音羽山部屋、新境地。

 元横綱鶴竜が師匠の音羽山部屋が部屋開きを行ったそうだ。
23年12月末に音羽山親方が陸奥部屋から独立。24年4月に陸奥部屋が閉鎖となり、引き継いだまだ陸奥色が残る音羽山部屋が墨田区向島で新たな一歩を踏み出した。

元大関霧島はさておき、アマチュア経験・実績十分の浦山(近畿大卒・先場所(5月)幕下最下位格付出デビュー)を次鋒に元幕内・安芸ノ州の長男の今田など好素材・若者が所属する。

父親が大学教授、そして親方自ら勉強・スポーツともに優秀だったという過去が言葉の端々から感じとれる知性に伴う適格な解説、穏やかな人柄。

振り返れば、現役(横綱)時代は白鵬と日馬富士の陰に隠れた感は正直あったが、年寄株取得がうまくいかずに「鶴竜親方」時代が3年近くあり、巡り巡って師匠として一歩を踏み出せる喜びを相撲ファンとして立ち合えてうれしく思う。

残念にも上述の元横綱の両雄は角界から去っている。

今後は一時代を築いたモンゴル勢の一角として、どんな有望株を番付上位に送り出し、相撲界改革の担い手となれるのか。

音羽山力三郎と音羽山部屋。
それだけの大きな魅力と可能性を秘めた存在かもしれない。

これが負けか ~希代の横綱が喫した敗戦~

 2010年1月場所14日目 から2010年11月場所初日まで
時の横綱・白鵬は無双の強さで白星を重ね、積み上げたその数は63。
ほぼ一年間勝ちっぱなし、連勝街道を驀進していた。

幕内の連勝記録としては、今でも燦然と輝く史上2位。
ちなみに1位は(白鵬も心酔する)第35代横綱・双葉山の「69」

私の一方的な印象だけで言うならば(この頃の白鵬は)張り手やかち上げなどを前面に出すような相撲はさほどなかったように思う。

それくらい強かった。
自ら「後の先」と例えた相撲っぷり。どんな形・体勢にも概ね柔軟に対応し(対戦相手としても)隙を見出すのが難しかったように推察される。

連勝を止めたのは現・二所ノ関親方の稀勢の里。
当時の番付が東前頭筆頭であった。

相撲を振り返る。
白鵬の右差しを左おっつけで封じ、突き放す稀勢の里。横綱を追い込みながら、左四つに持ち込み右の上手は十分。
連勝中の白鵬、内掛けで抵抗するも効果なし。
まっしぐらに寄り切った。勝者は稀勢の里。

正面審判長横に崩れ落ちた無敵の横綱。
何か敗戦を噛みしめたような表情だった。

「これが負けか」

敗戦直後に白鵬が残した談話であった。

この白鵬の2010年は86勝4敗。
(当然ながら)3月から11月場所まで5連覇している。

幕内最高優勝45回中、13~17回目の優勝を達成した年。
年齢は25歳を迎えていた。

「いやぁ、強かった」
月並みな言葉しか出てこないが、他の表現が浮かんでこない。

初の休場を記録した2015年。
もしくはその前後あたりから(少しずつ)上述した相撲スタイルが散見されるようになったか・・・。

直近の白鵬氏の動き。
15世紀にモンゴル帝国を再統一した第34代皇帝ダヤンにちなんだ新会社「白鵬ダヤン相撲&スポーツ株式会社」を設立したことを発表したそうである。

新たな舵取りを純粋に応援したい。


消えた宮城野・雷鵬晋太郎

・幕内優勝回数
・横綱在位期間
・通算勝利数
・幕内勝利数
・全勝優勝回数

などなど、数多くの輝かしい記録を保持している前・宮城野親方こと白鵬 翔氏が残念にも相撲界を退職したのは周知の通り。
今後の活動については、これまで15回開催してきた少年相撲の白鵬杯を拡大し「世界相撲グランドスラム」を創設する、とのこと。

「円満」とはとても言い難い今回の退職劇だが、白鵬杯をステップにして新横綱・大の里や尊富士など、プロに転向した力士は少なくない。

世話になった角界とは袂を分かち、実績ある白鵬杯から更に有能な人材を送り込むという、外側から相撲界に貢献するという計画・心意気に対してエールを送りたい。
良くも悪くも(慣習や考え方が)狭く凝り固まった相撲協会に在職し続けるよりも、この方が自由にのびのびと白鵬らしく生きられるのではないか、変な制約や枠に囚われることなく。心機一転頑張ってほしい。

長い前置きになった。
5月夏場所限りで白鵬師匠の旧宮城野部屋勢から2名が引退している。

雷鵬と小野。

中でも雷鵬は大学卒業後、社会人(接骨院やいちご農家など)を経て異色のプロ入り。
中学時代から相撲を始め、学生日本一、軽量級の日本代表と輝かしい経歴があったそうだが、小柄な体格を理由にプロ入りを拒んでいた青年に白鵬直々にスカウトされ、入門へ。

炎鵬や川副などお手本となる小兵・軽量の力士は存在するも、最終的に成功・大成ならず。
去年初場所で左膝前十字靱帯の大ケガ。これが致命的になったようである。

最高位はおととし5月の東幕下43枚目。
勝った決まり手をたどってみたところ、内掛けや出し投げで勝ち星を稼ぐことが多かったようだ。やはり技巧に活路を見出したかったが、膝のケガが引退の引き金になったか。
宮城野部屋閉鎖以降、同部屋出身の引退力士は10人を数えている。
イケメン力士としても知られていた雷鵬であった↓↓↓


3人の杉野森

 今回の元横綱白鵬・宮城野親方が相撲協会を退職することになり、この空いた宮城野株を伊勢ヶ濱親方だった旭富士が襲名し(7月途中から参与として雇用)照ノ富士親方が伊勢ヶ濱を継承することになった。
白鵬としてみれば、何とも皮肉で且つ陰険な結末で相撲協会と袂を分かつ。

この両氏、本名で言えば(旭富士)杉野森から(照ノ富士)杉野森(照ノ富士は2021年8月に日本国籍を取得)へ、バトンが渡された形になる。
照ノ富士が「杉野森」を名乗った理由として(当時の親方・旭富士は)何にも代えられない存在だし、親方といろんなことを一緒に乗り越えてきたのもあり、親方から名字をいただいた、とあった。
正に今回の伊勢ヶ濱継承は、相撲の神様が予め準備していた使命なのかもしれない。

加えて現状の相撲界を司る杉野森姓はもう一人、元安美錦の安治川親方も忘れてならない。
代表力士は将来性豊かな安青錦を始めに、次場所で幕下上位昇進確実な安大翔など心血を注いで指導している。

さて、ここで出てきた「杉野森」姓とは・・・。
青森・福島・宮城・岩手の四県の太平洋側が陸奥起源とされ、近年では青森県津軽郡木造町や菊川に集中している、とあった。
旭富士はその木造町、安美錦は深浦町、共に西津軽郡出身である。

新伊勢ヶ濱親方は引き継いだ現有戦力(尊富士を筆頭に7名の関取衆、復帰を目論む炎鵬や川副他、有望力士多数)が所属していて、今後どんな「照ノ富士色」「照ノ富士式」を打ち出していくのか楽しみである。
一ファンとして言うならば、同じような体格の新弟子が入門し、育ってきたらあの外四つからの豪快な(かんぬきにされた瞬間、相手の戦意を瞬時に削ぎ落とすような)極め出しを伝授してほしい。

3人の杉野森とは、
相撲界、新師匠世代幕開けの一部である。

豪鬼神という式秀力士

 キラキラネームの宝庫・式秀部屋。
夏場所後には、33年の力士生活、一時期「桃智桜(ももちざくら)」という四股名を名乗っていた澤勇の引退に、場所前の所属力士の訃報などがあったりして、今年4月から5月にかけて残念な話題が駆け巡った。

そんな式秀部屋の相撲協会公式サイトを見渡せば、武隈部屋の力士達のように(親方・元豪栄道)の「豪」の字が使われた力士を発見!(いや、ホントに知りませんでした)

豪鬼神(ごうきしん)

という力士がいた。
詳しい四股名に込められた意味や願いはわからないが、格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズの登場人物になぞらえてるのか?その武隈軍団に牙をむくかのように、おととしの名古屋場所からこの豪鬼神と名乗る。

改名後、残念にも成績は振るわず神様はまだ降りてきてないようだ。
5月夏場所も、西序二段84枚目で1勝6敗と大きく負け越し、どこに目標を置くのか。

土俵歴8年超の今日(6月1日)でちょうど33歳。
しかし、個性派揃いの式秀になくてはならない存在であることは間違いない。