芳東、関取離れて約9年

 芳東 洋(よしあづま ひろし) 玉ノ井部屋所属。

熊本県上益城郡嘉島町出身。

(失礼だが)最近、とんと聞かれなくなった名前だ。

検索をかけたら、約9年もの間、幕下以下で苦労をしていることがわかった。

1996年1月場所初土俵。

2007年11月場所新十両時の30歳5ヶ月での関取到達は戦後6位、年6場所になってからは史上3位の年長記録である。しかし、1場所で幕下へ陥落した。

そこから、再十両まで3年もの時間を要す。その後は八百長問題が発覚。多くの力士が引退を余儀なくされた事が、皮肉にも悲願の新入幕への一助となる。

2011年9月、念願叶った新入幕達成には、初土俵から所要93場所での新入幕は史上3位のスロー記録となり、34歳3ヶ月での新入幕も戦後2位の年長記録がついた。

この時を含めて、幕内に3回昇格しているが、いずれも1場所で陥落。

最高位東前頭12枚目。

通算幕内在位3場所、同十両18場所と通算21場所、関取を務めている。

十両時代に、あの照ノ富士に勝った取組の動画があった。

得意の右四つの型に持ち込めば、力相撲を発揮し、左上手を引き付けて腰を落とし胸を合わせた体勢から出る相撲が芳東の勝ちパターンであると、Wikipediaに書いてあったが、正にこの通りの相撲で、のちの横綱を破った一番であった。

2014年11月場所以降からは、幕下以下の力士生活が続いている。

(内訳は)幕下9場所・三段目37場所・序二段4場所(感染症拡大により中止1場所)

最新の今年春場所では、東序二段7枚目で4勝3敗と勝ち越した。

角界きっての長身力士(現役の日本人力士では最も長身)その体格から、「和製把瑠都」と呼ばれている(これは初めて知ったな)

45歳はまだまだ諦めない。

ユニークな玉ノ井部屋トートバッグ↓↓↓

若隆景が心配です

 昨日の昼下がりに驚きのニュースが入ってきた。

大相撲の関脇若隆景が右膝の手術を受け、夏場所を休場することが14日、分かった。

師匠の荒汐親方(元幕内・蒼国来)は取材に対し「復帰には半年以上かかる」とし、リハビリが長期化する懸念を示す。

 若隆景は春場所13日目の琴ノ若戦で負傷。「右前十字靭帯(じんたい)、右外側半月板損傷」などと診断され、14日目と千秋楽を休場した。荒汐親方によると靭帯の再建手術を場所後すぐに受け、すでに退院した。(時事通信より)

この一番、物言いがついて取り直しになったのだが、最初の本割りで痛めたらしい。

 

本割りの最後にうっちゃり気味に動いた時に痛めたのか。さがりを取ろうとする時も少し間があった。
そのあと、よく取り直しの一番に臨み、しかも勝ち切ることができたな。

近年、膝のけがで番付を大幅に落とし、そこから復活してきた例(現役力士)としては、
照ノ富士(大関⇒序二段48枚目⇒横綱
栃ノ心(小結⇒幕下55枚目⇒大関
宇良(幕内⇒序二段106枚目⇒前頭筆頭)
友風(幕内⇒序二段55枚目⇒十両13枚目)

往年では、有名すぎる例として
琴風(関脇⇒幕下30枚目⇒大関)がいる。

長期休場(半年から1年ぐらい)、かなりの番付降下はやむを得ないだろう。

7場所連続で守った関脇の地位は失う。

兄の若元春は「リハビリで元に戻すのは大変だと思うが、彼は一生懸命に相撲と向き合える。すぐに戻ってくると思う」とエールを送った。(サンスポより)

まずは、しっかり治すという師匠の決定は英断。

しばらくつらい時間を送ることになるが、ここは「先は長い」と捉え、乗り越えたそのあとに幕内上位に必ず戻り、劇的復活を成し遂げてほしい。

公傷制度復活はもうないままなのか。土俵上(取組中)のケガですよ。

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突っ張りの名勝負と言えば…、蘇る!麒麟児-富士櫻

 相撲の取り口と言ったら「四つ相撲」と「突き押し相撲」に二分される。

がっぷり四つとなっての引きつけ合っての寄り、または豪快な投げを打つなどの四つ相撲も良いが、立ち合いからのお互いの闘志をぶつけ合うかのような激しい突き押し相撲も面白い。

突き押しの相撲で忘れられない取組は?と聞かれたら即答で答える一番が今でもある。

麒麟児-富士櫻

NHK中継での中入りの時間や、他のメディアでも何度となく取り上げられ紹介されてきた。

1975年5月場所の8日目、この日は天覧相撲であり、過去2回の対戦が大熱戦だったためそれに合わせて組まれた東小結・麒麟児対西前頭筆頭・富士櫻の一番は、両者54発ずつ、総計108発の激しい突っ張りの応酬もあり大いに盛り上がった。富士櫻の口の中が切れるほどの激戦で、昭和天皇も身を乗り出し固唾を呑むように勝負の行方を見守った。このため富士櫻対麒麟児はとっておきの割として重宝され、東京場所では天覧相撲の予定があればその日に対戦できるように割が組まれた。(Wikipediaより)

とされるこの一番を見てみよう。

26秒で決着のついた取組だったそうだが、こんなに濃密な突っ張りあいにはなかなかお目にかかれない。昭和天皇がこよなく愛されていたのもよくわかる気がする。

因みに、この両者の対戦成績は麒麟児の17勝9敗で勝ち越し。時間前に立ち合うこともしばしばあったそうだ。

~両者の現役時代を振り返ると~

麒麟児 

生涯戦歴:773勝792敗34休(129場所)
最高位:関脇
三賞受賞:殊勲・敢闘各4回、技能賞3回
金星:6個(輪島2回、北の湖・三重ノ海・2代目若乃花・大乃国から各1個)

富士櫻

生涯戦歴:788勝825敗45休(132場所)
最高位:関脇
三賞受賞:殊勲賞2回、敢闘・技能各3回
金星:9個(輪島・2代目若乃花から各3個、北の湖2個、琴櫻1個)

~両者の引退後~

麒麟児

引退:1988年9月場所

年寄・北陣襲名。本場所中継の解説もそうだが、特に「サンデースポーツ」の解説が好評を博す(私も大好きだった)

後年は病気・体調不良に苦しんだ。
長く大相撲中継の明快な解説で知られたが、2015年5月場所を最後に病気のため、出演しなかった。角界関係者によれば、この頃に頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面に麻痺の症状が残ったという。そのため、現役時代の面影は薄れていたと伝わる。
私も、確か大相撲いぶし銀列伝(フジテレビのCS)だったかで、その術後だったのだろう、麒麟児(北陣親方)を見て、随分と形相が変わってしまったなと驚いたものだ。

2018年3月、再雇用制度を利用せず相撲協会を定年により退職。

2021年3月1日、多臓器不全のため死去。67歳没。

富士櫻

引退:1985年3月場所

年寄・中村襲名。

1986年7月に高砂部屋から独立して中村部屋を創設した。角界きっての人格者として知られ、弟子に対する粘り強い指導で知られた。

2013年2月8日の定年退職を控えて、2012年12月19日に中村部屋は閉鎖。その中村部屋は2013年4月(途中)から、元横綱・武蔵丸が親方を務める武蔵川部屋に引き継がれ現在に至る。

  ~麒麟児のWikipediaより~

(麒麟児)死去の際にライバルの富士櫻は1975年5月場所中日の天覧相撲の思い出を「本当に悔しかったですけど、自分の相撲を取り切ったという自負もあって、満足感の方が強かった。後でテレビを見ていたら、陛下も手を叩いてお喜びになっていました。いい思い出をありがとうと伝えたいです」と語った。
また、富士櫻が定年を前にした大相撲中継で幕内の取り組みの正面解説を務めた時には、麒麟児が向こう正面の解説者として出演し、上記の取り組みなどを踏まえて思い出を語り、労を労っている。

と、こんな感動的なエピソードも残っていた。

はるまふじとはるなふじ

 このタイトル⇧6文字目の「と」を境に前半5文字と後半5文字は、それぞれ3文字目の「ま」と「な」の違いしかない。

平仮名だけ追いかければ、何の変哲もない。

ここに「相撲」というキーワードを落とし込めば、景観はガラリと変わる。

漢字に置き換えると、前者は日馬富士、後者は榛名富士となる。

しかもこの2力士、「関取」まで名を馳せ、相撲界で成功を収めた偉大な二人だ。

前者から。
説明不要の第70代横綱である。

モンゴル国コビアルタイ出身の伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)に所属。

関脇時代まで「安馬」と名乗る。

幕内優勝9回
大関22場所、横綱31場所を勤め上げた。

横綱昇進前に32連勝を記録している。

137㎏の軽量ながら、持ち前の稽古熱心さと研究熱心さで、ついには横綱の地位まで登り詰めた。

その新横綱誕生となった一番の動画である。
2012年秋場所千秋楽・横綱白鵬戦。

横綱昇進後の優勝5回。
成績もそんなに大崩れすることなく、立派に横綱の地位を全うしていたように思えた。

2017年、不祥事が絡み、正直後味の悪い引き際となったが、伊勢ヶ濱部屋コーチに就任したあとの同年9月1日、故国モンゴルにて日本の文化や歴史、言語を学ぶ教育を取り入れた小中高一貫の「新モンゴル日馬富士学園」を設立し、理事長に就任している。

2023年1月28日、同郷の先輩横綱、元白鵬の宮城野親方の断髪式に参加するために来日。大銀杏にはさみを入れ、元気な姿を見せた。

対して、榛名富士。
大鵬部屋に所属した元力士。
1971年5月場所初土俵。最高位は東十両2枚目。
群馬県沼田市出身。同郷ではサーカス相撲で一世を風靡した、あの元関脇栃赤城がいる。

大鵬部屋繫がりで言えば、主に巨砲、嗣子鵬(満山)世代といったあたりか。

付いた四股名の由来は、出身地にちなんだものだろう。

            榛名富士と榛名湖

初土俵から、10年かけて十両昇進。
1985年7月場所、西十両6枚目で10勝5敗の優勝同点。
同年9月場所、東十両2枚目で新入幕のチャンスだったが6勝9敗と負け越し。

1986年5月場所、幕下に陥落。
翌1987年1月場所後に廃業、相撲界から去っている。

両人とも角界から離れてしまったが、現役時代に培った相撲精神・経験を武器に、社会人として忙しい日々を送っているのであろう。

これは自慢できます↓↓↓

正代春巡業日記 ~ツイッターから~

元大関・正代直也。
先場所(春場所)において、それまでの3場所連続の負け越しを振り払うかのように、前頭筆頭で10勝を上げ、存在を再びアピールした正代。

巡業では元気にやっているのかな?と思い、ツイッターで検索してみた。

https://twitter.com/_sumolove_/status/1643564640276992000

一部を抜粋したが、やはりファンとの交流・触れ合うものが多かった。

実力者・人気者がゆえに、サイン・写真等をお願いする人がたくさんいるのだろう。

熱烈なファン・愛好家からすれば、この機会を逃すまい。

春巡業は、今週末から後半に入り、神奈川・東京・群馬・千葉・茨城などを回ることになっている。

三役復帰当確と言ってもいいであろう、夏場所の正代。

関脇以下に予想される顔ぶれを見渡しても、(優勝争いに)つけ入る隙は十分にあると見る。

自信を持ち、焦らず自分の相撲を取りきることができれば、過言ではない。

また、感動を呼び起こしてくれ!正代。

地元新聞社発行の写真集です↓↓↓