弥生3月、照強の豪快塩まきが見られない

 春場所の新番付が発表になった。

悲喜こもごもあるのは当然のこと。

番付昇格・上昇よりも、気になったのは番付降下者何人かいる中で、伊勢ケ濱部屋の人気力
士・照強が幕下陥落となってしまった。

令和のソルトシェイカーとして知られる。
制限時間いっぱいを知らせる豪快な塩まきは、今や相撲会場名物と言っていいだろう。

ここ2場所大きく負け越している。
九州場所0勝15敗、初場所の5勝10敗の成績を受けて、春場所は西幕下筆頭へと番付を下げてしまった。

ケガや体調不良でもあったのか、メンタルに問題ありか。

ゆえに、3月場所は照強の塩まきは楽しめない(進行が早かった時、時間調整の関係であるかもぐらいの確率)

しかし、あの小兵を活かした足を取ったり蹴ったり、腕を取ったり、低く潜ったり、猫だましをかましたりと変幻自在の照強ワールドで幕下陥落の屈辱を晴らしてほしい。

コロッケと相撲界の浅からぬ縁

先日の徹子の部屋のゲストは、ものまねタレントの第一人者・コロッケであった。

そのコロッケ氏が、相撲界と縁があったことをご存知でしょうか。


佐渡ヶ嶽部屋所属・元琴滝川(ことたきがわ)

コロッケの次男にあたる。

今、検索したって、当時のスポーツ新聞の記事やいろんなサイトが出てくる。

2014年3月場所初土俵から、最終場所が2015年5月なので、土俵生活はわずか1年余りでしかない。

戦歴
2014年5月 西序ノ口10枚目 4勝3敗
     7月 西序二段69枚目 3勝4敗
     9月 西序二段86枚目 3勝4敗
    11月 東序二段91枚目 4勝3敗
2015年1月 西序二段56枚目 4勝3敗
     3月 西序二段29枚目 全休
     5月 西序二段99枚目 全休

18勝17敗14休 力士在位8場所

172㎝・132㎏から繰り出された生涯戦歴である。 (力士情報より)

2015年初場所の大瀬海戦で右肩を脱臼し、力士生活を断念する結果になったらしい。

動画もあった。数あるうちの10番目に大瀬海戦が入っている。

滝川 歩
元琴滝川 歩

今いずこ

オヤジさんの定番ネタです↓↓↓

高見山最後の弟子、高見盛の元参謀、華王錦 武志

 華王錦 武志(かおうにしき たけし)

第12代東関・元関脇高見山の最後の弟子。

この元高見山から「もっと生やせ!」と言われたもみあげをトレードマークとしていた。

華王錦こと本名:村田武志は、1978年9月14日、秋田県仙北郡仙南村(現・美郷町)に産まれる。
中学時代に相撲部へ入部し、成績を上げた。

~アマチュア時代の実績~

全国中学校相撲選手権大会  団体・個人ベスト8
県立大曲農業高等学校時代  国体出場
東洋大学4年次(主将として)全国学生選手権(インカレ)団体優勝などを経て

2001年5月場所初土俵、翌7月場所序ノ口優勝し、華々しいプロデビューを飾った。

幕下昇進まで1年余り。

その後休場、ケガもあったのだろう。壁にぶつかり、約9年の大半を幕下で過ごした。

光の見えない9年間、華王錦は決して腐ることなく、血と汗と涙、(土俵の)砂にまみれて稽古を重ねた。

また彼は、当時の東関部屋の人気力士・高見盛の付け人を長く務めてきたことでも知られている。

そうした努力・忍耐・鍛錬の日々はついに花開く。

2011年7月場所に新十両昇進を決めたのである。
この昇進は、
・32歳9ヶ月での戦後3位となる年長昇進記録
・学生相撲出身の戦後最年長新十両昇進
・(学生相撲出身で)所要60場所目での史上1位新十両スロー出世記録
という記録付きだった。

ちなみに前場所の華王錦は西幕下3枚目で5勝2敗で、次場所に西十両6枚目へ大きく番付を上げた理由としては、八百長問題で大量引退があっての事だった。

この新十両の場所を6勝9敗で負け越し。
翌9月場所は、右膝半月板損傷のため6日目から休場。この場所の最終成績は2勝7敗6休で幕下へ転落。十両在位はこの2場所だけである。

ここから番付は下降していき、2017年9月場所以降は三段目。
2020年11月場所には42歳で序二段の土俵に上がった。

2021年4月1日付での東関部屋閉鎖が決まり、華王錦は同年3月場所限りで現役を引退した。引退理由としては、部屋の閉鎖と自身のヘルニアを悪化させていたようである。

断髪式は2021年5月30日に、かつて東関部屋が使用していた建物で行われた。130人もの出席者があったようである。

現在は、昨年7月場所から田子ノ浦部屋のコーチに就任したそうだ。
「相撲が好きなので。できる範囲で力士たちの力になれれば」
「若い力士たちもあきらめないで挑戦してほしい。やめたら戻れない。やりきってほしい」
と力強く話す元華王錦。

あの元大関髙安のぶつかり稽古の相手を務めるなど、アドバイスだけでなく、実戦相手にもなり、現状の関取髙安一人だけという田子ノ浦部屋の起爆剤的存在になれるのか。

高見山相撲カード各種↓↓↓


オレンジ色のナイスガイ

 高見山 大五郎・・・初の外国出身外国籍の関取。

若かりし頃の
高見山

 旭大星 託也・・・・大島部屋現役力士・最高位西前頭8枚目、序ノ口まで転落も再起を期す。

両者の共通点・・・オレンジ色の締め込み


ハワイ出身の高見山は、南国育ち特有の明るさと愛嬌があり、数々のCMキャラクターにも起用された。

一段と有名になって、より人気が出ましたよね。

大らかな人柄、独特のハスキーボイス。

しかし、ここまでになるまでの苦労は数知れず。

ちゃんこの味に馴染めない。
体が固く、股割りができない。

それらを乗り越えて、栄光をつかむ。

主な実績
高見山 大五郎(たかみやま だいごろう)
幕内優勝1回 1972年(昭和47年)7月場所
殊勲賞6回・敢闘賞5回
金星12個(輪島7個、佐田の山・柏戸・北の富士・琴櫻・北の湖各1個)
最高位・東関脇
生涯戦歴 812勝842敗22休 (122場所) wikipediaより

輪島キラーと呼ばれ、その輪島戦で金星を上げた動画が残っていた。

1984年5月場所限りで引退、年寄・東関襲名。
代表力士として、横綱・曙や小結・高見盛などを育てた。

一方の旭大星。

北海道旭川市出身。
小学校2年から柔道を初め、中学2年のときに評判を聞きつけたのであろう、大島部屋からスカウトされるも断り、高校へ進学。柔道部エースとして活躍。再び大島親方から入門を決意。

旭川市出身で、元旭國からスカウト。自らも「」がつく四股名の力士になったのは、相撲の神様が定めた運命か、いたずらか。

初土俵後、6年かけて新十両。そこから4年かけて新入幕。

膝の靱帯負傷で、番付を序ノ口まで落とすも再起し、最新の令和5年初場所では、東序二段28枚目で6勝1敗と大きく勝ち越しているので、迎える春場所は三段目中位ぐらいまで番付を上げてくるのではないか。

趣味はトレーニングという相撲の塊。

ケガによる不運でどん底を味わったが、不屈の闘志で関取の座を再びつかみ取り、またオレンジ色の締め込みで活躍する日が来ることを切に願う。

主な実績
旭大星 託也(きょくたいせい たくや)
敢闘賞1回
最高位・西前頭8枚目
生涯戦歴 444勝403敗72休(89場所)Wikipediaより

高見山とコツコツ↓↓↓

80年代・隆盛を極めた九重の一角、大富士 慶二

 1980年代の九重部屋。

当時の師匠は現在のNHK解説者で知られる、元横綱・北の富士。

横綱に「ウルフ」こと千代の富士(優勝31回・通算1045勝)

北勝海(第61代横綱、現・日本相撲協会理事長)を輩出。

当時の角界を席巻した老舗名門相撲部屋である。

この2横綱に加えて、多くの九重部屋所属力士が活躍したが、今日は相撲引退後、タレントと

タレント時代の画像

としても活躍した、大富士 慶二に着目する。

1958年8月26日生、東京都大田区出身。

1974年9月、本名の「伊藤」で初土俵。
序二段を2年、三段目を4場所で通過、1977年3月場所、満18歳で幕下へ上り詰めた。
1978年7月、19歳で新十両昇進と順調な出世街道を歩む。

しかし、ここから幕下と十両の往復、関取と力士、栄光と没落・失墜の狭間での力士生活を送った(約8年)

1983年春場所、5度目の十両復帰を果たし、4場所連続で関取の座を守っていたが、同年9月場所2日目の益荒雄戦で右膝脱臼及び靱帯断裂の重傷を負い、幕下陥落。公傷が適用されるも回復が遅れ、1984年5月場所まで4場所全休する羽目に。

翌7月場所、番付を東三段目74枚目まで下がったが、地力の違いを見せて三段目優勝を飾る。翌場所幕下復帰を果たすも、また途中休場ののち3場所連続で全休。

休場明けの1985年5月場所、東序二段100枚目で7戦全勝で優勝(序二段)を決めた。
最終的に東幕下51枚目まで復活するも、1986年初場所初日に敗れ途中休場、場所後27歳で廃業を発表した。

最高位は西十両6枚目・十両在位10場所・十両陥落5回。
山あり谷あり、大富士の相撲人生だった。

~相撲界を去り、タレント転向へ~

お笑い界の巨匠・ビートたけしの勧めで芸能界入り。

オフィス北野所属のタレント・俳優となる。

当時、高視聴率番組だった

「風雲!たけし城」のアトラクション「すもうでポン」

「天才・たけしの元気が出るテレビ」等に出演・活躍。

また、演出家・蜷川幸雄作品の「夏の夜の夢」「近松心中物語」「NINAGAWAマクベス」「お気に召すまま」など数多くの舞台に出演。晩年は舞台中心に活動していたようだ。

2012年に54歳で亡くなっている。