千代の富士の命日に、初顔の小錦戦を振り返る

 今日7月31日は、あの昭和最後の大横綱・千代の富士の7回目の命日に当たる。
もう7年が経ったんだなぁ。歳月が過ぎ去っていく早さを実感している。

この命日に、多大なる功績を残してくれた千代の富士の何かを振り返ろうといろいろ模索したところ、浮かんできたのがこの1番。

千代の富士ー小錦(初顔合わせ)昭和59年秋場所14日目

ハワイ・オアフ島出身。黒船襲来と恐れられた驚異的破壊力と突き押しで番付を駆け上がり、迎えた千代の富士との初顔合わせ。

※当時の千代の富士(1984年)の背景・・・休場2回と皆勤した2場所も12勝と11勝、この9月場所も9勝4敗でこの日を迎える。(千代の富士にしては)良くない、不調が続いていた時期だった。

下から下から小錦が突き上げるように押す。これが誠に強い。千代の富士、得意の前みつを引こうにも触れられない。この強力な圧力と突き押し、わずか数発で千代の富士は土俵の外へふっ飛ばされてしまった。

この敗戦を機に、千代の富士は琴風に初顔からの5連敗からの猛稽古で苦手克服したように、小錦のところにも出稽古を散々繰り返して、通算対戦成績を20勝9敗としたのであった。

この時点で千代の富士29歳、9度の優勝。ここから22回の優勝を積み重ねる大横綱に登り詰めるのであった。今にして思えば、ウルフの相撲人生で数ある転機・分岐点のひとつになったと言えよう。

この場所の幕内優勝は平幕(12枚目)の多賀竜。
当時、東京場所の常設だった蔵前国技館最後の場所。

相撲史が大きく生まれ変わる時期の思い出・エピソードのひとつだ。

常に大横綱と一緒に↓↓↓


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