隆の勝を検証、1横綱・2元大関戦

 隆の勝が大健闘。
優勝争いを揺るがしている。今日はトップを走る横綱に敗戦を味あわせた。

今日14日目・照ノ富士戦

立ち合い、照ノ富士は右の肩辺りからだが「かち上げもどき的」な動きを見せて結果的に隙を作ることになり、そこにつけ込まれ勝負はあっ気なかった。作戦ミスというか完全なる(横綱の)完敗。対して隆の勝、7連勝と波に乗り11勝目。気づけば照ノ富士を1差で追う展開となった。

13日目・霧島戦

この一番に関しては(失礼だが)戦前、霧島に焦点が集まっていた(既に5敗を喫し、大関復帰に向け負けられない一番だったが)右からの張り差しを受けたが、意に介さず左に回り込み(霧島の)上体を崩したところを押し出した。

11日目・正代戦

立ち合いに右のど輪で正代を起こし、頭をつけて左差しから迷わず一気に決めた会心の相撲。
今場所の正代(元大関)も悪くないんです、内容が。

ともかく今日の一番は左おっつけにのど輪が連動してうまく嚙み合った殊勲の星でした。
今場所の活躍は場所前に発表したプライベートの変化も好材料としてうまく作用してるのかもしれませんね。

伏兵・ノーマークだった(失敬)前頭6枚目が最後に奇跡を起こすかもしれない(他力に関わる部分もあるが)

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船橋で焼肉が食べたい!

 元・小結 松鳳山が引退して丸2年になる。
断髪式時に「昔ながらの、服に匂いが付くようなコテコテの焼き肉店をやりたい」語っていたように、先月5月19日、千葉県船橋市内に「焼肉・ホルモン松鳳山」を開店した。

高校大学とアマチュアキャリアを積み、最初に声を掛けてくれたという当時の松ヶ根親方(元大関・若嶋津)の元での力士生活16年。
軽量ながらもスピードを活かした強烈な突き押しで、掴んだ金星は5個。

初金星を上げた一番でしょうか、2013年9月場所日馬富士戦、あの元・横綱輪島を彷彿とさせる金色の廻しで力強く押し出しに破った一番がこちら↓↓↓
完全に感極まり涙ぐみながら懸賞を受け取る姿が印象的。

通算成績は582勝605敗22休
幕内51場所・十両17場所とあった。

で、船橋の焼肉店の話になりますが、口コミ評価(食べログ)がなかなか高いですね。
料理の一例としては、
松鳳山ロース
カルビは、大関・関脇・小結
タンは、殊勲・技能・敢闘とランク・グレード別けされております。

何より松鳳山さん本人が、調理や(時には)接客もされてるようで、松鳳山ファン(相撲ファン)にはたまらない空間(お店)

夜の営業のみで、毎週月曜日が定休となっているそうです。

アクセスも良く、京成船橋駅から徒歩3分、JR船橋駅から徒歩5分とあった。

詳しくはこちら↓↓↓

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相撲ファンなら行かない理由がない↓↓↓


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こんにちは 玉鷲一朗です

 周知の事実であるが、玉鷲は3月に日本国籍を取得した。
今まで四股名として使用してきた「玉鷲一朗」がそのまま本名となっている。
年月の経過とともに耳に馴染んできたら、結構スマートに聞こえてくる名字ではないか。

さて、本業の方は。
現時点で最後に三役を務めたのは、おととし2022年11月場所。
その前の場所に2度目の幕内優勝を飾ったあとの場所である。
それ以降は幕内上位から中位に位置づけてきた。

力強い突き押し(主にのど輪)から組み立てていく取り口は健在。
年齢に抗い続ける活躍は日々の稽古の賜物か。
自らのケガによる休場が、初土俵から20年経った今でも記録していないのは特筆もの。
(※公式記録の2休は、コロナ感染者と濃厚接触した可能性があるためで本人の意向による休場ではない)

まだまだ時に三役上位陣を煙に巻く力を秘めている。
そして、まだまだ若手力士の壁として立ちはだかる実力も。

温厚な人柄からサインや写真撮影には快く応じ「ファンサービスのいい力士」としても広く知られる。

敬愛なる幕内最年長
創設60年以上の老舗・片男波の至宝

あと8回寝ると訪れる夏場所に、玉鷲一朗は、東前頭9枚目・39歳6ヶ月で両国の土俵に上がる。

玉鷲といっしょ↓↓↓

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純血・中卒、高田川流

 モンゴル出身力士を中心に多くの外国人力士が台頭する現在の相撲界。
日本出身でも高校大学でアマチュア相撲や柔道などを経験し入門を志願してくる若者がかなり多くを占めるようになった昨今の相撲界。

この流れを抗うかのように、純血主義・(基本的に)中卒のみの入門の受け入れ、弟子育成を貫き続ける高田川部屋(師匠は元関脇・安芸乃島

藤島部屋(後の二子山部屋)に所属し、猛稽古で鍛え這い上がってきた。
関脇12場所を務め、獲得した金星は驚異の16個!
(千代の富士・北勝海・旭富士各4個、大乃国2個、曙・武蔵丸各1個)
そして有名なのが、勝利後の無口で寡黙な殊勲インタビュー。
「負けた力士に失礼だ」という理由であえてそうふるまっていたそうだが。


引退後、(同部屋で活躍した)貴乃花との確執で年寄株取得・移籍には時間を要したそうだが、2009年に先代・高田川と年寄名跡を交換する形で高田川部屋を継承した。
2009年9月に部屋を新築・移転し、完全に一国一城の主となる。

現在の関取は、湘南乃海竜電(先代からの弟子)・白鷹山と個性派揃い。
特にまだ年齢が若く、立派な体格で伸びしろが大きく感じられそうな湘南乃海には奮起を求めたい。
幕下に目を移せば、ホープとして名高い大辻(今場所・西幕下15枚目)や安房乃国など。
三段目には43歳の古豪・大雷道(元十両)もいる。

行司では、天下の「木村庄之助」(在位2場所目)も高田川に籍を置く。

昭和の香り漂うこの高田川部屋力士達が浪速の土俵を熱く盛り上げる。

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3代・朝潮の人物像

 3代・朝潮太郎。
現在の高砂から数えて3人ほど前の高砂(5代)であり、元横綱である(46代)
今日の投稿は親方としての3代・朝潮にスポットを当てる。怖くて厳しい親方だったらしいが一方で人情味あふれる数々のエピソードを紹介する。

4代・朝潮(長岡)編

・なかなか思うように大関昇進基準の星を挙げられず、大関獲りまで時間のかかった朝潮(長岡)に対して「朝潮という四股名をやったのは大失敗。黒潮にしておけばよかった」と嘆いたが、その末に昇進を果たした。
・大関昇進後も5代高砂(元横綱・朝潮)から稽古中に当たり前のように竹刀で叩かれていた。

双羽黒=北尾光司編

・この3代・朝潮の葬儀には廃業していた双羽黒が出席した。双羽黒が(事実上の)破門された経緯からこの出来事は意外だが、双羽黒曰く「事件の際、今迄お世話になった高砂親方に大変迷惑を掛けてしまい、深く責任を感じていた」とのことである。

小錦 八十吉編

3代・朝潮が死去した際、弟子の小錦は「みんなは俺のことをガイジン、ガイジンって言ったけど、親方は言わなかった。俺も体を切ったら赤い血が出る。お前も赤い血が出る。おんなじだよと言ってくれた」と泣いていた。

3代・朝潮太郎
総じて言えば、相撲・稽古には人一倍厳しく、とっても優しくて寛大な器の大きい方だったのか。ユーモアが利いて。
愛称(ニックネーム)のひとつとして「ケガニ」とあった。

1950年代が蘇ります↓↓↓