ダイエー・曙・ハンバーガー

 このダイエー・曙・ハンバーガーにたどり着く言葉・表現として「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉がある。そもそも、

昭和(戦後期)の流行語とあり「子ども(を含めた大衆に人気のあるもの」の代名詞として、

  1. プロ野球の巨人軍
  2. 大相撲の横綱・大鵬
  3. 料理の卵焼きを並べたものである。 とあった。

曙が言い放ったこの言葉・フレーズは、「巨人・大鵬・卵焼き」に真似た感じの曙自身が好きだったダイエー(ホークス)とハンバーガーを前後につけたものと思われる。

曙が横綱として在位した1993年3月場所から2001年初場所までのダイエーホークスの成績として、最初の5年(1998年)は、前身の南海ホークスの末期を引きずるように下位に低迷する期間が長かったが、1999年のリーグ優勝をきっかけに常勝球団へと生まれ変わった。

曙自身力士としては、長身を活かした突き押しを武器として当時、同期だった若貴兄弟や後の大関・魁皇(現・浅香山親方)らと切磋琢磨しながら番付を駆け上がった。

1993年の3月場所に横綱へ昇進。翌年の5月に両膝を故障した後は優勝間隔が空くことが多くなり、結婚時にも個人後援会から強固に反対され、結果的に解散。引退後の相撲人生に影響を及ぼしたとされる(資金面で)

この「ダイエー・曙・ハンバーガー」は
そんな頃の曙 太郎が光り輝いていた時を象徴する言葉のひとつなのかもしれない。

好敵手・貴乃花との動画がありました。痺れる相撲の数々です↓↓↓

輝かしい横綱・曙のパズルカードはいかがですか↓↓↓

介護業で頑張る、元・舛ノ山

 舛ノ山大晴(ますのやま ともはる)
2010年11月場所から2015年3月場所まで関取として番付され(うち1場所のみ幕下)最高位は西前頭4枚目。

2010年ごろに医者から「肺が人より小さい」と忠告されたそうで、検査を受けた結果「心房中隔欠損の疑い」と診断されている。そのため、取組後は激しく息を切らせていた。(20秒しか戦えない力士として逆に話題にもなった)

しかし、それがゆえに常に早い相撲を求められ、そこに向けて絶えず全力・一生懸命さが伝わってくる相撲っぷり・ふるまいが人気を呼んだ。

この相撲なんかはそれらが顕著に見られる。

なんか今でいう熱海富士的キャラが少し被るでしょうか。

母親がフィリピン出身のハーフである舛ノ山は、フィリピンで生まれたのち1年足らずで千葉県に転居。小学3年からクラブに入り本格的に相撲を始め、わんぱく相撲や数々の全国レベルのアマチュア大会で実績を残した。
2006年7月に初土俵・千賀ノ浦部屋から(当時の師匠・元関脇舛田山)十両までは4年を要した。さらに1年後には、幕内入り。ケガの影響もあり1場所で陥落。その5場所後に復帰。そこから丸2年幕内に定着。唯一の三賞(敢闘賞)を受賞したのもこの頃だ(2012年7月場所)

次第に膝のケガが多くみられ、その影響で2014年頃から番付降下を余儀なくされる。

2015年3月場所が最後の十両での場所となった。
その後はケガや病気(難病)に苦しめられ、キャリア末期は稽古も満足にできず、歩くときには強い痺れがあり、腰痛の影響で廻しも締められなかったという。

現在は「介護職員初任者研修」の資格を取得し、東京都荒川区内の介護老人保健施設で第二の人生を歩み始めている。施設の方達にも愛され、人気を博しているのでは。

頑張れ、舛ノ山!!

力士時代↓↓↓

近影 別人のように瘦せられたそうです↓↓↓

今後も応援してるぞ!↓↓↓

 

衝撃!明瀬山引退!!

おとといに明瀬山ネタで投稿させてもらったばかりなので、もう、びーっくりです!
驚愕でした!

日本相撲協会は10日、元幕内で幕下の明瀬山(木瀬)の引退と年寄・井筒の襲名を発表した。明瀬山は「目いっぱい相撲をやったので『あー、良かった』という思いしかありません」と笑顔。最後まで涙はなかった。

 引退の決意を固めたのは、5月の夏場所後だったという。西幕下7枚目の番付で2勝5敗に終わり「勝ち越しが続いていて、稽古も調子が良かったのでいけるかなと思ったんですけど、負けが込みまして…。調子が良かったのに残念な結果で、ここが限界かなと思い、師匠に相談しました」と明かした。

 愛知県春日井市出身で7月の名古屋場所はご当地。特別な思いを胸の内に秘めた土俵でもあった。結果は東幕下16枚目で、5勝2敗と勝ち越し。最後は家族の前で勝ち越しても負け越しても、いい相撲を見せたい思いで臨み「親には『十分に楽しませてもらった』と言ってもらえたので、やってきて良かったなと思いました」と、すがすがしい表情だった。

 21年初場所では史上4位のブランクとなる28場所ぶりの幕内復帰を果たし、初日から6連勝するなどして9勝6敗と勝ち越した。しかし、同年夏場所で顎を骨折し途中休場。その後も2場所連続で全休を余儀なくされるなど、けがに苦しんだ力士人生でもあった。

 今後は部屋付きの親方として後進の指導にあたる。師匠の木瀬親方が「いろんな人に好かれる力士でした。きつい稽古の後でも、明瀬山がいると(みんな)笑顔が出ますし、場を和ませます」と評するムードメーカー。明瀬山は「強くならなくても(現役を)やめるときは『この力士を応援して良かったな』と思ってもらえる力士を育てたい」と抱負を語っていた。
(スポーツ報知より一部抜粋)

飄々としていて、人柄もよく、取組までの独特なルーティンは忘れられません。
今、私の胸の中には計り知れない淋しさが占めています。
井筒親方として後進の指導・素晴らしい力士を育ててください。益々のご活躍を祈ってます。

明瀬山関、15年間に渡る土俵生活、本当にお疲れ様でした。↓↓↓


四股踏みトレーニングで健康ダイエット!!

 元前頭「豊山」の小柳亮太さんは、2022年11月場所限りで引退後、協会に残らずパーソナルトレーナーとして活躍中だ。

パーソナルジムOYG ホームページがこちら↓↓↓

以前、元横綱・貴乃花が「シコアサイズ」と名付けた四股踏みダイエットの本を出版し、また貴乃花自身もこのシコアサイズのやり方・方法で80キロ近くもの減量・ダイエットに成功したというが、それに近いものなのか。

「相撲」が絡むのでダイエット・減量に無縁かと言ったら、そうではないらしい。
このOYGジム・ホームページのトップページには四股踏みトレーニングのメリットとして、こういう説明書きがありました。こちら↓↓↓
・下半身は大きな筋肉であるため基礎代謝の向上やヒップアップに繋がります。
・上半身を鍛えることで姿勢矯正やボディーラインが美しくなります。
・体幹を鍛えることで芯が強くなりブレることがなくなっていきます。
・トレーニングの全てを四股に繋げるべくトレーニングしていきます。

都心の秋葉原駅から程近い場所に6月25日にグランドオープン、元豊山の小柳さんも引退してから50㎏も減量し(130㎏へ)さらに来年(2024年3月)の東京マラソンで完走するべく、自宅近所を走るなどしてさらに体重を落とし、90kg台にする考えを示すなど本気度が半端じゃない。「マラソンが終わったら、次は来年中に土俵があるジムを都内に作りたい。相撲を身近に感じてもらえるように四股とか教えられれば」と壮大な計画を打ち明けてるそうだ。

またジムスタッフには、元時虎の下山謙信さんも名を連ねている。
初回体験として、50分5000円と通常よりも割安料金で設定されているようだ。

この斬新な発想の「四股踏みトレーニング」が多くの相撲ファン並びにスー女に知られ、ダイエットの新機軸として世に広まってほしいものだ。

1回、体験してみようかな。

豊山、現役時代の勇姿↓↓↓

御嶽海関がジムに来たんですかね、近影です↓↓↓

新事業の成功を祈ってます↓↓↓

明瀬山予報 ~願いを込めて~

 明瀬山光彦、38歳。
関取離れて丸2年が経った。突き押し相撲メインだが、四つ相撲(右四つ)からも勝機を見いだす。ここまでの最高位は東前頭12枚目(令和3年3月場所)
前頭4場所・十両38場所を務めてきた。最後の十両在位は2021年7月場所と関取生活から遠ざかっている(幕下生活が長い)

近々の7月(名古屋場所)では、東幕下16枚目で5勝2敗と勝ち越している。
来場所は幕下10枚目以内には食い込みそうな気がするが。
その7月場所の取組2番だけであるが、動画があった。
5日目・大翔丸(追手風)戦と10日目・生田目(二子山)戦である。

https://youtu.be/BgXE6Bmmi7Y?t=72

いずれも勝った一番だった。

5勝を収めた顔ぶれも(順に)
尊富士(伊勢ヶ濱のホープ)
大翔丸(最高位・東前頭5枚目)
西乃龍(境川のホープ)
生田目(狼雅に次ぐ二子山No.2)
琴手計(ご存じ・琴勝峰の実弟)

と錚々たる顔ぶれ(番付を考えれば当然だが)

私は旭天鵬(現・大島親方、元関脇)と、安美錦(現・安治川親方、元関脇)の40過ぎまで関取を務めた2大レジェンドに肩を並べてほしい、一歩でも近づける存在になってほしいと切に願っている一人である。

言わずと知れた話題性・人気抜群のこの明瀬山光彦に、まだまだ関取として活躍する姿に俺は賭けている。

祈・再十両へ↓↓↓