先日、フジテレビ系で放送された「日本大相撲トーナメント」
毎年2月に行われる花相撲。
この中継が酷かった。相撲そのものは否定しないが、中継の形態。
「花道リポーター」と称して、お笑い芸人と女性タレントの力士に対するトンチンカンな質問や実況のアナウンサーもあまり相撲に詳しくなく、興味もあまり持ってないような感じがなんとなく伝わってくるようだった。
本場所中継を見慣れているので、もう少し人選(ゲスト)をよく厳選した方がいいのかなぁと思った。
話がガラリと変わる。
1970年代後半から80年代後半にかけて活躍した「栃光」という力士がいた。
この栃光がこの日本大相撲トーナメントで「快挙」を成し遂げている。
「栃光」って言ったって2人いた。
1人は大関を通算22場所務めた栃光正之。
こちらじゃなくてもう一人の方。
栃光興福。
日本大相撲トーナメント第6回大会(1982年)の優勝者である。
何が言いたいかってこの栃光は、本場所で「横綱」にめっぽう弱かった・対戦成績が悪かったことで知られる。
対輪島 2勝15敗
対三重ノ海 2勝17敗
対若乃花(2代目)2勝29敗 ときて
対北の湖 0勝29敗 という有様。
しかしこの時のトーナメントでは、準決勝であの天敵・北の湖を破り、決勝で2代目若乃花と当時の横綱2人を破り優勝を果たし、トーナメント歴代優勝者としてその名を連ねている。
なぜ、栃光興福はこれほどまでに横綱に弱かったのか・・・。
稽古嫌いに愛煙家で酒好きと力士・アスリートとしてレッテルを貼られてはいけない3か条を持っていた。あとは、右四つからの下手投げが主武器であったがいつからか半身での相撲を取ることが多くなったとかでこの辺も横綱に勝てなかった一因か。
高校で柔道やレスリングで活躍し、入門後の順調な昇進、柔軟な体質・重い腰からかかる期待は大きかった。幕内の在位は長かったが、今ひとつ(力士としての)印象パッとしたものが無かったように思える。あとは本人の欲のなさかな。
花のニッパチ組なんですね。
同い年に北の湖、2代目若乃花、麒麟児、大錦なんて名前が出てきました。
当時の師匠・栃錦がどうして「栃光」という由緒ある四股名を付けたか継がせたか。
この意味とメッセージを受け入れて稽古に精進し、多少なりとも節制に努めていれば力士としてもっと大成していたかもしれない。
かつての千代の富士が時の大関・貴ノ花に禁煙を勧められ感激し、後の横綱昇進につなげたように。
1987年5月場所限りで、力士引退と同時に角界からも去っていった。
その後はサラリーマン生活を経て、ちゃんこ屋を経営していた時期あり。
2002年12月、49歳の若さで早逝している。
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