今日も魅惑の相撲へようこそ・10日目

 昨日で全勝がいなくなった幕内。
今日も星の潰し合い・移り変わりがあった。
十両と合わせて4番、手に汗握る取組を選んだ(順不同で)

~分類種別・不可 北青鵬~

素通りできなくなりました、幕内力士・取組を語る上で。
東前頭11枚目・北青鵬 治(宮城野)
昨日、大殊勲の星を上げた明生との一番です。

(北青鵬)立ち合い変化して右上手を取ったが、うまく切りもろ差しになった明生が寄って出る。右上手一枚(棒立ち)でこらえる北青鵬。こらえてこらえて、こらえながら上手投げでねじ伏せた。これ・・・、なんじゃぁこりゃぁ。今日も規格外の相撲で勝った北青鵬。明日は若元春。敗れて無念の表情が印象的だった明生の11日目は、朝乃山とのこれも大一番である。

値打ちアリ!↓↓↓

~もう一枚、あと一歩~

9日目、まさかの一敗を喫した横綱・照ノ富士。
仕切り直しの今日は、小結・琴ノ若。 波乱が起きるか。

立ち合いの圧力は照ノ富士。だがしかし、琴ノ若のもろ差しを許してしまう。
照ノ富士、得意の極めで戦意を削ぎ落としにかかるが、琴ノ若懸命に残した。
反対に照ノ富士の巻き替えに乗じて、今度は琴ノ若が果敢に寄って出た。その時、琴ノ若は左上手一枚回しだった。照ノ富士の重さもあったのだろう。寄り切ることができなかった。
次は横綱が意地でこらえる。がっぷりで土俵中央。お互い引きつけあって、力を出し尽くして、寄り切ったのは照ノ富士。琴ノ若あと一歩で勝利を掴み損ねた。48秒の大熱戦。
1敗守った照ノ富士の明日は豊昇龍。健闘及ばず敗れた琴ノ若は翠富士。

~霧馬のキレ~

序盤戦の「危なっかしさ」が徐々にではあるが、矯正されつつある霧馬山。
対するは新関脇、休場中の弟(若隆景)の分も頑張りたいと意気上がる若元春。

両者突き放しにかかる。小手に振る若元春を外掛けで切り崩しにかかる霧馬山。
凌いだ若元春。次の瞬間の霧馬山、右からの小手投げがズバッと鮮やかに決まった。
2敗同士の対戦、勝ったのは霧馬山。明日の11日目は今場所頭角を現してきた平戸海。

~これは神の領域突入か、落合~

ひとつずつ白星を重ねること10連勝、負けなし。今日も怪物ぶりを見せてくれるのか、落合。対してここにきて2連敗。でも7勝3敗と好成績の武将山。

突き押し相撲の武将山がペースを握った立ち合い。それも束の間、落合の左が入る。
静寂した間合いの中、何を考えているのか落合。その間を崩しにかかった武将山が仕掛けて前に出た。土俵際の攻防。圧力に耐える落合残しながら、左足を武将山の右足にちょんと「蹴返す」ような感じで上体を崩し、突き落としで勝負あり。全勝を守った。

極限まで攻め込まれながら、その領域で2~3手を打ってくる能力みたいなものがあるのかなぁ。まさに神がかってる感じがします。ポテンシャル凄すぎ!
全勝守って明日は豪ノ山(今日熱海富士に負けた際に足を引きずっていたが影響がないことを祈る)惜しくも敗れた武将山は狼雅戦。

夏場所10日目が終わった優勝戦線の確認。

幕内 1敗 照ノ富士・朝乃山
   2敗 霧馬山・明生・北青鵬

十両 全勝 落合
   1敗 豪ノ山
   2敗 湘南乃海・熱海富士

となっている。
北青鵬-若元春、明生-朝乃山なんてたまらないな!
それでは。

 

9日目の猛者達

 対戦前から興味をそそる取組が目白押しの9日目。
今日は優勝争いにおいて大きな変化があった。
筆者目線で「強い」とか「力」を感じた5番を集めた。
(紹介する順番は)結びから十両に下っていく感じで。
あくまで筆者目線です。

~照ノ富士-明生~

休場明けここまで負けなし、8連勝で一気に勝ち越しを決めた横綱・照ノ富士。
対して、ここ2場所5勝止まり。今場所復調の兆し7勝1敗の東6枚目の明生。

左からかち上げ気味の立ち合い。右へ右へいなして右下手明生。左手添えながら出し投げ打つ明生。動きを止めず、最後はもろ差しから寄り切った。明生、見事初金星!
今の照ノ富士に勝つには、こういう横の動きを多用して崩しにかかるというか、そのお手本のような取り口だと思った。もっともっと場所を盛り上げてほしい存在だ。

~正代-翠富士~

積極的に前に相撲を続け、負けてもなお強しの今場所の正代。
対するは、5連敗のあと3連勝で星勘定を戻してきた翠富士(先場所の立役者)

低く当たる翠富士。もろ差しになるも、それを極めてかかる正代。翠富士、一旦は左差しを(極め)から抜くも、正代は強引に根こそぐように極め出した。
正代は上位陣との対戦は終えていて、今日から下位力士との戦いが始まっているが、どこまで星を伸ばしてくるか楽しみである。

~朝乃山-竜電~

「朝乃山、復活への道」
東前頭14枚目で迎えた今場所は7連勝で始まり、昨日北青鵬に惜敗した。
勝ち越しかけた竜電との一番。

鋭い当たりから右差しの朝乃山、竜電、頭をつけて両まわし、巻き替えながら寄って出た朝乃山が圧力で寄り倒した。2年ぶりの幕内勝ち越し決める。明日は2敗で好調の平戸海。

~豪ノ山-天空海~

今場所の豪ノ山が力強い。風格が備わってきたかのようだ。中日・8日目で早くも勝ち越しを決め、9日目の今日は天空海(立浪)戦。(動画・3分30秒すぎに立ち合い⇩)

https://www.youtube.com/watch?v=p7K5Wfa_ogI&t=70s

低い立ち合いから、一気の出足・電車道。
今日も強かった、文句なし!この隙のない相撲に負けるイメージが湧いてこない。
明日は楽しみ、2敗の熱海富士戦。

~落合-英乃海~

今場所も「怪物」ぶりを随所に発揮している。
スピードが違う、キレが違う。相撲勘・勝負勘が良く、技が多彩。
無限に出てくる、落合の力士力(りきしりょく)
初日から左肩にテーピングを施しながら、レベルの違いとも言うような強さを見せつけている。9連勝なるか、英乃海戦。

頭から強い当たりの落合、左おっつけながら出る落合。
英乃海の逆襲に遭うも、くるりと回る。回ったところをここぞとばかりに英乃海はつけ込んだが、上体が伸びてしまい力が伝わらなくなり、(落合の)突き落としが決まった。
あの体勢で勝ちを拾える・掴める落合は、ここ一番の勝負運をも持ち合わせる怪物なのか。
明日の対戦相手は武将山(藤島)

9日目を終えた大相撲夏場所、優勝争いは
幕内 1敗 照ノ富士・明生・朝乃山
十両 全勝 豪ノ山・落合
となっている。

特に幕内。
最後に栄冠を手にするのは、全くわからなくなってきたな。
うん、面白い。

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小錦の横綱を阻んだ夏場所の出来事

 元大関・小錦八十吉。

ハワイ・オアフ島出身、(入門時から)規格外の体格と強烈な突き押しで「黒船襲来」と恐れられた。

現在ではタレントやハワイアン音楽のアーティストとして活動。

特にNHK Eテレ「にほんごであそぼ」には「コニちゃん」として放送開始から出演。
子供達からも高い人気を得ている。

また、ネットショップの「KONISHIKIショッピングモール」の経営、相撲観戦ツアーの開催や各種イベントへの出演など、多忙な日々を送る毎日だ。

~北尾との伝説の一番~

そんな小錦の相撲人生の転機となった一番がある。

1986年5月場所・8日目(天覧相撲)に組まれた北尾戦(のちの横綱・双羽黒)だ。

ここまでの小錦は同年1月(小結で)10勝、3月(小結で)12勝を上げており、大関獲りがかかっていた。

実際の取組である。
最初の一番では土俵際の攻防で、北尾の足(つま先)か、小錦の体かで物言いがつき、協議の結果「取り直し」と発表となった。
(私自身はこのスロー映像で見る限り)完全に北尾の足が先に出ているように見えたが。

さて取り直しの一番。
小錦が突っ張りから前に出ようとする。北尾の差し手を許さない。
北尾右四つ左上手でいい形。寄る北尾、こらえる小錦。
小錦が巻き替え、もろ差しになったところを北尾が勝負を賭けて寄る、小錦が土俵際で踏ん張り、吊り上げようとしたところで北尾の鯖折りが決まった。

小錦はこの一戦で、右膝じん帯損傷・骨折の大ケガを負う。
その次の7月場所を全休。大関獲りも振り出しになった。
加えて右膝は完治することなく、現役時代はこの後遺症で苦しむことになった。

~その後の二人の人生~

北尾は優勝経験のないまま、その翌々場所の1986年7月場所後に第60代横綱へと昇進した。

直近3場所の星取は、10勝⇒12勝(優勝次点)⇒14勝(千代の富士に本割りで勝つも、決定戦で敗れる)横綱審議委員会では反対意見があるも、最後は多数決によって決定した「期待値込み」の横綱昇進になる。

横綱昇進後も、合計3場所(1986年11月・1987年1月・同年11月)で千秋楽まで優勝争いに絡んだものの最後は逃している。

1987年12月、師匠らと衝突し部屋を脱走。突然の廃業となり、世間を大きく騒がせた。

以後、スポーツ冒険家・プロレスラー・総合格闘家へと転向を重ねるが、どれもうまくいかなかった。

プロレス(格闘家)の引退から5年後の2003年にフリーの立場で、(短期間ながら)立浪部屋のアドバイザーに就任。

(晩年は)角界時代からの趣味であるエアガンやナイフ、日本刀などの蒐集に傾注しながら、趣味雑誌への寄稿やパソコン関係の在宅ワークなど、一般世間からも距離を置いた事業によって生計を立てていたという。

2019年3月に長らく公の場に姿を現さなかった北尾の訃報が明らかになった。
同年2月10日に慢性腎不全のため千葉県の病院で55歳で死去。2013年頃から闘病生活を送っていたという。

一方の小錦

一旦は振り出しになった大関獲りへ向け、休場明けとなった1986年9月場所から連続して2ケタ勝利。

1987年5月場所後に念願だった大関昇進を果たす。さらに外国出身力士としては史上初めての快挙だった。

横綱を期待されたものの、苦手・北天佑に苦杯をなめさせられたり、膝の故障の影響で勝ち越しても8~9勝止まりの成績が続く。

それでもその後に幕内優勝3回を記録した。

外国人力士であるがゆえの苦労や辛酸をなめることもあったようだが、小錦は耐えた。

1993年11月場所後に39場所務めた大関陥落も、幕内力士として現役続行。

そして幕尻に近い東前頭14枚目で迎えた1997年11月場所、13日目に敗れて負け越しが決まると千秋楽を待たずに引退することになった。

引退に際して小錦は「相撲人生に全く悔いはない。ハワイから日本に来ていい思い出ができた。相撲をやって本当に良かった」「2日間取れなかったが、ほかの力士に失礼だから。満足しています。ファンの方には、この場を借りて“15年間ありがとう”と言いたい」と語ったそうだ。

~後年、小錦は振り返る~

小錦が大関時代の1987年11月場所後、横綱・双羽黒の廃業を機に協会・横審とも横綱昇進について極めて慎重な姿勢を取るようになり、「双羽黒は小錦の横綱昇進を阻んだ最大の加害者」と見る好角家も多かった。それでも小錦本人は双羽黒を恨まず、逆に「あのケガがあったから大関になれた」とコメントしている。

一人の感情ある人間として、不平や不満は必ずあったはずだが、それらをそっと胸の中にしまい、感謝の言葉を口にする小錦の器の大きさに、今日(こんにち)の成功している理由がわかる気がした。

小錦の貯金箱です↓↓↓