元・寺尾、錣山親方死去

 いやぁ、びっくりしました。
「こんな事、あっていいのか」って感じです。

元関脇・寺尾の錣山親方が17日、東京都内の病院で死去されました(以前から不整脈など心臓に持病があった)
享年60歳。体調不良だということは知っていましたが、訃報がこのように駆け巡るとは思いませんでした。

「福園3兄弟」としてその名を博したが、
長男 鶴嶺山 2020年3月に60歳没、急性心不全
次男 逆鉾  2019年9月に58歳没、膵臓がん

と、福園兄弟は早逝しています。

私自身の思い出・印象を振り返る。
寺尾の現役時代としては、人柄・人間性をそのまま表すかのような回転のいい突っ張り、気っ風の良さ・軽量、筋肉質でイケメン。鉄人。

親方としては(いつだって)相撲愛あふれる解説、阿炎不祥事の時の対応(阿炎が謹慎に入るタイミングで、TV解説の日に)謹慎の事情説明とお詫びを話した器の大きさや人としての公正さなど。

今年9月・秋場所を観戦した私はチケットもぎを(顔ぶれから選んで)錣山親方にお願いした。その時の印象として(元々、痩身だが)また痩せられたかなという感じはありましたね。
(また少し)頬がこけたかなというか。

2004年に錣山部屋を開設。育てた関取として、
関脇・阿炎
小結・豊真将
幕内・青狼
十両・彩、王輝 らを育てられました。

また思い出の取組としては、この2番ですかね。

敗戦直後に、下がりを思い切り叩きつけたシーンが今でも目に焼き付いてます↓↓↓

寺尾常史さんの素晴らしい人となり(相撲取りとしての)感動・ドラマを忘れません。

ご冥福をお祈りいたします。

お悔やみ申し上げます。

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足取りの妙

前々回の当ブログで、照強の「足取り」について少し触れたが、今日はここに焦点を当てる。

足取り・・・相手の懐に潜り込み、相手の片足を両腕で抱え、体重をかけて仰向けに倒す技。 

とあった。

この取組は、おととしの5月場所初日 序二段 大翔-千代太陽 の一番である。
最初から狙っていた感はあるが、自分よりも大きな力士を鮮やかに倒した相撲。
※現在の千代太陽は97㎏。三段目で活躍中。
※大翔は現在138㎏。序二段に在位している。

~炎鵬の足取り~

炎鵬も華麗な足取りを見せている。
この相撲もおととしの3月場所の初日、対 千代ノ皇戦。
思い切りいなして距離を作り、下にもぐって足取りを決めてみせた。

過去にこの「足取り」で15勝を稼いでいる。
「令和の牛若丸」も今年の夏場所中に脊髄損傷の大ケガ。自力で立てない寝たきり状態にまでなったそうだが、徐々に回復。実戦稽古を再開し、序二段力士を相手に13連勝したそうだ。初場所の出場に関しては、まだ未定で慎重な姿勢を崩さない。完全復活は、いつの日か。

決まり手・足取りとは、小兵が大柄力士に対してとか、平幕力士が(圧倒的不利と言われる)横綱大関に対して決まると映える技である。

 

斬新なトレーニングジム…、厳しかったか。

 去年の九州場所限りで引退した元・西前頭筆頭の豊山亮太こと、小柳亮太さん。
協会に残ることなく即退職をし、都内でパーソナルトレーナーとして活動する意向を示していたが・・・。

今年4月から秋葉原のマンションの一室で始めた自身のX(旧・ツイッター)でそのパーソナルジム「OYG」の閉店を発表した。

https://twitter.com/oyanagiryouta91/status/1734757139124797590

う~ん、今までに見られない斬新なアイデアを打ち出したが、現実は厳しかったか。
「相撲の要素を取り入れたメニューでトレーニング」
⇈⇈これ面白そうに見えたが、このトレーニングに対するもろもろの諸経費(コスト)を差し引いたら、経営として成り立たないという結論になり、撤退という結果になったか。
どうなんだろう?

ハーフマラソン完走や、各種スポーツイベントに積極的に参加、自身でも70㎏以上のスーパーダイエット(減量)に成功。などなど、いろんな行動を発信し続けていただけに残念なところだ。

・家賃が高そう
・ダイエット目的で四股トレーニング しかもパーソナルなんて女性は見向きもしない

など、ネットニュースの記事に散見されたコメントである。
今年4月のオープン、1年と経たないうちに撤退になった。

今後の小柳亮太氏の成功・活躍を祈らずにいられない。

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95年1月生まれの元関取2人 照強と魁勝

 照強と魁勝、共に幕下陥落して5場所が経過した。

この2人、1995年の1月生まれで偶然に同学年であった。

照強翔輝 (伊勢ヶ濱・28歳、最高位西前頭3枚目)

生年月日・1995年1月17日生まれ

「令和のソルトシェイカー」も、最近は不甲斐ない。

歴戦のダメージ・消耗が激しいであろう短駆と軽量、糖尿病も持病として抱えている。
ちょうど一年前の九州場所で、幕内であの板井以来31年ぶりの15戦全敗を記録した時には、両膝の故障していたとか(膝の故障・痛みに関しては、大なり小なり多くの力士は抱えているものだが)
によって、去年から今年(12場所の)番付降下が著しい。
最近の照強の相撲をなんとなく見てると「闘志」とか「気迫」とかメンタルの部分で伝わってくるものが弱いというか、少ない気がする。

これでしたっけねぇ、照ノ富士が序二段まで番付を落としてから幕内に戻った時の優勝をアシストする形になった一番は

兵庫県南あわじ市出身。
四股名に込められた意味や願いは、阪神・淡路大震災があった日に生まれたことから
「強くなって被災した地元を照らせるように」とある⇦有名な話
今はここに立ち返って、気合を入れ直して頑張ってほしいものだ。

魁勝旦祈 (浅香山・28歳、最高位西十両2枚目)

生年月日・1995年1月28日生まれ

浅香山部屋初の関取として期待の大きかった魁勝も伸び悩んでいる。
どこか悪いのかな?
再十両の場所(2021年7月)に11番勝っていよいよ(覚醒)かと思われたが、ここまでは尻すぼみな印象である。
かつては、阿炎が出場停止解除後に記録していた連勝を21でストップさせたりと話題に上ることもあったが。

今年3月から幕下に陥落。9月・秋場所には東3枚目まで盛り返したが2勝5敗。
11月の九州でも、東10枚目で1勝6敗。次の場所では大きく番付を落とすと予想される。

・「魁勝」と名乗る前に3年ほど「魁盛王」と名乗っていた時期がある。東関部屋へよく出稽古に通っていた時、部屋付きの振分(高見盛)から右四つの型の指導を受けるようになったきっかけが理由(初めて知りました)

・力士になる前、地元・愛知では柔道で活躍していた時に「三河のターミネーター」と呼ばれていた、スゴいあだ名だな。

奮起を促したい、両力士に。

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豪風を選んだ元関取2人 天風と矢後

 四股名に「風」が付く力士の多くは、元・尾車部屋で経験を積んだが多い。
押尾川部屋を選択した元関取2人のその後は。

天風 健人(あまかぜ けんと)

去年2月、当時の師匠、元・大関 琴風の定年によって、押尾川(元・豪風)か中村(元・嘉風、※部屋設立の準備・計画が遅れていて、現在は二所ノ関部屋の部屋付き)の2択を迫られ、天風は押尾川部屋を選んだ(このタイミングで引退も考えたそうだが、師匠に慰留された)

当時、三段目だった番付も2場所連続休場などもあり、序二段まで落としたが、着々と上昇。九州場所は西幕下40枚目まで戻した(3勝4敗)関取離れて5年超、初土俵から16年、もう32歳になった。まだまだいける!

矢後 太規(やご たかのり)

こちらは、プロデビューから一貫してこの本名で取り続けている。

アマチュア横綱から鳴り物入でプロ入りしたが、いまひとつ伸びてこない(現在の最高位は西前頭10枚目)調べたら休場歴もなく来てるのだが。どうしてか?
入門前(中学時に両膝の靱帯を痛めている)しかし、高校・大学時の全国大会での活躍、そこからプロ入りを選択したのが、すごいところだが。

腰高とスピードを意識した相撲を求められてるようだ。
ここ2年の番付変遷としては、去年初場所~名古屋場所まで4場所十両を務めたが、そこから幕下に陥落。(幕下)15枚目より下に番付されることも2回あった。

最新の九州場所では、東幕下9枚目で4勝3敗。

まだまだ29歳、まだまだできるはずだ!

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