やっぱりか、照ノ富士

 やっぱり横綱が休場になった。
3場所連続の休場、とても残念で寂しい。

師匠(元横綱旭富士)によれば、
「出るつもりでずっとやってきたが、いなされると対処できない」
「膝をかばうために腰を悪くしている。無理するとまた膝を悪くする。そうすると相撲が取れない」
「前に出ると痛みが走る。稽古場でも前に出る相撲はできていなかった」
などなど、悲観的なコメントがあったそうだ。

横綱・照ノ富士の相撲人生を長年・いや今も悩ませ続ける膝の痛みではなく、今度は腰の痛みから発せられた所見である。

思えばこの一番を境に休場が続く↓↓↓

その日(今年7月12日)のブログ投稿、私の論評には「歩くことはおろか、上体とひざがカクンカクンしているようで誰かの支えがないと、倒れてしまいそうと言っても過言ではない」とあった。
翌4日目に「腰椎椎間板ヘルニア及び腰椎椎体終板障害により1ヶ月の加療が必要」として結局それからずっと休場、今場所も(おそらく全休)の判断に至る。

相撲ファンなら誰でも知っているところだが、照ノ富士は大関まで登り詰めたあとに、膝のケガがきっかけで最終的に序二段まで陥落した過去がある。

人間、どこにケガや病気をしても不自由するものだが、膝と腰といったら要所であり急所だ(力士だとなおさら)

相撲興行として考えると肝心要の「横綱」という存在であり、外せないピースだが、番付・立場から見ると今回はやむなしの結論か(横綱という立場相応の相撲が取れないという意味での)

しかし、今度こそ出場を決意した時には横綱人生(力士としての)進退を覚悟しなければならない。

今は我慢のしどころです↓↓↓




竹葉山、師匠として

 12代宮城野こと竹葉山真邦。
失礼だが、力士として現役時代はそんなに大成したわけではないが、引退後に年寄宮城野を襲名して後の白鵬 翔ことモンゴル出身 ムンフバト・ダヴァジャルガル少年との出会いが相撲人としての竹葉山の人生(立ち位置や存在感)を大きく変えた。

入門当時身長175cm、体重68kgしかなかった白鵬だが、大きな手足と腰、柔らかい筋肉を見るに、もしかしたら化けるかもと思い、入門してからの2ヶ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ牛乳を飲ませ続けたり、当時部屋の経営に余裕がなかったにもかかわらず白鵬の口に合う鹿や羊の肉をわざわざ予算を割いて調達したという。

当時の面影が甦る↓↓↓

こうして、竹葉山の白鵬に対する環境作り・バックアップ体制と本人(白鵬)の並はずれた努力と血と汗と涙の結晶・積み重ねが調和し、「大横綱」の称号を手元に引き寄せることになる。

しかしその反動と言ってはなんだが、20代で数多くの栄光を手にした白鵬は(どこまで本人の自覚があったかわからないが)力士として人として徐々に「肥大化」していったのは否めない事実だと思う。
当時、話題になった横綱としてあまり相応しくない行為として挙げられるものとして
・(立ち合い時の)かちあげ
・(立ち合いや取組中の常軌を逸した)張り手(ビンタ)
・(肘に着用していた)サポーター疑惑(何か入っているのでは?)などと言われた。

そしてここまで(白鵬が横綱として)いろんな記録・実績を打ち立てると
「師匠」と「弟子」の肩書・言葉の持つ意味が段々と薄らいできた印象が少なからずあった。
「師匠」の最高位は前頭13枚目
「弟子」は横綱を張っていたのだから。

「師匠」としての「弟子」白鵬に対する舵取りやコントロールは(当時)自然と難しくなっていったのではないかと勝手に推察するが。
亡くなった朝潮が、朝青龍の扱いに苦労していたように。

話が横道に逸れた。
時の少年(後の)白鵬が縁あって入門したのは、竹葉山が師匠の宮城野部屋。
(白鵬が)冨と栄光を築いたのも宮城野部屋。
竹葉山は白鵬を育てるのにこれ以上ない労力を注ぎ込み、大横綱に育て上げ「名伯楽」と呼ばれるまでになった。

竹葉山は、弱小だった宮城野部屋を一大勢力にまでになる基盤を作り上げ、更なる栄光への架け橋を白鵬へ受け継いだ大人物である。

宮城野部屋の歴史の証人です↓↓↓

大ちゃんこと朝潮が急逝

 いやぁ、びっくりしました。
つい先程、ネットニュースで4代朝潮 先代高砂 (本名・長岡末広)が小腸がんのため67歳で亡くなったというニュースを聞いた。

先月24日に、朝青龍とのエピソードを主とした投稿をしたばかり(もちろん自業自得の部分もあるが)朝青龍を始めとした弟子の問題で苦労したなぁと。

現役時代をダイジェストで。
とにかく北の湖に強かった・分がよかった(対戦成績・朝潮の13勝7敗)
その北の湖戦を含む、2代目若乃花と千代の富士を撃破する一番が集約された1983年(昭和58年)初場所の朝潮の活躍ぶりをプレイバック!この朝潮が大関に昇進する2場所前のことでした。加えて、皮肉にも(2代目)若乃花はこの一番が現役最後になった。

振り返ってみると、「大ちゃん」こと朝潮太郎の全盛期・最盛期だった頃の相撲が一括されている。当時の若乃花に引導を渡したのもこの朝潮。

大関に上がってからは、パッとした成績を治められてない。大関在位36場所中、2ケタ勝利が7回のみ。膝を中心とした足の故障が多く「大関」を守るのがやっとだった。

引退後、年寄として

引退後、年寄・山響を襲名し、部屋付き親方だったが、先代若松の病気廃業を機に若松部屋を継承。
ここから、後の大横綱・朝青龍や(現役として活躍している)朝乃山に出会い、師匠として(部屋経営)の部分でいい思いもしたが、特にやんちゃな朝青龍には苦労して、振り回された。
3年前に高砂部屋を朝赤龍に託し任せ、名跡交換で錦島へ。最後は朝乃山の不祥事に自らも関与・関わる部分があり、半ば追われる形で相撲界と袂を分かつ。

1年程前から、死因とされる小腸がんを発症したと言われてる。

親しみやすいやすいキャラ、愛くるしい笑顔、今でもすぐそこにいるような気がしてならない。お悔やみ申し上げます。

ご冥福をお祈りします

尊富士は力士人生を昇華できるか

 鳥取城北高校から日本大学(相撲部)卒業後にプロ入り、序ノ口からここまで負け越し知らず(言い換えると4勝以下を知らない)、伊勢ヶ濱部屋所属 尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)はこの九州場所で、力士人生の大きな岐路に立つ。自己最高位・西幕下筆頭へと躍進してきたのだ。

突き押し相撲の研鑽を積み、ここまで這い上がる。
師匠の元横綱・旭富士と同郷の青森県出身。

このワイルドな風貌から、次から次へと繰り出される突き押しを直撃されたらたまらない。

念願の十両昇進への最後の(難関)ハードルを潜り抜けるには
白鷹山(高田川)・輝鵬(宮城野)・栃武蔵(春日野)・對馬洋(境川)・琴手計(佐渡ヶ嶽)・大辻(高田川)など、幕下だけでも対戦する確率・可能性を考えれば、これだけの難敵を撃退していかなければならないだろう。

尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)が隆盛極める伊勢ヶ濱部屋で現役6人目の関取に名乗り出ることができるか、九州場所の土俵に要注目である。

ここまでの通算成績(たった7場所の在位で)37勝5敗!
5回しか負けてない!!

序ノ口優勝時の尊富士↓↓↓

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3代・朝潮の人物像

 3代・朝潮太郎。
現在の高砂から数えて3人ほど前の高砂(5代)であり、元横綱である(46代)
今日の投稿は親方としての3代・朝潮にスポットを当てる。怖くて厳しい親方だったらしいが一方で人情味あふれる数々のエピソードを紹介する。

4代・朝潮(長岡)編

・なかなか思うように大関昇進基準の星を挙げられず、大関獲りまで時間のかかった朝潮(長岡)に対して「朝潮という四股名をやったのは大失敗。黒潮にしておけばよかった」と嘆いたが、その末に昇進を果たした。
・大関昇進後も5代高砂(元横綱・朝潮)から稽古中に当たり前のように竹刀で叩かれていた。

双羽黒=北尾光司編

・この3代・朝潮の葬儀には廃業していた双羽黒が出席した。双羽黒が(事実上の)破門された経緯からこの出来事は意外だが、双羽黒曰く「事件の際、今迄お世話になった高砂親方に大変迷惑を掛けてしまい、深く責任を感じていた」とのことである。

小錦 八十吉編

3代・朝潮が死去した際、弟子の小錦は「みんなは俺のことをガイジン、ガイジンって言ったけど、親方は言わなかった。俺も体を切ったら赤い血が出る。お前も赤い血が出る。おんなじだよと言ってくれた」と泣いていた。

3代・朝潮太郎
総じて言えば、相撲・稽古には人一倍厳しく、とっても優しくて寛大な器の大きい方だったのか。ユーモアが利いて。
愛称(ニックネーム)のひとつとして「ケガニ」とあった。

1950年代が蘇ります↓↓↓