二所ノ関ツインズ

 二所ノ関部屋に双子力士が存在する。
林兄弟。長野県岡谷市出身。
本名は長男が、林 琉(はやし りゅう)次男が林 玲(はやし れい)
四股名は長男が、林龍(はやしりゅう) 次男が林虎(りんこ)である。

2人とも中卒での入門ではあるが(相撲に対して)全くの素人ではなく、小学校在学中に相撲クラブに通い、アマチュア大会で実績を上げての入門だ。
入門に際しては、現在の二所ノ関部屋前身・荒磯部屋で稽古を体験し、けがをしない体作りに力を入れる部屋の方針などにひかれたのがきっかけ。

初土俵から1年ちょっとが経過し、プロの力士として8場所を務めた。
7月場所終了時点では、弟の林虎の方が番付では上に居たが、あさって発表される新番付ではどのような位置・関係になっているのか。

多くの相撲ファンの注目・期待が寄せられる二所ノ関部屋には高卒や大卒のエリート力士だけではなく、中卒からも優秀な力士(予備軍)がいることも忘れてほしくない。
早期に関取が見据えられる番付ではないが、この林(双子)兄弟の動向には要チェックだ!

二所ノ関部屋ホームページより 好きな言葉は
兄・林龍が「実るほど頭が下がる稲穂かな」
弟・林虎が「凡事徹底」「一事が万事」「自分の持ち味を活かせよ」 とあった。

写真右が林龍(長男)左が林虎(次男)のようである↓↓↓

元横綱を肌身離さず↓↓↓

大の里・高橋に続く二所の次鋒

秋場所の番付編成会議で二所ノ関部屋からは大の里と高橋の新十両が決まったと発表された。

(二所ノ関部屋から)次なる関取を目指せるホープと言われれば、宮城(写真・左)と嘉陽(同・右)を推したい。

名前(名字)が示す通り、2人とも沖縄出身(嘉陽自身は千葉県市川市出身だが(嘉陽の)両親が沖縄出身だそうだ)年齢も同じ24歳だが、1999年の早生まれである宮城が1学年上。出身大学も日本体育大学同士と偶然が重なる。

宮城は学生の頃から「ひねり技」で勝負を決めることがあったそうだが、目指すところは前みつを取って前に出る相撲らしい。
対する嘉陽は、突き押し相撲に勝機を見出す。

ここまでの出世状況・比較であるが、
宮城は序ノ口から初土俵を踏み(2021年5月場所)ここまで14場所中、負け越しはたった2場所。最新の名古屋場所では西幕下20枚目で4勝3敗。
嘉陽はアマチュアの実績が認められ、三段目付出(90枚目)でデビュー(2022年5月場所)ここまで8場所戦って、負け越しがこちらも2回。直近の名古屋では西幕下37枚目で5勝2敗。今年は1月から負け越し⇒勝ち越しを順繰りにきているが、秋場所はその壁を打ち破れるか。

去年6月、茨城県稲敷郡阿見町に1800坪の土地に2面の土俵とトレーニング室、建物の外には懸垂用の鉄棒や、半面のバスケットボールコートなども設置された今までにない斬新な部屋新設から丸1年が過ぎた。

大の里と高橋に次いで、大銀杏を結い、化粧廻しをつけられる十両に上がれるのはこの宮城か嘉陽か、他にも龍王と花房という幕下力士が控えている。

吉報が続く二所ノ関部屋の勢いは止まりそうにない。

お風呂・シャワーのあとは、このタオルでさっぱりと↓↓↓


愛知県出身の名力士・鳳凰倶往

7月・名古屋場所に因んで。

鳳凰倶往(ほうおう ともみち)

愛知県蒲郡市出身、二所ノ関部屋所属。

1971年秋場所初土俵
1990年夏場所引退
同世代の関取(主な顔ぶれ)としては、麒麟児・大徹・大善といったところか。

うん。鳳凰、懐かしいなぁ。

愛知県出身ということで、出てきた慕わしい四股名。

みかんや新鮮な海の幸が豊富に獲れる街で知られる蒲郡出身の元関脇・鳳凰。

1978年夏場所から、47場所連続関取。最高位は東関脇(1984年7月場所)

三賞とは縁がなかった。最高位が関脇の力士で、三賞を受賞できなかった力士は鳳凰のみ(びっくり(◎_◎;)しかし、金星は3個記録している(2代目若乃花2個、千代の富士1個)

当時の二所ノ関部屋関取の立ち位置としては、麒麟児と大徹の間に挟まれたやや地味な存在のように思われたが(失礼)実力派よろしく(昭和以降)歴代2位タイの十両優勝4回を記録している。

因みに1位が益荒雄の5回
2位タイの顔ぶれが、鳳凰の他に、若の里(西岩親方)・小城ノ花(出羽海親方)・大錦(元年寄・山科)・播竜山(元年寄・待乳山)・朝登(元年寄・東関)などビッグネームが並ぶ。

1990年5月場所限り廃業後、サラリーマンや間垣部屋でコーチをしていた時期もあったとか(2代目・若乃花が親方だった頃)

2013年1月に56歳で亡くなっている。

私の小学校・中学校・高校時代に関取として君臨していた鳳凰。

彼もまた忘れられない力士の一人である。


茨城・阿見町に部屋を構えて早や1年

 元横綱・稀勢の里が部屋を興し、茨城県阿見町に新部屋が完成して一年が経った。

部屋は約6千平方メートルもの広大な土地に新築。稽古場は効率性を重視して通常1面の土俵を2面つくり、屋外にはバスケットボールができるスペースを設けた。既存の相撲部屋の常識にとらわれないこだわりを感じさせ、異例の広い敷地を生かしての地域交流や相撲普及など幅広い構想があるという。
(日本経済新聞より)ちょうど一年前の記事です。

元関脇・嘉風の中村親方の内弟子を含めて、現在総勢19人を数える二所ノ関部屋。

有望株・関取が手に届きそうな力士もいる(生え抜きで)

大の里・・・2年連続アマチュア横綱の看板を引っさげ、幕下10枚目格で5月場所デビューしたばかりの23歳。先場所6勝を上げ、来場所は十両目前に番付されることが予想される。
初土俵の場所から四股名を与えられるほどの期待の逸材。
「大の里」とは、大正から昭和初期に活躍した青森出身の大関で、164センチの小兵で力が強く「相撲の神様」の異名を取った力士だそうである。

他にも龍王・宮城と続くが、尾車部屋からの移籍組。高橋や嘉陽も日体大相撲部からの入門なので、(日体大出身の)中村親方が独立するまでの在籍かもしれない。

花房(はなふさ・三段目)、藤宗(ふじそう・序ノ口)このあたりがアマチュア経験・実績を上げ入門した生粋の「二所ノ関戦士」か。

広大な土地に大きな部屋を構え、力士達は伸び伸びと稽古を重ね、相撲に精進した生活を送る。都心・東京近郊に多く所在する相撲部屋の概念に逆行するかのような新機軸を打ち出して早や一年。

早稲田大学大学院で、弟子の育成法や部屋の運営手法などを多面的に学んだ二所ノ関親方の相撲理論・哲学はこれから一層花開く。

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正代と翠富士と大の里初白星と・3日目

「相撲に勝って勝負に負ける」という言葉・言い伝えがある。
勝負事は勝ってなんぼだし、負けたら何もない。
でもやっぱり「内容」って問われる。
例えば立ち合いの変化や、土俵際の引き・叩き・突き落としばかりで勝ち星を重ねたところでファンの支持は得られない。
正攻法な戦い・必死さ・(伝わる)一生懸命さがあれば、多数の方々に応援していただける。

今場所って言ったってわずか3日しか取り終えてないけど、正代翠富士がこれにあてはまる部分があると思う。

偉そうな屁理屈を並べてしまいましたm(__)m

~ポジティブ・正代~

先場所から何か吹っ切れたかのように積極的な相撲が見られるようになった正代。
昨年末から右足親指の負傷を抱えていたようだが、復調してきたという背景もあるみたいです。3日目は若元春戦。

正代、左差しから力強くすくったところに若元春が巻き替えにきた。
そのタイミングで正代が一気に決めにかかるも(廻しを十分に引いてなかったからか)逆転の突き落としを食らってしまった。
この傾向、初日と昨日の本割り(取り直し前)や以前にも見られたように思う。
勝ち急いでるのかな。結果はついてこなかったが、弱気や消極的なところが見られないので評価していいと思う。

あなたは正代です↓↓↓

~171cm・116㎏が立ち向かう~

先場所初日から10連勝で(11日目まで)優勝争い単独トップの活躍を見せた翠富士。
得意技「肩透かし」を武器に堂々と上位と渡り合っている。
今場所初日は大関獲りのかかる霧馬山をあわやというところまで追い詰め、2日目も土俵際の逆転を許すまでは、攻撃的に支配していたのは翠富士だった。
3日目の今日は、大関・貴景勝戦。

貴景勝主導だったが、いなしながら局面打開を図り、貴景勝の叩きを繰り出すも怯まず立ち向かっていき、常に全力を出し尽くす相撲っぷりに好感が持てた。
3連敗スタートもまだまだ一泡吹かせてくれるのではと期待する自分がいる。

~大の里、初白星成る~

アマチュア横綱からプロ入りした大の里の2戦目。
対戦相手・西幕下10枚目の塚原(春日野)を押し出して待望のプロ初白星を挙げた。
立ち合いしっかり当たると、下がることなく前に出て、最後は頭を低くして押し出した。
おめでとう、大の里!