3人の杉野森

 今回の元横綱白鵬・宮城野親方が相撲協会を退職することになり、この空いた宮城野株を伊勢ヶ濱親方だった旭富士が襲名し(7月途中から参与として雇用)照ノ富士親方が伊勢ヶ濱を継承することになった。
白鵬としてみれば、何とも皮肉で且つ陰険な結末で相撲協会と袂を分かつ。

この両氏、本名で言えば(旭富士)杉野森から(照ノ富士)杉野森(照ノ富士は2021年8月に日本国籍を取得)へ、バトンが渡された形になる。
照ノ富士が「杉野森」を名乗った理由として(当時の親方・旭富士は)何にも代えられない存在だし、親方といろんなことを一緒に乗り越えてきたのもあり、親方から名字をいただいた、とあった。
正に今回の伊勢ヶ濱継承は、相撲の神様が予め準備していた使命なのかもしれない。

加えて現状の相撲界を司る杉野森姓はもう一人、元安美錦の安治川親方も忘れてならない。
代表力士は将来性豊かな安青錦を始めに、次場所で幕下上位昇進確実な安大翔など心血を注いで指導している。

さて、ここで出てきた「杉野森」姓とは・・・。
青森・福島・宮城・岩手の四県の太平洋側が陸奥起源とされ、近年では青森県津軽郡木造町や菊川に集中している、とあった。
旭富士はその木造町、安美錦は深浦町、共に西津軽郡出身である。

新伊勢ヶ濱親方は引き継いだ現有戦力(尊富士を筆頭に7名の関取衆、復帰を目論む炎鵬や川副他、有望力士多数)が所属していて、今後どんな「照ノ富士色」「照ノ富士式」を打ち出していくのか楽しみである。
一ファンとして言うならば、同じような体格の新弟子が入門し、育ってきたらあの外四つからの豪快な(かんぬきにされた瞬間、相手の戦意を瞬時に削ぎ落とすような)極め出しを伝授してほしい。

3人の杉野森とは、
相撲界、新師匠世代幕開けの一部である。

豪鬼神という式秀力士

 キラキラネームの宝庫・式秀部屋。
夏場所後には、33年の力士生活、一時期「桃智桜(ももちざくら)」という四股名を名乗っていた澤勇の引退に、場所前の所属力士の訃報などがあったりして、今年4月から5月にかけて残念な話題が駆け巡った。

そんな式秀部屋の相撲協会公式サイトを見渡せば、武隈部屋の力士達のように(親方・元豪栄道)の「豪」の字が使われた力士を発見!(いや、ホントに知りませんでした)

豪鬼神(ごうきしん)

という力士がいた。
詳しい四股名に込められた意味や願いはわからないが、格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズの登場人物になぞらえてるのか?その武隈軍団に牙をむくかのように、おととしの名古屋場所からこの豪鬼神と名乗る。

改名後、残念にも成績は振るわず神様はまだ降りてきてないようだ。
5月夏場所も、西序二段84枚目で1勝6敗と大きく負け越し、どこに目標を置くのか。

土俵歴8年超の今日(6月1日)でちょうど33歳。
しかし、個性派揃いの式秀になくてはならない存在であることは間違いない。



安青錦の対三役3連敗が持つ意味と価値

 安青錦 新大(安治川) 東前頭9枚目
今場所成績 11勝4敗

4敗の内訳
初日・金峰山(前頭)
10日目・若隆景(小結)
11日目・琴櫻(大関)
12日目・大栄翔(関脇) 

とまぁ(敗戦は)幕内1人と三役のみと確かな実績と素晴らしい実力を見せてくれた。

初日の金峰山戦は、大きな体に腕の長さを最大限に活かした突っ張りで中に入れなかった(金峰山の取った作戦・展開が有効だった)
10日目・11日目の若隆景・琴櫻戦はすんでのところまで追い詰めた上での悔しい負け。
12日目の相手となった大栄翔は、初日・金峰山の相撲展開と似ていて(途中のいなし以外は)突っ張りに徹した。

逆に勝った相撲をもう一度振り返ってみたが、概ね低い姿勢(頭をつけ続け)少々の揺さぶりにも動じないメンタルとフィジカルの強さ、対応力の多彩さ(時に足を取ったり掛けたり)などで白星を重ねてきた。

さて、来場所の番付予想としては、早くも(付け出しを除いた)新三役昇進の史上最速記録を達成するのではないかと予想する向き・識者が多い。

何事においても順風満帆にいくわけがないが、安青錦の今場所の対三役3連敗は、言葉だけではない上位陣の壁の厚さ、今後に向けての課題、欠点をを知る絶好の機会と捉えようか。

初土俵以来負け越し知らずで駆け上がってきたこの男の(本当の意味での)真価が問われる場所が訪れようとしている。

夏場所引退力士より

 今場所限りの引退力士は10人と発表された、一部抜粋。

聡ノ富士(伊勢ケ濱)
ご存知、弓取り式最多回数保持力士。
48歳まで相撲を取り続け、伊勢ヶ濱親方定年と共に引退を決断した。

澤勇(式秀)
前の桃智桜と言った方がピンとくるだろう。
珍名・キラキラネームの宝庫、式秀部屋からまた一人、人気力士が去る。

竜勢(伊勢ノ海)
父が元関脇・多賀竜。親子二代の関取ならず。最高位は幕下優勝直後の東幕下4枚目。

益湊(阿武松)
入門時の師匠は、元関脇・益荒雄。その元親方の付け人を務めた経歴あり。
小学生の頃から相撲教室「キッズ阿武松」に通っていた、阿武松一筋力士。

伯桜鵬、終盤大失速のなぜ?

 伯桜鵬 哲也 東前頭7枚目
今場所最終成績 8勝7敗

初日からの白星を7に伸ばし、一時は大の里・安青錦・若隆景らと完全に優勝争いを牽引する存在だった。
にも関わらず、これ以降、坂道を転げ落ちるように1勝7敗(10日目から6連敗)で場所を締めくくる。

どうしてこんなにも成績が反転したか?
振り返れば初黒星を喫した明生戦(8日目)で、土俵際の攻防での完全な逆転負け。この時の小手投げを食らった際に右ひじ周辺を多少なりとも痛めたものと思われる。
翌9日目は、右ひじ上部にテーピング。
10日目にはそれが取れたと思いきや、この時の大栄翔戦後に新たな痛みが発症したのか、次の日の豊昇龍戦から右ひじ周辺を広く完全防備するかのように、テーピング処置がされていた。

久々に今場所途中までの好成績から「伯桜鵬」の文字・四股名を見聞きし、更なる健闘を期待したのだが、6連敗した要因には間違いなくこの右ひじ周辺の痛みが伴うものと推測する。

横綱昇進を決めた大の里より初土俵は2場所前(年齢は3歳差・大の里が上)
大卒からの入門した大の里に対して、伯桜鵬は高卒から社会人を経ての入門。
アマチュアタイトルを多く獲得しているこの両雄には、事あるごとに比較・話題にされ、大きな期待がかけられていた。
しかし、伯桜鵬の左肩の大ケガから状況が一変。
今はすっかり水をあけられてしまった。

まずはケガを治し、痛みを取り除こう。
私はデビューから3場所、本名「落合」を四股名にしていた頃のあなたの輝きが忘れられません。