太寿山の花籠人生

 つい先日に当ブログで、元横綱・稀勢の里が師匠を務める二所ノ関部屋を取り上げた。
主旨としては、茨城県・阿見町の広大な土地に、新部屋を興した斬新なアイデアという旨のもの。

で、思い出したのが現・花籠親方(元太寿山)が、現役引退後、二子山部屋から分家独立したこと(一都三県以外に部屋を構えたという意味で)

背景としては、

11代花籠(元前頭・大ノ海)の次男は山梨県上野原町で不動産開発会社の代表を務めていたが、当時は閉鎖となっていた花籠部屋を再興するため、相撲関係者ではない人物に渡っていた花籠名跡を億単位の金を支払って入手した。しかし年寄名跡を襲名継承するのに必要な資格はないため、自ら花籠部屋を継承運営することはできなかった。

11代花籠の弟子である10代二子山(初代横綱・若乃花)は、事情を知ると自らの弟子で二子山部屋の力士であった太寿山を花籠部屋の後継者として推薦し、次男は自らの会社の本拠地である山梨県上野原町での相撲部屋開設を条件として名跡を譲渡した。これにより1992年、15代花籠(元太寿山)により花籠部屋が開設された。しかし他部屋への出稽古や新規入門者の相撲教習所通学に支障があり、1996年12月に部屋を墨田区両国に移転。これに反発した11代次男は年寄名跡の返還を求める民事訴訟を起こしたが、1998年9月、裁判は15代側が勝訴して決着した。(Wikizeroより)

この事実。
当時、何で山梨県(東京寄りの上野原)に相撲部屋を持つのかなと思っていましたが、こういう事だったんですね。中央線と総武線を乗り継いでも(電車に乗ってる時間だけでも)両国まで、1時間30~40分ちょっと。プラス徒歩の時間を入れればどのくらいの時間になるものか。

結果、あえなく4年で撤退(両国に移転)
訴訟まで起こされ、難しい問題に発展したそうだが・・・。

しかし、そこから16年後の2012年。
またも経営難を理由に(当時の)花籠部屋が閉鎖されてしまった。
当時所属していた十両荒鷲ら力士10人や行司、呼び出し、床山が同じ二所ノ関一門の峰崎部屋に移籍。太寿山(花籠)自身も峰崎部屋付きになった。

その峰崎部屋も、2021年に7代峰崎(元幕内・三杉磯)が定年退職するにあたり、同じ二所ノ関一門の高田川部屋に再移籍。流転の相撲人生か。

現在の花籠(太寿山)は、相撲協会理事(教習所長・危機管理部長・コンプライアンス部長・博物館運営委員)として活躍。定年まであと2年を切っている。

あの元関脇・太寿山です↓↓↓

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