上から読んでも、下から読んでも

ある日家で海苔をパリパリ食べていた。

八つ切りに小さくカットしてあるので、食べやすくて重宝している。

『やめられない、とまらない』とはよく言ったもので、私の場合は海苔にも当てはまる。

入っている缶を見渡してみると、製造元に山本山とあった。

相撲とも結び付きのあるこの名称で思い出した。

山本山

残念ながら不祥事で角界を去る事になったが、最盛期で277㎏あった体重からは(失礼だが)似つかわしくない世界で活躍していることがわかった。

山本山龍太こと山本龍一は、1984年5月8日、埼玉県さいたま市西区(旧大宮市)で生まれた。幼い頃に両親が離婚し、父子家庭で育つ。

中学3年時、全国中学生相撲大会団体ベスト8、個人戦3位入賞。

翌年、埼玉栄高校入学。ちなみに同期には清瀬海(元西前頭13枚目・北の湖部屋)
実績としては、全国相撲新人選手権と世界ジュニア相撲選手権、優勝。

大学時代
2年時 東日本新人選手権、ならびに全国個人体重別選手権・無差別級優勝。
3年時 全日本大学選抜大会優勝、全国個人体重別選手権・無差別級連覇。
4年時 全日本大学選抜大会優勝

など、5つの個人タイトルを手に尾上部屋入門。
しかし、幕下付出の対象となるタイトルが含まれてなく、前相撲からのデビューとなった。
新弟子検査での体重はなんと233㎏を記録し、それまでの205㎏という数値を大幅に上回り、史上最重量の新弟子となった。

前相撲を経て、2007年3月場所を6勝1敗、翌5月場所7戦全勝で序二段優勝。
三段目に昇格して2場所連続6勝1敗で幕下へ。ここで1勝6敗とつまづいたが、次場所東幕下58枚目で7戦全勝優勝。その後、5勝・4勝・6勝と連続して勝ち越しを決め、2008年9月場所に新十両昇進で関取の仲間入り。その十両を2場所連続9勝6敗で(番付運もあってか)幕内昇進を勝ち取った(2009年初場所)前相撲から所要12場所での新入幕は、日本人では現・玉ノ井親方らに並ぶ史上3位のスピード記録。

その幕内生活も2場所連続で8勝7敗で西前頭9枚目まで上り詰めたが、ここが力士人生最高位となった。

2010年7月場所の佐田の海戦では、左ひざ靱帯負傷の重傷を負い途中休場。自力で歩行できないほどだった。

2011年、山本山の相撲人生に思わぬ事態が起きる。

八百長問題において名前が挙げられたのである。
携帯電話まで提出したものの、4月1日、相撲協会から引退勧告を受けた。
これについて「調査委員会にクロと決めつけられた。裁判を起こしても(協会が)勝つから無駄なことはしない方がいいというようなことを言われた。頭に来ます。話も聞かずに引退勧告はおかしい」とコメント。

4月5日、同じく疑いにかけられてた同部屋の境澤・白乃波と共に尾上親方に連れられ、引退届を提出した。
「今後の生活のために、提出しました」
「気持ちの整理はついていない。悔しいけど協会には感謝している。相撲取りじゃなかったらただのデブ。今日からお相撲さんじゃないと言われても状況がわからない」と記者に答えたそうだ。

9月3日、東京プリンスホテルでこの3力士合同の断髪式が行われた。

~現在は渡米し、アメリカでタレントYAMAとして活躍~

引退後しばらくは都内で弟と生活し、体重も230㎏台まで落とす。

アメリカで相撲のイベントに出たことが縁で、しばらくの後、渡米した。

米国フリトレー社のCM出演やインドの人気テレビ番組、ミュージック・ビデオなどに多数出演・活躍している。 

元相撲取りの異色の経歴、その相撲で培った大柄な体躯は異国の地で輝きを放っている。

山本山海苔、おつまみにいかがですか↓↓↓

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