世代交代の時 ~千代の富士から貴花田へ~

 2日連続貴乃花ネタで。

日本中の注目を集めて、若貴兄弟は1988年3月場所に初土俵を踏む。
兄弟で切磋琢磨し、先輩力士(兄弟子)からの様々な妬みにもめげず、毎日の猛稽古を積み重ね、
十両昇進:17歳2ヶ月、幕内昇進:17歳8ヶ月と驚異的なスピードで番付を駆け上がっていった。
そんな(当時の)貴花田に大一番が訪れる。
1991年5月場所の初日に、幕内優勝31回、53連勝などの記録を持つ大横綱・千代の富士への取組が組まれた。

当時の千代の富士を取り巻く状況は、この前年の1990年に優勝を2回記録(1月と11月)3月場所・7日目の花ノ国戦で通算1000勝を達成も夏巡業で左足を痛めて同年9月場所を全休、1991年になり、初場所2日目に逆鉾との一番で左腕を痛めて途中休場、翌場所も全休した。
35歳となり、大横綱の現役生活もいよいよ佳境に入ってきた頃だった。

その決戦。
貴花田右差し。千代の富士はその貴花田の右をおっつけて差し手を嫌う。貴花田左前みつを引く。千代の富士はこれを切るも、貴花田一気呵成に頭をつけながら前に出て寄り切った!18歳9ヶ月での史上最年少金星獲得!

取組後の千代の富士は、18歳の新鋭に対して「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」と最大級の賛辞を送った。この時点では引退かと思われたが当時の師匠・北の富士に翻意され現役続行。「もう1敗したら引退する」と決意して、翌日の板井戦に勝ち、3日目の貴闘力戦で完敗。その日の夜に緊急記者会見し現役引退を表明した。引退理由として「最後に貴花田と当たってね、若くて強い芽が出てきたなと。そろそろ潮時だな」と貴花田戦の衝撃を挙げた。

今でも語り継がれている千代の富士の引退会見とそのきっかけとなった貴花田戦、千代の富士自身が初優勝を遂げた1981年初場所・北の湖との優勝決定戦の2番を合わせて。

奇しくも、貴花田の父「角界のプリンス」こと元大関・貴ノ花も大関候補とも呼ばれ、当時日の出の勢いだった千代の富士に一方的に敗れると、この時の相撲を引き金に貴ノ花は引退を決意したといわれている。そこから11年が経ち、貴ノ花の息子・貴花田に千代の富士は引導を渡された。

この因縁から32年が経った。貴ノ花と千代の富士は鬼籍に入っている。
貴乃花は相撲協会を退職、現役時代から常人ではあり得ないほどの紆余曲折・辛酸をなめた。
そんな貴乃花再婚のうれしいニュースを聞き、念頭に浮かんだことを書いてみた。

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再婚おめでとう、貴乃花!

 貴乃花が再婚を発表した。

元横綱の貴乃花光司氏(51)が1歳上の一般女性(52)と再婚したことが28日、分かった。
再婚相手は貴乃花氏が10代で十両だった頃に約2年間交際していた「初恋の相手」だといい、今年3月、女性から貴乃花氏へ送った手紙をきっかけに再会。30年以上の時を経て再びの交際がスタートしたという(ENCOUNTより)

あの平成の大横綱が「初恋の相手」と再婚を果たしたという、うれしいニュースだ。

思えば貴乃花は「結婚」「家族」という部分でこれでもかというぐらいに「苦難」の連続だった。

・わずか20歳、大関昇進直後での「婚約破棄騒動」

・「洗脳騒動」を発端とする兄・虎上(3代目・若乃花)母・藤田紀子との絶縁。

・河野景子との結婚も(失礼を承知で言えば)お世辞にも「横綱」「親方」を支えるタイプではなかった。少なくとも「高田みづえ」のように芸能界・タレント活動をスパッと辞めて引退し、若嶋津のことを陰でサポートし続けてきたように。「普通のおかみさん」として力士たちとの同居・寝食をともにすることを拒み、自宅マンションから適宜、部屋に通ってくるという業界の慣例からすれば、異例なスタイルを取っていた。
真相はわからないが、貴乃花が相撲協会退職したほぼ同時期に離婚したのも、相撲(貴乃花)ファンとして印象が悪かった。

この前妻との間には1男2女を儲けたが、どうやら疎遠になっているらしく、今回の再婚も事前に知らされてなく驚いていたとか。

つい最近
「自分の屍(しかばね)だけは誰にも看取られたくない」
「本当に一人の生活が快適です。再婚はよほど縁のある方がいたら」
とコメントしていたと思ったが、この考え・思いを覆すぐらいの素敵な初恋の方との再会だったのだろう。

現在ではバラエティ番組やテレビCMの出演、大学教授就任。各種支援活動等、幅広く活躍中の貴乃花氏。

今回の再婚を報じたネットニュースに掲載された貴乃花の写真は、もう何十年も見られなかった本当にうれしそうな笑顔が印象的だった。
「花田光司」を少しずつ取り戻し、心穏やかに、充実した余生を送ってほしい。

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鏡山部屋物語(エピソード主体で)

 元横綱・柏戸が創設して51年の歴史を持つ鏡山部屋が閉鎖して2年以上が経った。
元・多賀竜の鏡山ら協会員全員が伊勢ノ海部屋へ転属。関取として頑張ってきた鏡桜も(日本国籍などの関係もあり)10場所にわたり番付外で過ごしたのちに、今年3月場所限りで引退した。

最後はとても寂しい形で幕を閉じた鏡山部屋をエピソードを交えて振り返る。

~柏戸時代~

部屋持ちになった親方として、スパルタ指導ぶりには定評があった反面、弟子たちには門限も設けないなどの自由な側面もあった。技術指導面では思い切って前に出ることを教え、40代前半までは自ら廻しを締めて弟子に胸を貸したというのだから、スゴい!引退してから10年以上も土俵に下りて指導をしていたなんて(あと結構、寛大な方だったんですね)

柏戸が育て上げた(代表的な)関取は
多賀竜・蔵王錦・起利錦・小沼・魄龍など、懐かしい面々。
※幕内優勝した多賀竜に審判部長として優勝旗を授与。蔵前国技館最後の場所となる1984年(昭和59年)9月場所の出来事。

そんな柏戸も、1996年12月に肝不全でわずか58歳で逝去した。部屋は愛弟子の多賀竜が継承する。

~多賀竜時代~

多賀竜は協会理事を6期勤め上げた。直弟子で唯一関取は鏡桜のみ。
何より部屋経営・新弟子勧誘がうまくいかなく、最後に新弟子が入門したのは2004年(平成16年)3月場所で、2008年(平成20年)5月場所を最後に当時序二段の鏡竜が引退して以降、所属力士は鏡桜と竜勢(多賀竜の実子)の2人のみという異常事態が13年以上続いた。

2021年7月の理事会で、鏡山部屋の閉鎖と鏡山(多賀竜)ら協会員全員が伊勢ノ海部屋へ転属することが決定。これにより、柏戸が築いた鏡山部屋は51年の歴史に幕を下ろした。

翌年3月の役員改選の際には停年が近いことから理事に立候補せず、役員待遇委員に任命されたことが明らかに。今年2月の停年後も再雇用によりそのまま鏡山親方として協会に在職している(参与)

やはり、資金面と有望な新弟子を発掘する包囲網(コネやツテ)が致命的に欠落していたのか。

例え話として(比較対象の次元が(失礼だが)かなり違うが)
なぜ白鵬(宮城野親方)は、有力・有能な新弟子を現役時代から囲うことができたのか。
なぜ(どこまでホントなのかわからないが)銀座や浅草などに新部屋設立の噂が(本当かもしれないが)マスコミ・ネット上でささやかれたのか。

白鵬の引退相撲がなぜあれだけの演出・趣向を凝らすことができたのか、答えは明白だろう。

時代は巡る。
鏡山部屋再興は何十年先になるのか、あるいはほんの数年したのちにパッと出現するかもしれない。

なんにせよ鏡山(柏戸・多賀竜時代)は、こうして51年の歴史に幕を閉じた。

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元大関・清國の波瀾万丈

~193㎝・105㎏の落語家~

 元大関・清國には落語家の息子がいるそうだ。

ネットニュースの見出しから
父は大関清国の林家木りん、真打ち昇進披露宴で「大谷選手と同じ193cm。年俸は全く違います」のオチ

東京の落語家の真打ち昇進パーティーは、都心のホテルなどで行われるのが常。両国国技館の地下宴会場を会場に選んだ理由は、木りんの父・佐藤忠雄氏が元大関清國(7代目伊勢ケ浜親方)で、弟子の力士たち、大相撲関係者に囲まれて育ったからだった。
師匠の木久扇は、木りんの入門の経緯を語った。 「木りん君は8番目のお弟子さんでして、入門時、落語に対する純粋な気持ちはなく、お友達のお父さんに『預かってくれ』と言われた。なぜ、土俵から高座に移るのか。すぐ辞めると思った。いつ辞めるんだと思ったら、ずっといる。(一食に)ご飯7杯に生卵5個、しゃけの切り身が3切れ! (食費がかかると)かみさんが震えあがっちゃって、『来ないでもらうことはできないの』(と言われた)
と笑いあふれる真打ち昇進パーティーのエピソード数々。

清國??
(幕内)優勝は新大関で迎えた1969年(昭和44年)の1回のみだが、大関を28場所勤め上げ、金星7個・三賞7回受賞した元大関、第7代伊勢ヶ濱である。
1974年1月場所中に引退。年寄・楯山襲名のあと、1977年3月、先代(元横綱・照國)の急死により、伊勢ヶ濱を引き継いだ。

親方時代は様々な災難に遭遇した。前妻と長男、長女を日航ジャンボ機墜落事故で失い、その後再婚して二男・嘉由生(現在の林家木りん)をもうけるも、現妻を追い出そうとした親方の近親者が週刊誌に捏造記事を売り、現妻の名誉を傷付け、さらに文京区白山の土地5億円を詐欺により詐取されたりした。後に詐欺を行った者が逮捕され、現妻の名誉も回復した。
2004年9月、週刊誌上で甥の玉乃島(現・放駒親方)を中心とした現役力士の無気力相撲を批判したことで役員待遇を解かれるなど不祥事が続いた(Wikipediaより)

現在は、2007年まで所在していた伊勢ケ濱部屋跡地で(台東区寿)「相撲茶屋 清國」として営業しているようなのですが・・・??そこからの詳細がいまいちわかりませんでした。

清國の現役時代をリアルタイムで知らない私としては、何としてもこの映像の印象が焼き付いている。

この7代・伊勢ヶ濱(清國)が育てた関取としては
黒瀬川・神幸・斉須・若瀬川・白岩など(あくまで主に)

現在の伊勢ヶ濱の後継は、清國自ら指名した元横綱・旭富士。
横綱・照ノ富士を筆頭に関取5人を有する相撲界の一大勢力を率いる親方である。

お勉強しましょう!↓↓↓


二所ノ関ツインズ

 二所ノ関部屋に双子力士が存在する。
林兄弟。長野県岡谷市出身。
本名は長男が、林 琉(はやし りゅう)次男が林 玲(はやし れい)
四股名は長男が、林龍(はやしりゅう) 次男が林虎(りんこ)である。

2人とも中卒での入門ではあるが(相撲に対して)全くの素人ではなく、小学校在学中に相撲クラブに通い、アマチュア大会で実績を上げての入門だ。
入門に際しては、現在の二所ノ関部屋前身・荒磯部屋で稽古を体験し、けがをしない体作りに力を入れる部屋の方針などにひかれたのがきっかけ。

初土俵から1年ちょっとが経過し、プロの力士として8場所を務めた。
7月場所終了時点では、弟の林虎の方が番付では上に居たが、あさって発表される新番付ではどのような位置・関係になっているのか。

多くの相撲ファンの注目・期待が寄せられる二所ノ関部屋には高卒や大卒のエリート力士だけではなく、中卒からも優秀な力士(予備軍)がいることも忘れてほしくない。
早期に関取が見据えられる番付ではないが、この林(双子)兄弟の動向には要チェックだ!

二所ノ関部屋ホームページより 好きな言葉は
兄・林龍が「実るほど頭が下がる稲穂かな」
弟・林虎が「凡事徹底」「一事が万事」「自分の持ち味を活かせよ」 とあった。

写真右が林龍(長男)左が林虎(次男)のようである↓↓↓

元横綱を肌身離さず↓↓↓