華王錦 武志(かおうにしき たけし)
第12代東関・元関脇高見山の最後の弟子。
この元高見山から「もっと生やせ!」と言われたもみあげをトレードマークとしていた。
華王錦こと本名:村田武志は、1978年9月14日、秋田県仙北郡仙南村(現・美郷町)に産まれる。
中学時代に相撲部へ入部し、成績を上げた。
~アマチュア時代の実績~
全国中学校相撲選手権大会 団体・個人ベスト8
県立大曲農業高等学校時代 国体出場
東洋大学4年次(主将として)全国学生選手権(インカレ)団体優勝などを経て
2001年5月場所初土俵、翌7月場所序ノ口優勝し、華々しいプロデビューを飾った。
幕下昇進まで1年余り。
その後休場、ケガもあったのだろう。壁にぶつかり、約9年の大半を幕下で過ごした。
光の見えない9年間、華王錦は決して腐ることなく、血と汗と涙、(土俵の)砂にまみれて稽古を重ねた。
また彼は、当時の東関部屋の人気力士・高見盛の付け人を長く務めてきたことでも知られている。
そうした努力・忍耐・鍛錬の日々はついに花開く。
2011年7月場所に新十両昇進を決めたのである。
この昇進は、
・32歳9ヶ月での戦後3位となる年長昇進記録
・学生相撲出身の戦後最年長新十両昇進
・(学生相撲出身で)所要60場所目での史上1位新十両スロー出世記録
という記録付きだった。
ちなみに前場所の華王錦は西幕下3枚目で5勝2敗で、次場所に西十両6枚目へ大きく番付を上げた理由としては、八百長問題で大量引退があっての事だった。
この新十両の場所を6勝9敗で負け越し。
翌9月場所は、右膝半月板損傷のため6日目から休場。この場所の最終成績は2勝7敗6休で幕下へ転落。十両在位はこの2場所だけである。
ここから番付は下降していき、2017年9月場所以降は三段目。
2020年11月場所には42歳で序二段の土俵に上がった。
2021年4月1日付での東関部屋閉鎖が決まり、華王錦は同年3月場所限りで現役を引退した。引退理由としては、部屋の閉鎖と自身のヘルニアを悪化させていたようである。
断髪式は2021年5月30日に、かつて東関部屋が使用していた建物で行われた。130人もの出席者があったようである。
現在は、昨年7月場所から田子ノ浦部屋のコーチに就任したそうだ。
「相撲が好きなので。できる範囲で力士たちの力になれれば」
「若い力士たちもあきらめないで挑戦してほしい。やめたら戻れない。やりきってほしい」
と力強く話す元華王錦。
あの元大関髙安のぶつかり稽古の相手を務めるなど、アドバイスだけでなく、実戦相手にもなり、現状の関取髙安一人だけという田子ノ浦部屋の起爆剤的存在になれるのか。
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