所作が美しく、真面目で温厚 豊真将

 元小結・豊真将 現在の立田川親方である。
所作が丁寧で清々しく、真面目で温厚(引退後の)時折呼ばれる解説からも、そういう要素が伝わり感じ取れる。力士としてはケガや病気に大いに苦しめられた土俵人生といったところか。その経緯を振り返る。

豊真将 紀行こと山本 洋介は1981年4月16日、山口県下関市(旧・豊浦町)で生まれた。相撲との出会いは地元の中学校の校庭に立派な土俵小屋があり、そこで鍛えられたのがきっかけ(3つ下の後輩に現在の山科親方・豊響がいたそうだ)
高校は埼玉栄高校へ相撲留学。全国大会に出場した。学業にも精を出し成績優秀(上位だったとか)その後、日大に進学するも蜂窩織炎が悪化、1年で相撲部を退部。しばらく経ったのちに大学も中退。相撲部で同期だった里山(現在の年寄・千賀ノ浦)らのプロ入りに触発され、バイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋に入門した。時に22歳11か月。

(退部後)約3年のブランクがあるせいか、入門当初の豊真将に対する錣山の印象は良いものではなかった。ひたむきに基礎からみっちりと稽古を積み、徐々に本来の力を取り戻した。
新十両へは初土俵から12場所目。その翌々場所には新入幕入りを勝ち取って見せた。

三賞を受賞し、順調に出世していく中で訪れた初めての試練は、2008年7月場所後の左手首の手術。術後の経過が思わしくなく、翌9月場所は自身初の休場。後から振り返れば、この辺からケガや病気に苦しめられることが多くなる。
2010年5月場所で東前頭2枚目で迎えた場所前に首を痛め、初日から6連敗で7日目から休場。復帰後、番付を小結まで上昇させ復活をアピールするも、左肩腱板断裂により2013年1月場所から2場所連続休場。そこから番付を前頭4枚目まで再上昇させてみせたが今度は虫垂炎の手術を2014年1月場所前に受け、この場所全休。翌場所十両陥落も見事14勝1敗で再復活を遂げた。

しかし、相撲の神様はどこまでも豊真将に残虐だった。
同年7月場所5日目・日馬富士戦で右膝前十字靱帯損傷など右脚を4カ所も痛める重傷を負い、全治2ヶ月の診断。右の膝から太ももが左の倍近くも腫れ上がって自力で歩くこともままならないほど。

皮肉にもこの取組が現役最後の一番となった。
回復状況が思わしくなく、翌2015年1月場所は幕下転落。初日から休場となったあと、6日目に引退を発表。年寄・立田川を襲名した。

引退後は、自身が所属していた錣山部屋の部屋付き親方となり、阿炎に次ぐ関取を誕生させるべく、元寺尾の右腕となり指導に邁進する日々だ。
「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と豊真将の引退会見時に錣山親方は称賛していたそうで、相撲や取り口だけでなく、所作や礼儀といった人間性の育成にも期待をしたい親方である。

引退会見の動画を見つけました。
実直さあふれる素晴らしい会見インタビューです。

豊真将と錣山部屋と↓↓↓

独自の視点で、初日期待の3番!

 明日から始まる大相撲夏場所。

巷では霧馬山と大栄翔の大関獲り、照ノ富士の復調具合、北の富士氏2場所連続解説休場、等々いろいろ語られているが、今日は私独自の視点で「初日」の楽しみな3番を上げようと思う(十両以下になってしまった)

~悔しさを力に変えて

十両最後の一番では、先場所好成績を収めながら番付運に恵まれず、新入幕入りを果たせなかった2人、東西の筆頭同士の豪ノ山湘南乃海の一戦がある。
先場所、十両優勝を遂げたあの逸ノ城に土をつけた豪ノ山。 片や
先場所、朝乃山に投げの打ち合いで顔に擦り傷を負わせ大善戦した湘南乃海。
メキメキと力をつけてきた2人が、初日に激突する。

~令和の怪物、十両2場所目~

十両8枚目同士は熱海富士落合
人気力士・静岡県熱海市出身の熱海富士に「令和の怪物」の対戦。
先場所・初顔で熱海富士が土俵際の突き落としで勝っているが、2回目の対戦はどちらに軍配があがるのか。

~大の里、デビュー戦~

更に幕下の取組からは、昨年のアマチュア横綱で幕下10枚目付出・大の里(二所ノ関)の「デビュー戦」が組まれている。
対戦相手は東幕下11枚目の石崎(高砂)
こちらもただ者ではない。大の里と同じ日体大出身の2学年先輩。
三段目付出で初土俵後、着々と勝ち越しを重ね、一時は西幕下筆頭まで躍り出た実力者が「刺客」として襲いかかる。

※他にも幕下筆頭同士の紫雷(木瀬)ー川副(宮城野)、高橋(二所ノ関)ー峰刃(錣山)
などが楽しみだな。

将来、大成する力士2人の手形入りサインです↓↓↓