茨城出身の好素材・幕下より

 現在春巡業は、北陸・東海(愛知県)と来て、関東地方を巡っているところ。
明日・あさってと茨城県(つくば市・鉾田市)に赴く。

茨城県出身現役関取は、またしてもあと一歩のところで優勝を逃した髙安。

他に面白そうな、将来楽しみそうな力士(逸材)はいないものか、と思い検索。

御雷山(みかづちやま・錣山・東幕下47枚目)なんてどうだろう。

明日の巡業地・つくば市出身の20歳。
中卒からの角界入りのようだが、格闘技経験・下地あり。
小学3年から中学卒業まで柔道で腕を磨きながら、わんぱく相撲への出場も経験している。

入門してからここまで各段優勝もなし、6勝も1度だけ。
序ノ口  2場所
序二段  8場所
三段目 17場所 
こんな感じで、じっくりと着実にその歩みを刻んでいる。
またここまで休場の記録もなく、爆弾や大ケガを抱えてないのが望ましい。

現在、阿炎に続く錣山NO.2に位置するこの若者。

春場所の成績(5勝2敗)を受け、5月には幕下中位あたりの番付が予想されている。

御雷山本人。
なかなか凛々しい顔をしている↓↓↓

大鵬魂の継承者・嗣子鵬 慶昌

 現在の大嶽部屋の前身・大鵬部屋の看板力士と言ったら、やっぱり私の中では「巨砲」と「嗣子鵬」の四股名が浮かぶ。

この両雄、年齢と学年は嗣子鵬が1つ上だが、初土俵は同じ1971年(昭和46年)1月の嗣子鵬に対して、巨砲は5月。2人とも大鵬の内弟子として、まずは(大鵬が現役時代所属した)二所ノ関部屋に入門。
新十両入りは全くの偶然で、1977年(昭和52年)7月と重なる。
切磋琢磨しながら、苦楽を共にしてきたであろう。

ここから出世の道のりに関しては、差が付いてくる。
巨砲は関脇まで登り詰め、三賞4回・金星10個と幕内を78場所務め上げた。
嗣子鵬は幕内と十両の往復を6回しているが、3度の十両優勝を挙げている。三賞と金星には縁がなかったようだ。

話を嗣子鵬で統一する。

1987年5月場所限りで引退。
若者頭に転身するも4年後に廃業。
その後は、愛知県稲沢市でちゃんこ料理店を経営していたそうだが、2006年10月に51歳の若さで亡くなられている。

これだけでは終わらない。
2011年より、現役時代から兄弟弟子として親交のあった元十両の大竜が大嶽部屋継承後、この嗣子鵬のお店を名古屋場所の宿舎として使用しているそうだ。

今年の名古屋場所から新会場・IGアリーナに変わり、王鵬の幕内上位定着に夢道鵬の新十両昇進と意気上がる大嶽部屋。大鵬魂を継承して、7月場所をさらに熱く盛り上げてもらいたい。

天国から嗣子鵬も見守ってくれている。

横綱昇進へ向け、止まらない追い風

 大の里、地元凱旋。

故郷・石川県河北郡津幡町で55年ぶりの巡業が行われ、チケットは完売、2500人が駆けつけ大いに盛り上がったという。

3月春場所。
石川県の相撲ファンや熱心な勧進元の念が届いたのか、地元巡業の直前、本場所できっちりと幕内優勝を仕留めるあたり、やはり只者ではない。

この日の朝稽古では大栄翔、錦木、明生らを相手に7勝1敗。
結びの一番(取組)では、横綱・豊昇龍を寄り切ったそうだ。
その豊昇龍戦で締めていた緑のまわしは、後援会から贈られたもの。
緑色は津幡町の町章に使われていて、地元の総意が込められてると受け止めたらいいのか(実際の町章)↓↓↓

次場所で綱とりがかかる訳だが、早くも地元後援会では”横綱昇進“を想定して土俵入りの三つ揃い化粧廻しの制作への準備・値踏みを始めるなど、75人目の横綱へ、あの輪島以来44年ぶりの地元・石川県出身横綱誕生へ向けて、その機運の高まりたるやとどまるところを知らない。

輪島の象徴と言えば、その廻しの色になぞらえた「黄金の左」

44年が経ち、大の里は「緑」をシンボルカラーとするのか。


石崎涼馬、幕下卒業見送り・・・。

 石崎涼馬の十両入りはほんの僅かなところで取り逃した。

幕下筆頭で3勝4敗だからその夢なんて叶うはずもないのだが、14日目の7番相撲(風賢央戦)で、8割は掴みかけていたであろう新十両入りを逆転の突き落としを食らってしまい、惜敗。関取昇進持ち越しとなった。

まぁ、要するに相撲に勝って勝負に負けた、と。
流れと出足は良かったが(最後のひと押しのところで)若干、足が揃い気味で上体が伸びてしまい、正確に圧力をかけらなかった。風賢央は俵伝いではあったが、少しの余裕と余力があったか。

その風賢央戦↓↓↓

たらればの話をする。
この一番をものにしていれば石崎自身が新十両だったと思うし、貴闘力四男の昇進はなかったかもしれない。逆に言えば風賢央が負けていれば(この時点で)負け越しで状況次第では・・・、なんてこともあったのでしょうか。
勝敗が決する以前に、そういう(入れ替え戦的)意味合い込み・含まれての割だったかもしれませんが。

残念ながらプロ入り後、初の負け越しを喫してしまった朝紅龍弟。
この見えない高くてぶ厚い壁を乗り越えられるか。
乗り越えられずに角界を去っていった者も多くいるし、もちろん乗り越えて栄光を掴み取った者も多数存在する。

力士として身体的に恵まれてるとはとても言い難いが、プロ入り前に教員にまでなった英知で関取昇進の夢を果たせるか。
目安として2~3場所以内で吉報を待ちたい。

石崎兄弟が近い将来幕内上位を席巻してほしいところだが。

「崎」の字の一文字前は「岩」でなく「石」です。
念のため。

昭和と共に散った名力士・飛騨乃花

 10代目の年寄・二子山は、第45代横綱(初代)若乃花である。

1962年(昭和37年)の現役引退と同時に独立し、二子山部屋を興す。

横綱2名・2代目若乃花、隆の里
大関2名・初代貴ノ花、若嶋津 を始めとして育てた関取19名。
「猛稽古」という言葉に偽りなく、厳しい指導のもと、強豪関取が次々に育っている。

その中の一人に「飛騨乃花」という力士がいた。
四股名に書いてある通り、飛騨=岐阜県高山市出身。

この頃私も近隣に住んでいたので、よく朝稽古を見に行ったものだが、その稽古土俵を囲んだ顔ぶれが凄かった。上記4名に加え、この飛騨乃花・大寿山・若獅子・隆三杉・三杉里辺りがすらっと出てくる名前か。

下積み生活が長く、関取にたどり着くまで10年。
「稽古場横綱」と称されるほど、右四つになればその名をほしいままにしていたそうだが、本場所では幕内上位の壁を破れず、三役に上がることなく現役を終えている。
唯一の金星を北の湖から挙げている(1981年11月)初顔での快挙。
1989年1月場所限り引退。
最高位は前頭筆頭。
偶然にも「昭和」の終了と同じタイミングで土俵生活に別れを告げている。

引退後、年寄を襲名し角界に残っていたが、数年後に廃業。
相撲茶屋の経営に乗り出していたらしい。