介護業で頑張る、元・舛ノ山

 舛ノ山大晴(ますのやま ともはる)
2010年11月場所から2015年3月場所まで関取として番付され(うち1場所のみ幕下)最高位は西前頭4枚目。

2010年ごろに医者から「肺が人より小さい」と忠告されたそうで、検査を受けた結果「心房中隔欠損の疑い」と診断されている。そのため、取組後は激しく息を切らせていた。(20秒しか戦えない力士として逆に話題にもなった)

しかし、それがゆえに常に早い相撲を求められ、そこに向けて絶えず全力・一生懸命さが伝わってくる相撲っぷり・ふるまいが人気を呼んだ。

この相撲なんかはそれらが顕著に見られる。

なんか今でいう熱海富士的キャラが少し被るでしょうか。

母親がフィリピン出身のハーフである舛ノ山は、フィリピンで生まれたのち1年足らずで千葉県に転居。小学3年からクラブに入り本格的に相撲を始め、わんぱく相撲や数々の全国レベルのアマチュア大会で実績を残した。
2006年7月に初土俵・千賀ノ浦部屋から(当時の師匠・元関脇舛田山)十両までは4年を要した。さらに1年後には、幕内入り。ケガの影響もあり1場所で陥落。その5場所後に復帰。そこから丸2年幕内に定着。唯一の三賞(敢闘賞)を受賞したのもこの頃だ(2012年7月場所)

次第に膝のケガが多くみられ、その影響で2014年頃から番付降下を余儀なくされる。

2015年3月場所が最後の十両での場所となった。
その後はケガや病気(難病)に苦しめられ、キャリア末期は稽古も満足にできず、歩くときには強い痺れがあり、腰痛の影響で廻しも締められなかったという。

現在は「介護職員初任者研修」の資格を取得し、東京都荒川区内の介護老人保健施設で第二の人生を歩み始めている。施設の方達にも愛され、人気を博しているのでは。

頑張れ、舛ノ山!!

力士時代↓↓↓

近影 別人のように瘦せられたそうです↓↓↓

今後も応援してるぞ!↓↓↓

 

“介護業で頑張る、元・舛ノ山” への4件の返信

  1. 私は舛ノ山のお世話をさせて頂きました。忘れずにありがとうございます。また何か情報あればお願いします。

    1. コメントありがとうございました。
      そうですね。定期的に追いかけていこうと思っています。
      今後ともよろしくお願いいたします。

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