板井圭介、歴史に残る連勝記録と連敗記録と・・・。

 去年11月、一年納めの九州場所で、相撲史に残る記録が刻まれた。

それは、名誉なものでなく不名誉なものとして、31年ぶりの記録と報じられた。

幕内15敗(一場所皆勤の15連敗)

この現実と並行して、久しぶりに聞こえてきた四股名があった。

板井圭介

実業団からプロ入り、激しい突き押しで小結まで上り詰めた。引退後、良からぬことで世間を騒がせたあの板井である。

この板井、屈辱的な連敗記録だけでなく、デビューから26連勝という輝かしい記録もある。のちの常幸龍(記録達成時・佐久間山)に塗り替えられるまで、33年もの間保持していた。

~板井圭介プロフィール~

1956年3月21日、造船や醤油、石仏の製造で知られる大分県臼杵市に5人兄弟の末っ子として生まれる。



相撲を本格的に始めたのは、大分水産高校(現・大分県立海洋科学高等学校)に入学してから。(高校時代の)アマチュア時代の詳しい実績や戦歴は不明だが、地元大分・九州地区では、その名を知られた存在だったそうだ。

卒業後、黒崎窯業に就職し、相撲部で活躍。国体青年の部で2回優勝の実績がある。

1978年、当時の大鳴戸親方(元関脇・高鐵山)に勧誘を受け、角界入り。
連日の稽古では、当時三段目のちの十両維新力を圧倒、また幕内・蔵王錦とも互角に渡り合い、まさに鳴り物入りで初土俵を迎えた。実業団時代の実績が足りないとの理由で、序ノ口からのスタートになったが、そんな事はどこ吹く風…。

そして、序ノ口・序二段・三段目、3場所連続7戦全勝優勝を飾り、初めて幕下で迎えた6番相撲で敗れるまで、33年間塗り替えられなかった怒涛の26連勝を記録した。

強烈な突っ張りを武器に、三賞受賞は殊勲・技能各1回(1989年3月場所に同時受賞)
金星は大乃国から3個記録している。

その大乃国キラーとして名を馳せた。

板井のWikipedia「大乃国との軋轢」の部分で、テーピングに細工がされていた云々の記載を見かけたが、これホントかな?

現役中は、常に膝の故障との戦いが続き、番付を大きく落としていた時期もあった。

1991年9月場所途中に廃業。当初は引退し、年寄襲名の予定だったが、相撲協会に申請を却下されたと言われ、相撲界と袂を分かつ。

以後、ちゃんこ屋を3店舗を経営するが、いずれも撤退。

そして、2000年1月21日、外国特派員協会の講演で、相撲界の八百長を告発、「証拠はこの私です」とまで言い切り、世の中を震撼とさせた。

大相撲に八百長は本当に実在したのか。

仮に板井がガチンコ力士(シロ)だったら、どれだけスケールの大きい力士に、小結以上の最高位を築くことができたか。

あの八百長告発の講演がなかったら、板井自身、どのような移ろいゆく人生を送っていたのであろうか。

板井圭介氏が逝去されて早や4年余りが経つ。

今となっては、その真相を知る由もない。

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