オレンジ色のナイスガイ

 高見山 大五郎・・・初の外国出身外国籍の関取。

若かりし頃の
高見山

 旭大星 託也・・・・大島部屋現役力士・最高位西前頭8枚目、序ノ口まで転落も再起を期す。

両者の共通点・・・オレンジ色の締め込み


ハワイ出身の高見山は、南国育ち特有の明るさと愛嬌があり、数々のCMキャラクターにも起用された。

一段と有名になって、より人気が出ましたよね。

大らかな人柄、独特のハスキーボイス。

しかし、ここまでになるまでの苦労は数知れず。

ちゃんこの味に馴染めない。
体が固く、股割りができない。

それらを乗り越えて、栄光をつかむ。

主な実績
高見山 大五郎(たかみやま だいごろう)
幕内優勝1回 1972年(昭和47年)7月場所
殊勲賞6回・敢闘賞5回
金星12個(輪島7個、佐田の山・柏戸・北の富士・琴櫻・北の湖各1個)
最高位・東関脇
生涯戦歴 812勝842敗22休 (122場所) wikipediaより

輪島キラーと呼ばれ、その輪島戦で金星を上げた動画が残っていた。

1984年5月場所限りで引退、年寄・東関襲名。
代表力士として、横綱・曙や小結・高見盛などを育てた。

一方の旭大星。

北海道旭川市出身。
小学校2年から柔道を初め、中学2年のときに評判を聞きつけたのであろう、大島部屋からスカウトされるも断り、高校へ進学。柔道部エースとして活躍。再び大島親方から入門を決意。

旭川市出身で、元旭國からスカウト。自らも「」がつく四股名の力士になったのは、相撲の神様が定めた運命か、いたずらか。

初土俵後、6年かけて新十両。そこから4年かけて新入幕。

膝の靱帯負傷で、番付を序ノ口まで落とすも再起し、最新の令和5年初場所では、東序二段28枚目で6勝1敗と大きく勝ち越しているので、迎える春場所は三段目中位ぐらいまで番付を上げてくるのではないか。

趣味はトレーニングという相撲の塊。

ケガによる不運でどん底を味わったが、不屈の闘志で関取の座を再びつかみ取り、またオレンジ色の締め込みで活躍する日が来ることを切に願う。

主な実績
旭大星 託也(きょくたいせい たくや)
敢闘賞1回
最高位・西前頭8枚目
生涯戦歴 444勝403敗72休(89場所)Wikipediaより

高見山とコツコツ↓↓↓

80年代・隆盛を極めた九重の一角、大富士 慶二

 1980年代の九重部屋。

当時の師匠は現在のNHK解説者で知られる、元横綱・北の富士。

横綱に「ウルフ」こと千代の富士(優勝31回・通算1045勝)

北勝海(第61代横綱、現・日本相撲協会理事長)を輩出。

当時の角界を席巻した老舗名門相撲部屋である。

この2横綱に加えて、多くの九重部屋所属力士が活躍したが、今日は相撲引退後、タレントと

タレント時代の画像

としても活躍した、大富士 慶二に着目する。

1958年8月26日生、東京都大田区出身。

1974年9月、本名の「伊藤」で初土俵。
序二段を2年、三段目を4場所で通過、1977年3月場所、満18歳で幕下へ上り詰めた。
1978年7月、19歳で新十両昇進と順調な出世街道を歩む。

しかし、ここから幕下と十両の往復、関取と力士、栄光と没落・失墜の狭間での力士生活を送った(約8年)

1983年春場所、5度目の十両復帰を果たし、4場所連続で関取の座を守っていたが、同年9月場所2日目の益荒雄戦で右膝脱臼及び靱帯断裂の重傷を負い、幕下陥落。公傷が適用されるも回復が遅れ、1984年5月場所まで4場所全休する羽目に。

翌7月場所、番付を東三段目74枚目まで下がったが、地力の違いを見せて三段目優勝を飾る。翌場所幕下復帰を果たすも、また途中休場ののち3場所連続で全休。

休場明けの1985年5月場所、東序二段100枚目で7戦全勝で優勝(序二段)を決めた。
最終的に東幕下51枚目まで復活するも、1986年初場所初日に敗れ途中休場、場所後27歳で廃業を発表した。

最高位は西十両6枚目・十両在位10場所・十両陥落5回。
山あり谷あり、大富士の相撲人生だった。

~相撲界を去り、タレント転向へ~

お笑い界の巨匠・ビートたけしの勧めで芸能界入り。

オフィス北野所属のタレント・俳優となる。

当時、高視聴率番組だった

「風雲!たけし城」のアトラクション「すもうでポン」

「天才・たけしの元気が出るテレビ」等に出演・活躍。

また、演出家・蜷川幸雄作品の「夏の夜の夢」「近松心中物語」「NINAGAWAマクベス」「お気に召すまま」など数多くの舞台に出演。晩年は舞台中心に活動していたようだ。

2012年に54歳で亡くなっている。






 

宮城野の新星は、ものまねもイケてるッ!

 来たる春場所、所要1場所での新十両昇進を決めた落合(宮城野)

有り余るポテンシャルは、相撲だけではない。

https://twitter.com/i_lov_chubby/status/1624755180427444224

相撲も強くて、ユーモアもある。

落合のwikipediaにも書いてあった。

師匠の宮城野は「本当に相撲を知っている」と絶賛する一方で「私のモノマネなんかもやったりします」と意外な一面を持つことを明かした。 と。

どれだけ相撲ですごいかって、次の通り。

鳥取城北高校時代に2年連続高校横綱タイトル獲得。

卒業後、父親の会社である「有限会社野田組」に所属し、実業団横綱を獲得。

元横綱白鵬・宮城野の誘いがあり、宮城野部屋に入門した。

2022年度の実業団横綱であるため、幕下15枚目格付出でデビューとなった。

2023年1月場所の活躍は周知の通り。

お披露目となるはずの、2日目(デビュー)の王輝戦は、不戦勝。

4日目・中卒叩き上げの瀬戸の海(高田川)をすくい投げ。

6日目・明瀬山、7日目大成龍と元関取撃破。

9日目・時疾風、11日目・颯富士(元高校横綱)と元アマチュア上がりの強豪に連勝。

13日目・風賢央を突き落として、7戦全勝優勝を決めた。

幕下15枚目格付出力士としては、2006年5月場所・下田以来の史上2人目以来の快挙。

1月25日の番付編成会議で、3月場所の新十両昇進が正式に発表されたのであった。

春場所では、どんな旋風を巻き起こしてくれるのか。

あるいは猛者たちからの洗礼を浴びるのか。

宮城野部屋所属・落合哲也から目が離せない。

アラン・ドロンの吊り技祭り!

陸奥親方こと元大関霧島は現役時代、 甘いマスク・筋肉質の体付きと相まって、一躍人気力士となる。

また、その甘い顔立ちから、パリ公演の際に“角界のアラン・ドロン”と紹介されたそうだ。

三段目から始めたウェイトトレーニングと高蛋白食で強靭な体格を作り上げ、相撲の幅を広げていった。

足腰が強く、吊り技を覚え始めたたのはこの頃か。

1989年1月場所、小結に昇進したこの場所を1勝14敗で終える。

危機感を感じた霧島はこれを機に1日に20個の入った卵や、バナナ2本が入ったが入ったプロテインを摂取するとともに、ベンチプレス210㎏、スクワット350㎏というウェイトトレーニングを敢行し、体重を110㎏から130kg前後まで上げるなど、成功に至るまでの道のりには、涙ぐましい努力があった。

相撲の神様はちゃんと見ていた。

同年九州場所から、10勝・11勝・13勝で大関昇進が実現したのである。

体重増量+ウェイトトレーニングの継続=吊り技

というわけで、皆様を吊り技祭りにいざなう。

1990~91年は霧島にとって、大関への足固めから昇進を果たした全盛期と言えよう。

あの千代の富士を下した、土俵人生珠玉の2番。

こんな番外編も。
昭和63年夏場所とあるので、トレーニングを始めて3~4ヶ月経った頃か。
タフな戦いだった。

1997年12月に陸奥部屋を継承して25年以上もの歳月が経つ。

現在部屋頭の霧馬山にも、師匠譲りの華麗な吊り技を習得してほしいものだ。

元琴奨菊・秀ノ山親方、部屋開設へ

 元大関・琴奨菊こと秀ノ山親方が、出身地の福岡県柳川市で行われた地元後援会の発会式で「師匠(元関脇・琴ノ若)に独立したい意向を伝えている。来年3月に部屋が完成する予定だ」と明言。自身の部屋を立ち上げる準備を進めていることを明らかにした。 西スポより

引退して2年余、自ら部屋を興し、将来の横綱大関を育てる。

2016年1月場所に勝ち取った幕内最高優勝は、2006年1月場所栃東以来10年ぶりの日本人力士の優勝。

また同場所記録した3横綱撃破(鶴竜・白鵬・日馬富士)は、1991年初場所・霧島以来25年ぶりの快挙。

32場所務めた元大関

陥落後も4年近く、プライドを捨て頑張った。

ライバル豊ノ島は、残念ながら相撲協会を退職し、タレント業に舵を切った。

あの豪快ながぶり寄り、制限時間前のバウワー、(大関昇進時口上の)万里一空の如く相撲道を貫き通せる若人を求め、育てるべく、新部屋開設という新たなステージに向かう。

バウアー湯吞みです↓↓↓