伊勢ケ濱力士の化粧廻しに

 現役唯一の横綱・照ノ富士をはじめ、多くの人気関取が所属する伊勢ヶ濱部屋。

親方は、第63代横綱・旭富士。

幕内・十両土俵入りを見ていると、この伊勢ヶ濱部屋力士の化粧廻しの贈呈先部分に、最近よく「銀座鮨処いし原」と見かける。

さぞかし、美味しくて高級な寿司屋なのだろう。
とりわけ、相撲に理解のある好角家なのだろう。

検索してみた。

まず、同じ読み方をする「寿司」と「鮨」って何が違うのかなと思ったのだが、
「寿司」はちらし寿司やいなり寿司といった寿司料理全般に使える表記。
「鮨」は旨い寿司を強調した意味で使われるようである。

高鳴る期待。

更に検索を進める。

銀座7丁目のクラブ街に近い場所にあるようで、こちらの女将さんは、祇園甲部で舞妓・芸妓として活躍されていたことが所以なのか、お店の外にかけられてる提灯や、接客や電話対応などの言葉遣いなどが京都テイストとのこと。

相撲好き・伊勢ヶ濱部屋を応援しているのは、この女将さんでしょうか。

口コミ評価も高く、筆者も是非訪れたいと思うのだが、何せ懐が寂しいので実現は困難か😢

日本一地価の高い銀座から、鮨処いし原の従業員達は、連日伊勢ヶ濱所属の力士の勝利を祈って、熱い思いを送り続ける。

銀座鮨処いし原
中央区銀座7-6-5 石井紀州屋ビル 1F
営業時間【昼】11:00~14:00
    【夜】17:00~23:00(22:00LO)
定休日 日曜・祝祭日

相撲駅下車から漂う情景

令和5年1月11日水曜日・大相撲初場所4日目、私は相撲駅・両国に降り立った。

何を隠そう、相撲観戦に来た。

東京都下、神奈川県某市から電車に揺られること、1時間15分ぐらい。

総武線ホームを降りて、目に入ったのがちゃんこ屋の看板の数々。

と同時に、捉えようのない匂いがした。

首を左右に180度、身体を360度回してみたら、至近距離に風呂敷抱えて電車待ちしてる力士がいるではないか。

なんだか独特な甘い香りがする、びん付け油の匂いだ。

「どちらの部屋所属ですか」
「四股名は」
「番付は」

声をかけられないから、心の中で問うてみる。

無表情のちょんまげ力士から、
(取組に)勝ったのか負けたのか
(内容が)良かったのか悪かったのか

淡々と帰路につこうとする姿から、察することはできない。

階段をてくてくと下っていき、改札へ向かうと何枚か優勝額が掲げてある。

やはり、しばらく立ち止まって見入ってしまう、素晴らしき偉人達だ。

ピピっと改札を出たら、相撲みやげ・グッズの露店がある。

右に曲がると、‐両国‐江戸NORENという和食の集合施設(ちゃんこ霧島など)

そこから顔を上げればでっかい国技館。

テンションは否応なく高鳴る。

道なりに歩けば、のぼりの数々。

ひいき力士ののぼりはあるか。
応援してる部屋ののぼりは。
全部で何本あるのかな。来るたびに思ってしまう。

見終わった頃に、国技館入口がある。

今日はどの親方にチケットもぎをしてもらおうかな。

聖地に足を踏み入れ、熱戦の数々を目に焼き付けたのだった。

友綱戦士去る、43歳・魁ノ若引退。

 令和5年初場所限りの引退力士は、13名を数えた。

どんな世界でも同じで、新しく入門してくる者もいれば、去る人間もいる。

120~130㎏台の頃か
写真が若い

そんな中、大島部屋の魁ノ若が43歳でついに現役生活にピリオドを打つ事になった。

最終場所となった1月場所は、西序二段35枚目で3勝4敗で負け越し。

福岡県鞍手郡若宮町出身。

1995(平成7)年3月場所、友綱部屋から初土俵。

最高位は、西幕下14枚目。
三段目優勝経験あり(2001年7月場所)

ちゃんこ長を長く務めてたと聞く。

私は、2012初場所の友綱部屋(大島部屋吸収合併前)の打ち上げパーティーに参加した。

友綱部屋の土俵全面に青いシートを被せ、テーブルを置き、食事を楽しんだ。真冬だったこともあり、心底寒かったのをよく覚えてる。足の裏が冷たいんだな、これがまた(靴をぬぎ、スリッパなどもなく、靴下のまま)

魁聖と写真を撮ってもらい、当時部屋付きだった元魁皇とも少し会話を持った。

力士たちがいろいろと世話をしてくれたのだが、とりわけ太っていて目に付いた力士がいた。

今思えばそれが魁ノ若だったように思う。
調べたら、230㎏ぐらいあった頃か。

ガガチャンネルでお馴染みになった、当時の阿夢露。

そのあと、探していると著名な力士2人との動画が残されているではないか。

28年近い、山あり谷ありの土俵生活、本当にお疲れ様でした。

第2の人生も当然、応援しています!

魁ノ若 尚弥 (かいのわか なおや)
通算成績 547勝573敗35休

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ウルトラよ、ミラクルを起こせ!

 現在の師匠・元幕内北桜が継承してから、珍名力士と話題性に富む式秀部屋。

現役珍名力士の数々・爆羅騎、大当利、冨蘭志壽、黎大丸、爽 など。

とりわけ今日は、165㎝・60.6㎏と一般人よりも小柄と言っても差し支えないだろう、宇瑠寅 太郎(うるとら たろう)に焦点を当てる。

宇瑠寅 太郎(うるとら たろう)こと高橋 徹(たかはし とおる)は1989年5月8日生まれで33歳にもなる。

経歴も少し変わっている。

高校卒業後、大手企業に勤務していたが、「このままでいいのか」と自問自答する生活が続いていた頃、現・式秀親方にスカウトされ、21歳4ヶ月で入門。

相撲経験全くなし。
柔道などの経験はあるようだが、何せこの体格。

2010年9月場所、櫻潮 功道(おうしお こうどう)の四股名で初土俵。
序ノ口と序二段を行ったり来たりすること3年。

2013年11月場所より四股名を宇瑠虎 太郎(うるとら たろう)と改名。心機一転を誓った。奇抜なこの命名、「3分間全力で土俵上で動き回ってほしい」という願いが込められてるそうだが、相撲という競技を3分間を全力で動き回ったら、ヘトヘトになり、精も根も尽き果ててしまうのではないかと懸念があるのだが、それはさておき、名付け親は部屋の女将。

しかし、相撲人生は好転せず苦労が続く。

両肩の脱臼や左足骨折(プレートを入れる程の)
2019年1月の左肩脱臼は、腸骨を移植するまでの手術を受けたほど。

つらく苦しかったこの時期には、こんな逸話があった。

2015年の前相撲で現在の小結・霧馬山、また引退してしまったが、30年ぶりのカナダ人の力士として話題になった誉錦との対戦。
2020年7月場所には戦後初の50歳現役力士、あの華吹(はなかぜ)に善戦及ばず、50歳の初白星を献上した。

いずれの対戦も敗れたので、言葉は悪いが、宇瑠虎(華吹戦では宇瑠寅)は引き立て役になった形となる。悔しかったろう。

またこの期間(2014年11月場所~2019年7月場所)にかけて、
前相撲4場所
番付外8場所
を数えた。

※前相撲と番付外の違い

前相撲(まえずもう)・・・入門した直後の力士が本場所でまず取る相撲。ケガや病気で上位から陥落し、前相撲を取る力士もいる。

番付外(ばんづけがい)・・・新弟子検査の合格者、前場所序ノ口で全休し陥落した力士、前場所の前相撲を全休した力士。これらの力士をまとめて「番付外」と呼ぶ。
とある。ほぼ同じような意味か。呼び方・言葉の違いだけか。

本題に戻す。

2018年1月場所より、宇瑠寅 太郎と改名(呼び方同じ)

2019年9月場所以降は、序ノ口から陥落することはないが、序二段より出世した形跡もないようである。

通算成績147勝210敗63休(65場所)
最高位・西序二段38枚目    sumogamesより

著しい軽量・華奢な体型を自覚し、立ち合いから奇をてらう動きを見せ、勝機を見出す宇瑠寅流。

~小兵名力士の昨今~

肩の脱臼から這い上がった力士と言えば、あの大横綱千代の富士がいる。

小兵力士の代表格には、現役では炎鵬照強、近年では舞の海維新力(チェコ出身の)隆の山辺りが名を馳せた。

33歳になった今も、日々稽古に精進し、研鑽を重ねる宇瑠寅に栄光が舞い降りる日は来るのか。

栃錦と若乃花とデンマーク体操と

 栃錦清隆

後の第44代横綱であり、現役引退後は年寄・春日野として、数々の名力士を輩出し、さらに日本相撲協会理事長として、今日(こんにち)の相撲界発展に努めた。177㎝132㎏の上体で得意技は、左四つ、寄り、押し、上手出し投げとする万能型だった。

そんな栃錦(現役時代)の愛称が次の通り

マムシ

名人横綱
技の博覧会
デンマーク体操
土俵の名人    Wikipediaより
とあった。

デンマーク体操って何ぞや?と思って調べてみると、
ダイナミックな動き・筋肉の伸展運動・振動運動を取り入れて構成されたデンマーク発祥の体操。とあった。
これでもわからなかったから、動画がないかと探してみたところ

まぁ、とにかく四肢を絶え間なく動かし、飛ぶ・跳ねる。
これらが、当時の栃錦の相撲っぷりと重なるものがあったのだろう。

またそれらが、第45代横綱・若乃花との名勝負の数々とつながってくる。

二人は水入り当たり前の激しい熱戦・好勝負を演じ続けてきた。
両者の対戦成績は、栃錦の19勝15敗とほぼ拮抗しており、土俵狭しと目まぐるしく動き回る二人の攻防が、全国の相撲ファンを熱狂させた。

栃錦が逝去して、33年が経つ。

相撲界は巡り巡って大横綱・白鵬が去り、新たな時代が到来するべく、連日熱戦が繰り広げられている。