出されてましたが・・・(笑)

来年のカレンダーはいかがでしょうか↓↓↓