54連勝の野望を打ち砕いた、横綱の矜持

 第58代横綱・千代の富士。

通算1045勝、幕内優勝31回を誇る(主に)1980年代に一時代を築いた大横綱である。

強かった、強かった。

度重なる肩の脱臼により、それまでの投げに頼る取り口から、左前みつを引きつけて一気に寄って出るスタイルへと変えた事が功を奏し、番付が上昇した。

そんな千代の富士、上記の記録に加え、連勝記録も樹立する。
昭和63年5月場所7日目~昭和63年11月場所14日目に打ち立てた53連勝。

今日はここにスポットを当てようと思う。

結論から話す。

この記録に立ちはだかったのは、第62代横綱・大乃国。
そう、同じ横綱が記録をストップさせたのである。

ここまで横綱として(1988年11月場所まで)
千代の富士 横綱在位44場所
      優勝回数25回  

記録している対して

大乃国   横綱在位7場所
      優勝回数2回

と、実年齢からの通算在位を差し引いても、同じ横綱でありながらも、格の違いははっきりとあったように思う。

取組を振り返る。
立ち合いと同時に左上手を取る大乃国。
千代の富士は右下手・左半身、苦しい体勢だ。
その右下手から崩しに掛かるウルフ。
そこを大乃国、千代の巻き替えを許しながらもしゃにむに出る、寄る!
最後は左のど輪からの寄り倒し!!
千代の富士の連勝、53でストップ!
座布団舞う、福岡国際センター!!

取組後、勝者・大乃国は
「俺だって同じ横綱。勝っても不思議じゃないだろ」
と、記者たちに言い放った。

1988年(昭和63年)九州場所、千代の富士はこの敗戦の1敗のみで通算26回目の優勝。
男を上げた大乃国は、西横綱で11勝4敗で場所を終える。

翌1989年以降の両雄は

千代の富士、5回の優勝を記録。
1991年5月場所、初日貴花田に敗れ、最終的には3日目貴闘力に黒星を喫し、
今でも語り継がれる「体力の限界、気力も無くなり、引退することになりました」と会見し潔く引退を決意した。

一方の大乃国。
ケガや病気に苦しみ、優勝を果たすことはなかった。
1991年7月場所、奇しくも千代の富士が引退した翌場所に引退、当時28歳9か月の若さだった。

千代の富士の連勝を止めた、横綱・大乃国 康。
この大一番は潔癖すぎるほどの真面目さが、正義を証明した瞬間だった。

呼出しさん達へ、日頃の感謝。

 呼出とは、大相撲での取組の際に力士を呼び上げる「呼び上げ」や土俵整備から太鼓叩きなど、競技の進行を行う者 とある。         wikipediaより

「紀文」「鈴廣」「なとり」「スギヨ」「永谷園」「シーチキン」「救心」

呼出しさんが着る装束の背中に書いてある、相撲興行を長年支えたスポンサー企業のお名前だ。

相撲ファンならおなじみである。

今日はそんな呼出しさんの仕事内容と、日々の感謝を伝えたいと思う

対戦する力士の四股名を呼び上げ、懸賞旗を持ち、土俵上を回ったかと見るや、合間を見ては土俵をやさしくゆっくりと掃き清める。控え座布団・力水・塩の交換、制限時間いっぱいの証・汗拭きタオル渡し、取組直後には掛かった懸賞金を行司に渡す。
力士だけではなく、審判委員の座布団交換も。
土俵入りや中入り、(千秋楽の)これより三役の始まりを知らせる拍子木

それだけではない。

太鼓叩き
朝8時から30分間打ち鳴らされる、会場を知らせる意味合いの「寄せ太鼓
夕方6時に打つ、閉場を知らせる意味合いの「跳ね太鼓

※調べました! この跳ね太鼓には「明日も相撲を観に来てください」というメッセージが込められているため、千秋楽には打たれないそうです・・・、初めて知りました!
相撲が始まる前日に、興行が始まることと初日の取組を伝えながら触れ歩く「触れ太鼓

そして、4日間かけて作る土俵作り
大雑把に工程を言うと、
20センチ下までクワで土俵を崩して、土台が見えたところで、新しい40トンもの土を積み上げ、同時に俵も作る。

昔ながらの土木工事で使われるタタキを使って固めたあと、勝負俵を埋め込むためにクワで円形に掘り起こし、ビールびんでたたきながら埋めていく。合わせて(土俵の外側にある)角俵も埋める。

土俵の四面に階段を刻む。力水を流すはけ口を作り、階段の上がり俵をこれもビールびんでたたいて仕上げ、土俵の表面を大人数の呼び出しがこてで精魂込めて磨き上げる。(力水が入った)水桶を置くための水桶俵を置いたところで3日目終了。

土俵近くまで下した吊り屋根の四角に、四色の房を取り付ける。
土俵上では最後、仕切り線(幅6センチ・長さ90センチ)2本が70センチ間隔で白いエナメルペンキで塗られる。
三役呼出し・志朗による入念なチェック、確認が行われ土俵完成。

などなど、呼出しには数々の仕事がある。

呼出しさん抜きに相撲は語れない(私の中では、崇拝の域に達している)

個人的には、土俵をゆっくりと丁寧に掃き清めるあの時間、間合いが相撲を見てるという実感を高めてくれる。

振り返ってみると、今でも印象に焼き付いてるのが、長八(元友綱)と拓郎(元三保ヶ関、春日野)
現在、現役ではイケメン呼出し利樹之丞(高砂)、幕内取組の東方・西方で、力水やタオルを渡す、お馴染み耕平(片男波)などに注目してますかね。

縁の下の力持ち、なくてはならない存在の呼び出しさん達に日々、感謝感謝。

呼出しのみなさん、いつもありがとうございます!

琴錦2世、大きな期待も花咲かず・・・。

 千葉県鎌ヶ谷市、プロ野球・日本ハムファイターズの2軍施設のあることで知られる、人口10万人ほどの、都心へのアクセスが良いこの町に、元関脇・琴錦が朝日山部屋を興して、早や6年となる。

今年7月、残念ながら相撲での成功を夢見て、精進してきた若者が引退を表明した。

若勢道 央(わかせいどう あきら)
本名 松澤 亮英

そう、朝日山親方(松澤 秀行氏)の長男であった。

高校までは、ラグビー、水泳、テニスなどを経験。
2017年3月、168㎝・76㎏のかなりの小兵力士として18歳で初土俵。
前相撲経験後、翌5月場所で5勝2敗で勝ち越し、7月場所は序二段へ上がるも(79枚目)1勝6敗と負け越し、再び序ノ口に下がるも、3場所で序二段へ復帰。
このあとは、序二段下位に番付されることが多かった(ケガや体調不良があったかもしれない)

2018年9月場所より、これまでの本名・松澤 亮英から若勢道 央と改名。心機一転を期する。

2019年7月場所に足をケガし、また番付外まで転落する憂き目にあうも、再び立ち上がる。勝ち越す場所が多くなり、2021年5月場所では、悲願の三段目昇進を果たす。この頃には体重も、デビュー時より40㎏も重い116㎏までになっていた。

しかし、相撲の神はここでも若勢道に試練を与える。
自己最高位の三段目70枚目で迎えた同年11月場所を1勝6敗と大きく負け越し(ここでもケガがあったと思われる)そこから3場所連続全休、またも番付外に落ち、今年7月場所限りでの引退を決意したようだ。

「軽量・小兵」と相撲に根付く言葉があるが、それらを逆手に取って父譲りのF1相撲修得といきたかったところだが、ケガに悩まされ、思いを遂げることはできなかった。

本人ツイッターによれば、ボディビルにチャレンジしてムキムキの筋肉を発信していたようだが・・・。

若勢道 央(わかせいどう あきら)

千葉県鎌ヶ谷市出身
1998年4月14日生 現在24歳
初土俵 2017年3月場所
引退  2022年7月場所

通算成績 77勝81敗38休
力士在位 30場所
最高位  西三段目70枚目  

武蔵國真武、偉大なる横綱を伯父に持つ6年余りの力士人生

武蔵川部屋

第67代横綱・武蔵丸が親方を務めるこの部屋に、かつて武蔵国という、親方の甥っ子に当たる力士が所属していた。

ハワイ・オアフ島生まれ、アメフトの選手として、高校時代には、ハワイ州のオールスターに選抜された優秀選手。

来日から入門まで、ちょうど東日本大震災に見舞われた時期で、紆余曲折あったが、伯父・武蔵丸の独立を機に2013年7月場所に晴れて初土俵。

四股名は、相撲界に自分の国を作るという気持ちで頑張ってほしいという願いを込めた「武蔵国」と名付けられた。

番付に名前が載ってからは、順調な出世を歩む。
2015年3月場所で左足親指付け根付近を骨折し、初の休場後も、コツコツと勝ち越しを重ね、ついに2016年7月場所で幕下昇進を果たす。

2018年頃から体調不良があり、師匠と話し合った結果、2019年9月場所限りでの引退となった。その後はハワイに帰ったそうだ。

エピソード3つ
・髙安の付け人を一時期務めてたそうだ。
・2018年5月場所から引退まで、「武蔵國」と名乗る(読み方同じ)
・TBS系 爆報theフライデーで度々紹介された。

武蔵國 真武(むさしくに まむ)
ハワイ州オアフ島出身 
1994年12月17日生 現在27歳
初土俵 2013年7月場所
引退  2019年9月場所

通算成績 132勝111敗16休
力士在位 38場所
最高位  東幕下26枚目

趣味   食べること、寝ること、レーシングゲーム

今頃、ハワイのヤシの木で自分の国(居場所)を作れているであろう。
遠く離れた日本からエールを送りたい。

数日後、こんな動画を見つけた。

完全なかちあげが決まり、武蔵國のKO勝ちと言ったところか。

大横綱・白鵬、先場所(九州場所)の髙安が多用していましたね。

問題はこのあとの対応。

旧態依然とした相撲界のしきたりや慣習が強く残されてるのか、対応が遅すぎる。

何を優先させるべきかと考えれば、答えは明白。
臨機応変で呼出し・若者頭はこういう時に土俵の入れないものか。

時代に沿った柔軟な再考を促したい。

はっきり言ってレアものです↓↓↓

引退力士・幕下以下から

  相撲協会は30日、九州場所中に引退した元小結・千代大龍(九重)、元前頭・豊山(時津風)ら、8人の引退を発表した。

一木(玉ノ井)
西園寺(式秀)
天王山(阿武松)
玄界鵬(大嶽)
宮乃富司(入間川)
沢田(陸奥)
2022年11月30日 日刊スポーツから引用

幕下以下の引退にスポットを当てて、紹介する。

一木隆冶(いちき・りゅうや)

アマチュア実績を引っ提げて、玉ノ井部屋から2016年1月場所初土俵。
171㎝・120㎏(相撲協会サイトには97.5㎏)とある。
炎鵬に近い見た目か。

初土俵以来1年と経たずに、幕下昇進。その後、幕下中位~下位を行ったり来たりすることが多かった。
この辺りは、関取昇進を目前とした幕下上位陣の実力・厚い壁を思い知る事になったか。
はたまた、軽量力士としての悲哀をイヤというほど味わったか。

所属する玉ノ井部屋のコロナ集団感染や、自身の左足首のケガなどが災いし、「関取昇進」という日の目を見ることなく、引退となった。

最高位 西幕下6枚目


通算成績 145勝117敗18休
通算在位 41場所

天王山 開(てんのうざん かい)

わんぱく相撲2位入賞、地元有名道場で腕を磨き、兵庫県洲本市柳学園高校で、相撲部へ入部。3年時にインターハイ個人戦出場を果たし、当時、元益荒雄が親方だった阿武松部屋に入門(2012年1月場所)

序ノ口・序二段を1場所ずつで通過。三段目に上がってからも、コツコツと勝ち越しを積み重ね、9場所の在位で幕下昇格。アマ相撲経験者でも、この辺になってくると壁が厚く、4場所で再び三段目へ。自身の相撲スタイルを見つめ直し、磨きをかけた結果、陥落後2場所目で三段目優勝を成し遂げ再び幕下復帰。

しかし、相撲の神様は再び試練を与える。2019年7月場所前に右肩腱板断裂で2場所連続休場。ここでも立ち上がり再起を果たし、2021年11月場所には、自己最高位の西幕下16枚目まで上り詰めた。

2013年からの2年間、同部屋の若山と初っ切りをしていたことでも知られる。

天王山よりも、個人的に篠原の方がピンとくる感じです。

通算成績 226勝197敗27休
通算在位 65場所

両力士、本当にお疲れ様でした。

ユニークです↓↓↓