力士数減に苦しむ錦戸部屋に入門希望者が。

今年に入り、幕下若ノ湖、元十両の極心道が相次ぐ引退で力士数が一人(水戸龍)+去年九州場所から4場所連続休場、現在番付外の富士泉のみになってしまった元関脇・水戸泉の錦戸部屋に一筋の光が・・・。

静岡県掛川市在住の中学3年生・中村謙信さんが、来春卒業後に錦戸部屋への入門が決まったそうだ。

小学校の頃から「将来は相撲取り」と心に秘め、小学1年生の頃から9年間柔道に取り組み、格闘技経験を育んできた。

現在の身長が165センチ・体重88キロ。

苦境続く部屋に15歳で角界入りを決意した若者は、更なる明るい光をもたらせるか✨

頑張ってほしい!

水戸泉という名のお酒で一杯↓↓↓

安美錦甥とモンゴルの強豪など、九州場所新弟子検査!!

 九州場所の新弟子検査は、18日、両国国技館で行われ、受験した10人全員が身長167㎝・体重67㎏の体格基準に満たし、内臓検査の結果を待ち、初日に合格者が発表される。

主な面々を紹介する。

安美錦の甥と関脇・豊昇龍、十両・欧勝馬と同じ飛行機で来日のモンゴル強豪 !

安治川親方(元・関脇・安美錦)の甥で青森・五所川原農林高3年の桜庭燎は、伯父が部屋付き親方を勤める伊勢ケ濱部屋から受験。身長174㎝・体重93㎏と小柄な体格。
「この体型で通用していけるか不安です」と弱気な発言もあったようだが、小4から相撲を始め、鯵ケ沢中2年時に全国中学生大会軽量級(75キロ未満)ベスト8。さらに五所川原農林高3年時に東北大会100キロ級準優勝など、アマチュアでも実績をあげている。

目標を問われ「1年で三段目の上まで行きたい。関取にはできるだけ早めになりたい」と伯父譲りの垂れ目で語った。

ラグチャー・ジャミントクトホは、日体大柏高の出身で豊昇龍、欧勝馬と同学年。
15年春にモンゴルから同じ飛行機で来日。高校卒業後は拓殖大に進学。
半年間の高砂部屋での研修期間を経て、新弟子検査を受検したそうだ。
こちらは体格基準を身長181㎝・体重146㎏と堂々たる数値でクリア。

元大関朝乃山ら、部屋の若い衆と稽古を重ねる毎日である。

埼玉栄高校から4人入門

今年の高校総体団体戦準優勝メンバーの岡根颯良と根岸康介の2人は、元大関・豪栄道の武隈部屋に入門。

全国選抜大会16強の三浦光太郎は、元関脇・豪風の押尾川部屋へ、

今年の関東大会団体戦優勝メンバーである鶴叶 翔は藤島部屋(元大関・武双山)へ。
7月には根岸康介らと行方不明の小学生を保護して警察に送り届け、感謝状を受け取ったというエピソードの持ち主である。

放駒部屋には元球児が入門

鳥山優太郎は野球推薦で入学した名商大を中退して放駒部屋に入門。
元PL学園野球部監督で、名商大野球部の中村順司元総監督から指導を受けたことがあるという19歳。名古屋場所をマス席で観戦後、放駒部屋に体験入門。入門を決意した異色の新弟子もいる。

アマチュア経験者は実績を武器に将来の関取の座をつかめるか。
相撲未経験者が、稽古に精進し成功を収めることができるか。

来たる九州場所に楽しみな人材が、検査合格を待ちわびている。

 

三矢の訓(みつやのおしえ)に由来したちゃんこ

戦国武将・中国地方の戦国大名、毛利元就の3人の息子達と縁のある広島県内3市町が、それぞれの食材・特産品を持ち寄りちゃんこ鍋を開発する計画があるという。

安芸高田市は長男隆元、北広島町は次男吉川元春、三原市は三男小早川隆景とゆかりが深い。
この3市町は協力して町おこしに取り組み、今、人気の荒汐部屋・3兄弟力士(若隆元若元春若隆景)に着目。
このプランを起案に至ったそうだ。

元就は、3兄弟の結束の大切さを束ねた3本の矢にいたとえた「三矢の訓」を遺したことで知られ、この逸話にちなみ、「三矢の訓ちゃんこ鍋(略称みっちゃん鍋)」をプロデュース。

そこで、県内収穫量1位の安芸高田市のネギ、2位北広島町のトマト、3位の三原やっさタコという名のブランドにもなっている、三原のタコの3つを「三矢」に見立てて、唐辛子みそでピリ辛風に作った。

三原市長・安芸高田市長・北広島町長の3氏がこのみっちゃん鍋を試食。
「食感がいい」
「健康にいいとPRできる」
と太鼓判👍さらに改良を加えて、荒汐部屋に差し入れする。

今後は、イベントでの試験販売、3市町の道の駅での販売も検討するそうです。

         
2022年10月15日付毎日新聞から引用

これは面白い企画ですね。
大波3兄弟の四股名の由来が一致していて、その土地土地の食材・特産品を用いておいしいちゃんこ鍋に仕立てようと・・。

世間から認知され、知名度が増すといいです!

是非、食べたい!🍲

突き押し一筋・栃丸。無念の幕下陥落へ

立ち合いからの突っ張り、その激しさは往年の麒麟児や富士櫻を彷彿とさせる。

春日野部屋の栃丸が、苦節10年で勝ち取った関取の座をわずか3場所の在位で明け渡すことになってしまった。

わんぱく横綱のタイトルを2度獲得。
東京都立新田高校相撲部でさらにそのキャリアを磨き、2011年5月技量審査場所で初土俵。同期には、新田高校4年先輩の千代大龍、後の横綱照ノ富士、明生、常幸龍、白鷹山、力真とそうそうたる顔ぶれ。

プロキャリアは最初、幕下までは2年足らずで昇進を決めたが、その後スランプなどがあり、三段目との往復を数回経験した。

「押すだけなんで、それを貫きたい」
という本人の言葉通り、突き押し一筋。

2勝13敗で終わった秋場所を振り返る。

まず15日間を通して、立ち合い・相手に前廻しを取られて、一気に勝負を決められたという場面はなかった。

回転の速い突っ張りで主導権を握り、さらに突っ張り、勝負を決めにかかるが、決めきれない相撲が多いのは、大概、上体が高い(腰高)で、回転は速いが=突っ張りがいまいち軽いのか(失礼ながらそのように見受けられた)

足が揃ってしまい、逆転の引き・叩きを食ってしまうこともあった(大翔鵬、千代丸戦)

定番相撲土産です↓↓↓

元小結・常幸龍が引退。

 私はこの力士が好きだった。
インタビューから伝わってくる誠実な人柄が。

元小結・常幸龍が今場所限りでの引退を発表した。

2011年5月(技量審査場所)初土俵、歴代単独1位の序ノ口デビューから27連勝の記録を樹立。その後も新十両・新入幕ともに、歴代1位のスピード出世で、最高位は小結。

ここからケガによる苦労と試練の連続となる。左手親指骨折、足首手術、右膝手術からの三段目陥落、右腕上腕二頭筋断裂、(ヒザの)前十字靭帯断裂→半月板割れてる状態など、枚挙にいとまがなかった。

そんな中、家族や後援者の支えを胸に十両復帰を2回果たすも、幕内返り咲き・上位進出はならなかった。

鳴り物入りで角界入り、その後の連勝記録やスピード出世からすると、ケガに悩まされ、潜在能力が十分に開花したとは言い難い土俵人生だったか。

今後はアマチュア相撲の指導者としての活動を計画しているそうだ。
Twitterも開設したもよう。

十両・幕下・序ノ口優勝各1回
三段目優勝2回を記録。
日馬富士から金星1個を獲得している。

常幸龍関、お疲れ様でした

常幸龍!!↓↓↓