今やモンゴル人力士全盛時代。秋場所の番付を見渡しても幕内で6人(北青鵬を除く)十両で4人、合わせて10人いる(間違えていたら失礼)それまでは「相撲の外国人力士」と言えば「ハワイ出身」が定番・決まり文句みたいな感じだった。
調べてみれば、あの横綱・武蔵丸を最後に(2003年で)ハワイ人の力士が日本の大相撲にいないという状態になった。誰もが知ってる代表例で挙げれば、高見山・小錦・曙・武蔵丸の系譜がここで途切れたことになる。
そしてこの辺から「外国人力士=モンゴル」という構図に変わってきた。
主な理由としては
・モンゴルでNHKの大相撲中継が放送され、弟子志願者が多くなったこと
・モンゴル国技の「モンゴル相撲」が大相撲に応用が効くこと
・貨幣価値の違い・・・出世すればお金持ちになれる など
先駆者として上げられるのは旭鷲山(元小結)そこから(象徴的な横綱として)朝青龍・白鵬・照ノ富士と続く。
「武蔵丸」「朝青龍」
ここで世代交代の時。
この武蔵丸と朝青龍の対戦は9回あって、武蔵丸の5勝4敗。
8回目の対戦、朝青龍が武蔵丸に最後に勝った相撲の動画があった。
2002年(平成14年)7月場所・14日目
武蔵丸はその前の3月・5月と2場所連続優勝。最後の輝きを放っていた時期。
朝青龍も関脇として2場所連続11勝、この場所に大関獲りがかかっていた。
朝青龍がこの相撲に勝ち、12勝を挙げ大関昇進を果たした。
武蔵丸は10勝5敗でこの場所終了。翌9月場所で自身最後の12回目の優勝を挙げたあと、致命的な左手首の故障を患い全快することなく、翌2003年11月場所途中で引退となった。
以後、朝青龍は大関も3場所で通過。2場所連続の14勝1敗の優勝で横綱を勝ち取り、伝説に残る大横綱として君臨した。
武蔵丸は引退後、借株ということもあり部屋付き親方を長く勤めたあと、先代武蔵川親方(三重ノ海)の停年退職により年寄「武蔵川」を取得。念願の独立を果たしている(2013年4月)関取はまだ輩出していないが一時、甥の武蔵國が所属していたが幕下止まり。2019年9月場所限りで引退している。
今日は外国人力士「ハワイ」と「モンゴル」の歴史が交差する時期、歴史が切り替わる一番・取組に焦点を絞ってまとめてみました。
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