次代の押尾川を担うのは

 押尾川部屋(師匠・元関脇豪風)の現在所属力士数は7名。
基本的に師匠の現役時代の四股名よろしく「風」がつく力士がほとんどである。
部屋頭は風賢央(かぜけんおう・西幕下13枚目)
続いて、矢後(やご・西幕下17枚目、幕内経験者)
この2トップが、部屋を引っ張っている存在だ。

上述した風賢央は、押尾川部屋の「米びつ」とも言える次世代を託せる存在であろう。部屋の期待も大きい。

風賢央 厳太(かぜけんおう げんた)

1999年6月4日生まれの24歳(なったばかり) 
愛媛県西予市出身。
小5から相撲を始め、高校大学時代には全国大会における輝かしい実績を数々収めた。

(元豪風師匠の)押尾川部屋創設以来初めての新弟子。
2022年3月、風賢央の四股名で初土俵。
「風」師匠の現役時代の四股名
「賢」高校時代の恩師の名
「央」母校・中央大学に由来

翌5月場所、6勝1敗で決定戦を勝ち抜き、いきなりの序ノ口優勝。
この場所を含めた5場所連続6勝1敗を続け、番付を大幅に上げてきた。
今年3月場所・西幕下16枚目で4勝3敗
  5月場所・西幕下13枚目で5勝2敗
来場所はどの辺りに番付されるのか。

強い立ち合い(当たり)からの押し相撲を信条とする。
夏場所14日目の峰刃(錣山)戦なんかその理想がばっちり当てはまったいい相撲でした。

若さと勢いで関取の座を掴み取り、新生・押尾川部屋の広告塔的存在になってほしい。

押尾川部屋ツイッターより

押尾川部屋のれんです。




尾車部屋発・豪風行き3力士の現在地

 年寄・押尾川、現在は元関脇・豪風が所有していて、去年(2022年)2月に独立。

同じく昨年4月に墨田区文花に新築した部屋も完成し、豪風の代になってからは、まだ産声を上げたばかりの部屋である。

それに伴い、豪風が現役時代に所属していた尾車部屋の師匠(元大関・琴風)の停年も重なり、矢後天風飛燕力の3力士も移籍・転属してきた。

矢後と天風は元幕内、飛燕力は最高位幕下29枚目ながら、40歳。149場所を戦い抜いてきた大ベテラン。

今場所は、どの辺りに番付されているのかなと調べてみた。
各力士の最初(左側)に書いたのが、今場所(最新)の番付である。

矢後 太規(やご たかのり)

西幕下17枚目 最高位・西前頭10枚目。


アマチュア横綱のタイトルを手に、同じ中央大学出身の豪風(現・師匠)が所属している尾車部屋に入門(2017年5月場所・幕下15枚目格付出)




同年9月場所、3場所目で新十両。2場所で幕下へ逆戻りとなったが、その場所で(東幕下筆頭)5勝2敗と勝ち越し、1場所で十両へ復帰。

そこから丸2年、13場所に渡って関取の座を維持してきたが、やはり膝のけがに苦しんだようである(これ溯ると中学時代に両膝の靱帯、左半月板を痛めた過去があるらしい)
2021年から現在までは十両9場所、幕下5場所を務めた。

ゲン直しで飲みに行ってストレスを発散するようなタイプではなく「冗談のひとつも言わない堅物」とのこと。

今年初場所千秋楽、宮城野部屋のホープ川副と対戦した動画がある。

矢後太規28歳、本領発揮はまだこれからだと見ている。

天風 健人(あまかぜ けんと)

東三段目26枚目 最高位・東前頭13枚目。
香川県仲多度郡琴平町出身。

小学校入学前から柔道を始め、数々の実績を上げる。
中学2年次には四国中学総体で優勝したことで尾車部屋関係者の目に留まり、師匠(元大関・琴風)が自らスカウトしに赴いた。

入門後、長い下積みにも挫けず8年かけて新十両。
その場所で10勝を上げ、十両優勝を争う活躍を見せた。

2016年7月場所では、初日から5連勝。その後も連敗することなく白星を積み重ね、14日目に臥牙丸に勝って12勝目をあげ、初の十両優勝が決定。最終成績は13勝2敗。

翌場所、新入幕を遂げるが5勝10敗で負け越した。現在、天風の幕内在位はこの1場所のみである。ここから負け越しが続き、2018年5月場所に幕下に陥落。
その後、右膝の関節が外れるという大けがの影響で2018年9月場所から3場所連続で全休した。

愛称として、本名(下の名前)の「ケント」と「讃岐の口車」とあった。
これは、角界随一の口達者であることから師匠の尾車からつけられた異名だそうだ(笑)

飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ)

西序二段12枚目 最高位・西幕下29枚目

最後を飾るのが40歳の大ベテラン力士、飛燕力である。

1998年3月場所で(元大関・大麒麟師匠の)押尾川部屋から初土俵を踏む。同期には追風海、玉乃島、北太樹、玉飛鳥らの豪華メンバー。

1999年7月場所は6勝1敗の好成績で(序ノ口)優勝決定戦に進出しているが敗退。

序二段生活が長く続く中、2005年3月場所限りで押尾川部屋が閉鎖された後は、一門の尾車部屋に移籍する。

2008年からは、三段目に定着。
チャンスが訪れたのは、2014年7月場所。この場所の13日目には、6戦全勝同士の取組として、初土俵以来土付かずの20連勝だった安彦(後の剣翔)を突き落としに破り、初土俵から98場所目にして初の各段優勝となる自身初の三段目優勝を飾った。

翌9月場所に99場所目にして初の幕下昇進を果たした。この場所は1勝6敗の成績で、1場所では三段目に陥落。
2018年5月場所は、2番目の相撲で右膝靭帯断裂の大けがをしたため途中休場となった。初土俵以来初の休場で連続出場も834で止まった。
以降は、三段目と序二段の往復が続いている現状である。

2022年1月場所後、相撲協会の定例理事会で、尾車部屋が閉鎖されることと、押尾川部屋を新設することが承認され、自身は押尾川部屋へ転籍することになった。所属部屋が押尾川部屋に戻るのは、旧押尾川部屋が閉鎖されて以来17年ぶりとなった。

2度の部屋転籍を経験している稀有な力士だ。

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