相撲駅下車から漂う情景

令和5年1月11日水曜日・大相撲初場所4日目、私は相撲駅・両国に降り立った。

何を隠そう、相撲観戦に来た。

東京都下、神奈川県某市から電車に揺られること、1時間15分ぐらい。

総武線ホームを降りて、目に入ったのがちゃんこ屋の看板の数々。

と同時に、捉えようのない匂いがした。

首を左右に180度、身体を360度回してみたら、至近距離に風呂敷抱えて電車待ちしてる力士がいるではないか。

なんだか独特な甘い香りがする、びん付け油の匂いだ。

「どちらの部屋所属ですか」
「四股名は」
「番付は」

声をかけられないから、心の中で問うてみる。

無表情のちょんまげ力士から、
(取組に)勝ったのか負けたのか
(内容が)良かったのか悪かったのか

淡々と帰路につこうとする姿から、察することはできない。

階段をてくてくと下っていき、改札へ向かうと何枚か優勝額が掲げてある。

やはり、しばらく立ち止まって見入ってしまう、素晴らしき偉人達だ。

ピピっと改札を出たら、相撲みやげ・グッズの露店がある。

右に曲がると、‐両国‐江戸NORENという和食の集合施設(ちゃんこ霧島など)

そこから顔を上げればでっかい国技館。

テンションは否応なく高鳴る。

道なりに歩けば、のぼりの数々。

ひいき力士ののぼりはあるか。
応援してる部屋ののぼりは。
全部で何本あるのかな。来るたびに思ってしまう。

見終わった頃に、国技館入口がある。

今日はどの親方にチケットもぎをしてもらおうかな。

聖地に足を踏み入れ、熱戦の数々を目に焼き付けたのだった。

友綱戦士去る、43歳・魁ノ若引退。

 令和5年初場所限りの引退力士は、13名を数えた。

どんな世界でも同じで、新しく入門してくる者もいれば、去る人間もいる。

120~130㎏台の頃か
写真が若い

そんな中、大島部屋の魁ノ若が43歳でついに現役生活にピリオドを打つ事になった。

最終場所となった1月場所は、西序二段35枚目で3勝4敗で負け越し。

福岡県鞍手郡若宮町出身。

1995(平成7)年3月場所、友綱部屋から初土俵。

最高位は、西幕下14枚目。
三段目優勝経験あり(2001年7月場所)

ちゃんこ長を長く務めてたと聞く。

私は、2012初場所の友綱部屋(大島部屋吸収合併前)の打ち上げパーティーに参加した。

友綱部屋の土俵全面に青いシートを被せ、テーブルを置き、食事を楽しんだ。真冬だったこともあり、心底寒かったのをよく覚えてる。足の裏が冷たいんだな、これがまた(靴をぬぎ、スリッパなどもなく、靴下のまま)

魁聖と写真を撮ってもらい、当時部屋付きだった元魁皇とも少し会話を持った。

力士たちがいろいろと世話をしてくれたのだが、とりわけ太っていて目に付いた力士がいた。

今思えばそれが魁ノ若だったように思う。
調べたら、230㎏ぐらいあった頃か。

ガガチャンネルでお馴染みになった、当時の阿夢露。

そのあと、探していると著名な力士2人との動画が残されているではないか。

28年近い、山あり谷ありの土俵生活、本当にお疲れ様でした。

第2の人生も当然、応援しています!

魁ノ若 尚弥 (かいのわか なおや)
通算成績 547勝573敗35休

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ウルトラよ、ミラクルを起こせ!

 現在の師匠・元幕内北桜が継承してから、珍名力士と話題性に富む式秀部屋。

現役珍名力士の数々・爆羅騎、大当利、冨蘭志壽、黎大丸、爽 など。

とりわけ今日は、165㎝・60.6㎏と一般人よりも小柄と言っても差し支えないだろう、宇瑠寅 太郎(うるとら たろう)に焦点を当てる。

宇瑠寅 太郎(うるとら たろう)こと高橋 徹(たかはし とおる)は1989年5月8日生まれで33歳にもなる。

経歴も少し変わっている。

高校卒業後、大手企業に勤務していたが、「このままでいいのか」と自問自答する生活が続いていた頃、現・式秀親方にスカウトされ、21歳4ヶ月で入門。

相撲経験全くなし。
柔道などの経験はあるようだが、何せこの体格。

2010年9月場所、櫻潮 功道(おうしお こうどう)の四股名で初土俵。
序ノ口と序二段を行ったり来たりすること3年。

2013年11月場所より四股名を宇瑠虎 太郎(うるとら たろう)と改名。心機一転を誓った。奇抜なこの命名、「3分間全力で土俵上で動き回ってほしい」という願いが込められてるそうだが、相撲という競技を3分間を全力で動き回ったら、ヘトヘトになり、精も根も尽き果ててしまうのではないかと懸念があるのだが、それはさておき、名付け親は部屋の女将。

しかし、相撲人生は好転せず苦労が続く。

両肩の脱臼や左足骨折(プレートを入れる程の)
2019年1月の左肩脱臼は、腸骨を移植するまでの手術を受けたほど。

つらく苦しかったこの時期には、こんな逸話があった。

2015年の前相撲で現在の小結・霧馬山、また引退してしまったが、30年ぶりのカナダ人の力士として話題になった誉錦との対戦。
2020年7月場所には戦後初の50歳現役力士、あの華吹(はなかぜ)に善戦及ばず、50歳の初白星を献上した。

いずれの対戦も敗れたので、言葉は悪いが、宇瑠虎(華吹戦では宇瑠寅)は引き立て役になった形となる。悔しかったろう。

またこの期間(2014年11月場所~2019年7月場所)にかけて、
前相撲4場所
番付外8場所
を数えた。

※前相撲と番付外の違い

前相撲(まえずもう)・・・入門した直後の力士が本場所でまず取る相撲。ケガや病気で上位から陥落し、前相撲を取る力士もいる。

番付外(ばんづけがい)・・・新弟子検査の合格者、前場所序ノ口で全休し陥落した力士、前場所の前相撲を全休した力士。これらの力士をまとめて「番付外」と呼ぶ。
とある。ほぼ同じような意味か。呼び方・言葉の違いだけか。

本題に戻す。

2018年1月場所より、宇瑠寅 太郎と改名(呼び方同じ)

2019年9月場所以降は、序ノ口から陥落することはないが、序二段より出世した形跡もないようである。

通算成績147勝210敗63休(65場所)
最高位・西序二段38枚目    sumogamesより

著しい軽量・華奢な体型を自覚し、立ち合いから奇をてらう動きを見せ、勝機を見出す宇瑠寅流。

~小兵名力士の昨今~

肩の脱臼から這い上がった力士と言えば、あの大横綱千代の富士がいる。

小兵力士の代表格には、現役では炎鵬照強、近年では舞の海維新力(チェコ出身の)隆の山辺りが名を馳せた。

33歳になった今も、日々稽古に精進し、研鑽を重ねる宇瑠寅に栄光が舞い降りる日は来るのか。

栃錦と若乃花とデンマーク体操と

 栃錦清隆

後の第44代横綱であり、現役引退後は年寄・春日野として、数々の名力士を輩出し、さらに日本相撲協会理事長として、今日(こんにち)の相撲界発展に努めた。177㎝132㎏の上体で得意技は、左四つ、寄り、押し、上手出し投げとする万能型だった。

そんな栃錦(現役時代)の愛称が次の通り

マムシ

名人横綱
技の博覧会
デンマーク体操
土俵の名人    Wikipediaより
とあった。

デンマーク体操って何ぞや?と思って調べてみると、
ダイナミックな動き・筋肉の伸展運動・振動運動を取り入れて構成されたデンマーク発祥の体操。とあった。
これでもわからなかったから、動画がないかと探してみたところ

まぁ、とにかく四肢を絶え間なく動かし、飛ぶ・跳ねる。
これらが、当時の栃錦の相撲っぷりと重なるものがあったのだろう。

またそれらが、第45代横綱・若乃花との名勝負の数々とつながってくる。

二人は水入り当たり前の激しい熱戦・好勝負を演じ続けてきた。
両者の対戦成績は、栃錦の19勝15敗とほぼ拮抗しており、土俵狭しと目まぐるしく動き回る二人の攻防が、全国の相撲ファンを熱狂させた。

栃錦が逝去して、33年が経つ。

相撲界は巡り巡って大横綱・白鵬が去り、新たな時代が到来するべく、連日熱戦が繰り広げられている。

あたみんとひふみん(熱海富士と加藤一二三)

 今年初場所を3勝8敗4休の成績で終えた伊勢ヶ濱部屋の人気者・熱海富士。

11日目からの休場理由は、インフルエンザ感染によるもの。相撲人生初の休場となってしまった。

大分日が経ったから、通常の生活を送れてるだろう。稽古は再開できたかな。

角界入りしてからのここまでを振り返る。

2021年1月・3月場所を、序ノ口・序二段優勝とこれ以上ないスタートを切った。

各段優勝インタビューで、その笑顔と素朴な人柄、語り口がいいキャラクターだなとすぐに焼きついた。

初土俵から所要8場所で関取昇進、その新十両の場所で7勝8敗と負け越すも、十両も4場所で通過。2022年11月場所で新入幕。幕内の壁は厚く4勝11敗で終わり、出直しとなった。

まだ、20歳と伸び代十分。得意の右四つに磨きをかけ、隆盛極める伊勢ヶ濱勢の一角に食い込んでほしい。

Wikipediaによると、妹の陽奈(ひな)は、熱海富士の母校、飛龍高等学校に在学し、2022年秋から、同相撲部初となる女性主将に就任。普段は、男子部員に交じって稽古に励み、去年4月には国際女子相撲選抜大会・軽量級3位に輝いたそうだ。女子相撲の怪物ここにあり!

かわってこちらは、「将棋界の異端児」「神武以来の天才」「1分将棋の神様」の異名を持つ、将棋棋士であり、タレントとしても活躍している加藤一二三。

将棋界では、名人位を獲得した実績があるほどの超一流棋士。
名人=(相撲界)で言う横綱である。

今でいう、藤井聡太的な存在だったのだ。

最年少記録だけでも
史上最年少プロ棋士
最年少勝利・最年少敗北
最年少A級昇級
タイトル戦最年少記録
などがある(まだまだあるかもしれない)

2013年頃から、バラエティー番組に進出。
フジテレビ系「アウトXデラックス」に出演。
「ひふみん」と呼ばれ、一躍、お茶の間の人気者になった。

「あたみん」と「ひふみん」、偶然にもひらがな4文字の愛されキャラの二人を、これからも応援せずにいられないと思った。