現役幕内力士の年齢順、上から5位の佐田の海(35歳)
幕内在位45場所を数えるいぶし銀の力士である。
また、親子関取としても有名。父は1980年以降関取として駆け抜けてきた人気力士であった。
今日はこの佐田の海親子についてスポットライトを当てる。
~オヤジ・佐田の海 略歴~
中学卒業後に出羽海部屋(当時の師匠、元横綱・佐田の山)へ入門し、1972年(昭和47年)3月場所で初土俵。
1978年3月場所、新十両昇進。
1980年11月場所、新入幕昇進。(同じ新入幕力士として、のちの大関・北天祐)
この新入幕の場所で初日からの9連勝の星を含む11勝4敗という好成績を収め、敢闘賞受賞。
翌1981年は、6場所中4場所を勝ち越し、(この年の)九州場所には東前頭4枚目で10勝5敗で技能賞を獲得した。
次の(1982年1月場所)には東小結に番付され、三役昇進を果たす。9日目に横綱・千代の富士に勝ち、8勝7敗で殊勲賞受賞。
通常の星勘定からすると、翌場所1つ上の関脇へとなるのだが、(当時の番付で)西小結・出羽の花10勝、西前頭2枚目で12勝の若島津が東西の関脇に振り分けられ、佐田の海は東小結に据え置かれた。
以降も何度か近い位置に番付されることがありながら、関脇昇進は成らず。
懐かしい名前・顔ぶれである
1988年7月場所中に引退。
以後は出羽海部屋付きの親方として協会に残っていたが、1999年8月に退職。
ちゃんこ料理店「相撲茶屋 佐田の海」を大阪府東大阪市内で経営していたそうだが、肘の手術を受けてからは店は娘さんに任せてるそうだ。
もろ差しからの速攻が今でも目に焼き付いている。
オヤジ・佐田の海➡➡
~息子・佐田の海 略歴~
かわって、現役(息子)佐田の海の略歴。
1987年5月11日、上述した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として生まれる。
幼稚園の頃から力士を志しており、中学卒業と同時に父から勧められた元小結・両国が師匠を務める境川部屋に入門した(本人は父が所属していた出羽海部屋に入門すると思い込んでいたらしい)2003年3月場所で初土俵。
2007年11月場所で、三段目優勝。
そこから2年以上時間を費やして、2010年7月場所に新十両昇進。栃東親子以来、14年ぶりとなる史上9組目の親子関取が誕生した。
しかし、道のりは平坦にはならなかった。
度重なるケガ(右足首脱臼骨折、左目眼底骨折)があり、再度幕下に低迷した時には付け人やちゃんこ番を務めた期間があった。
それでも腐らず稽古を繰り返すと道が開けてくる。
新入幕を2014年5月に所要66場所で果たし、これにより父と自身が史上8組目の親子幕内となった。更にこの場所を10勝5敗で終え、敢闘賞受賞。父と同じ系譜を継いだ。
2015年5月場所では、東前頭3枚目の地位で、横綱・日馬富士を破って初金星をあげるなど、8勝7敗と活躍。
現時点の最高位はその翌場所(2015年7月場所)の西前頭筆頭。
その後、またケガや病気などに苦しみ、十両に陥落すること3回。
不屈の闘志で這い上がり、去年(2022年)5月、西前頭12枚目で11勝を上げ、8年ぶりの敢闘賞を受賞。それ以降は前頭5枚目前後をキープしており、35歳は大いに土俵を盛り上げている。
右四つ寄りからの速攻相撲を得意にするスタイルは父親譲り。
土俵際での粘りがあり、逆転勝ちをものにすることもしばしば。
近年では、安美錦や旭天鵬のように40歳を過ぎても関取として活躍したレジェンドもいる。まだまだ相撲ファンに多くの感動を与えてほしい。
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