はるまふじとはるなふじ

 このタイトル⇧6文字目の「と」を境に前半5文字と後半5文字は、それぞれ3文字目の「ま」と「な」の違いしかない。

平仮名だけ追いかければ、何の変哲もない。

ここに「相撲」というキーワードを落とし込めば、景観はガラリと変わる。

漢字に置き換えると、前者は日馬富士、後者は榛名富士となる。

しかもこの2力士、「関取」まで名を馳せ、相撲界で成功を収めた偉大な二人だ。

前者から。
説明不要の第70代横綱である。

モンゴル国コビアルタイ出身の伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)に所属。

関脇時代まで「安馬」と名乗る。

幕内優勝9回
大関22場所、横綱31場所を勤め上げた。

横綱昇進前に32連勝を記録している。

137㎏の軽量ながら、持ち前の稽古熱心さと研究熱心さで、ついには横綱の地位まで登り詰めた。

その新横綱誕生となった一番の動画である。
2012年秋場所千秋楽・横綱白鵬戦。

横綱昇進後の優勝5回。
成績もそんなに大崩れすることなく、立派に横綱の地位を全うしていたように思えた。

2017年、不祥事が絡み、正直後味の悪い引き際となったが、伊勢ヶ濱部屋コーチに就任したあとの同年9月1日、故国モンゴルにて日本の文化や歴史、言語を学ぶ教育を取り入れた小中高一貫の「新モンゴル日馬富士学園」を設立し、理事長に就任している。

2023年1月28日、同郷の先輩横綱、元白鵬の宮城野親方の断髪式に参加するために来日。大銀杏にはさみを入れ、元気な姿を見せた。

対して、榛名富士。
大鵬部屋に所属した元力士。
1971年5月場所初土俵。最高位は東十両2枚目。
群馬県沼田市出身。同郷ではサーカス相撲で一世を風靡した、あの元関脇栃赤城がいる。

大鵬部屋繫がりで言えば、主に巨砲、嗣子鵬(満山)世代といったあたりか。

付いた四股名の由来は、出身地にちなんだものだろう。

            榛名富士と榛名湖

初土俵から、10年かけて十両昇進。
1985年7月場所、西十両6枚目で10勝5敗の優勝同点。
同年9月場所、東十両2枚目で新入幕のチャンスだったが6勝9敗と負け越し。

1986年5月場所、幕下に陥落。
翌1987年1月場所後に廃業、相撲界から去っている。

両人とも角界から離れてしまったが、現役時代に培った相撲精神・経験を武器に、社会人として忙しい日々を送っているのであろう。

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