大の里・高橋に続く二所の次鋒

秋場所の番付編成会議で二所ノ関部屋からは大の里と高橋の新十両が決まったと発表された。

(二所ノ関部屋から)次なる関取を目指せるホープと言われれば、宮城(写真・左)と嘉陽(同・右)を推したい。

名前(名字)が示す通り、2人とも沖縄出身(嘉陽自身は千葉県市川市出身だが(嘉陽の)両親が沖縄出身だそうだ)年齢も同じ24歳だが、1999年の早生まれである宮城が1学年上。出身大学も日本体育大学同士と偶然が重なる。

宮城は学生の頃から「ひねり技」で勝負を決めることがあったそうだが、目指すところは前みつを取って前に出る相撲らしい。
対する嘉陽は、突き押し相撲に勝機を見出す。

ここまでの出世状況・比較であるが、
宮城は序ノ口から初土俵を踏み(2021年5月場所)ここまで14場所中、負け越しはたった2場所。最新の名古屋場所では西幕下20枚目で4勝3敗。
嘉陽はアマチュアの実績が認められ、三段目付出(90枚目)でデビュー(2022年5月場所)ここまで8場所戦って、負け越しがこちらも2回。直近の名古屋では西幕下37枚目で5勝2敗。今年は1月から負け越し⇒勝ち越しを順繰りにきているが、秋場所はその壁を打ち破れるか。

去年6月、茨城県稲敷郡阿見町に1800坪の土地に2面の土俵とトレーニング室、建物の外には懸垂用の鉄棒や、半面のバスケットボールコートなども設置された今までにない斬新な部屋新設から丸1年が過ぎた。

大の里と高橋に次いで、大銀杏を結い、化粧廻しをつけられる十両に上がれるのはこの宮城か嘉陽か、他にも龍王と花房という幕下力士が控えている。

吉報が続く二所ノ関部屋の勢いは止まりそうにない。

お風呂・シャワーのあとは、このタオルでさっぱりと↓↓↓


掴み取れ、関取の座! 木竜皇

 今場所西幕下2枚目・木竜皇 博一(きりゅうこう ひろかず・立浪)

父は元幕内・時津海。先代(16代)時津風である。
弟は同じ立浪部屋所属の春雷(西三段目37枚目)

先場所、西26枚目で幕下優勝を果たした木竜皇が関取へリーチとも言えるこの番付(西幕下2枚目)まで登り詰めてきた。これまでのヒストリーを振り返る。

2002年10月31日、東京都墨田区生まれ。
両国小学校1年から相撲を始め、2年と4年時に白鵬杯で優勝、5年時にわんぱく相撲全国大会2位の実績を残した。
中学(千葉県柏市立柏第二中)3年時にも全国大会で団体優勝を経験。
高校は相撲の名門・青森県立三本木農業高校へと進み、相撲部主将を務める。

~時津風部屋入門予定が~

高校卒業後は父が師匠の時津風部屋に入門する予定が、皮肉にも父の時津海こと当時の時津風親方の不祥事が原因で木竜皇が高校を卒業する直前に父・時津風が相撲協会を退職。
この事態を受けて時津風部屋に入門するか再考した結果、立浪部屋に入門先を変更した。
2021年5月場所で初土俵を3歳年下の弟・正真(四股名:春雷)とともに立浪部屋に入門。兄弟で入門同期ということになる。

        弟・春雷

出世は早かった。
幕下中位まで7場所連続勝ち越し、そのあと2回負け越しを記録するも、先場所の幕下優勝で再び躍進。関取昇進へ向けて大勝負となる場所となった。

木竜皇 博一 入門時にはその時の流れで運命に弄ばれたが、立浪部屋で関取到達まであと一歩というところまで上がってきた。
先場所幕下優勝時の人柄の良さが伝わってきたインタビューは目と耳に焼き付いて離れない。

明日(初日)に十両経験者・栃武蔵(春日野)との一番が組まれている。
サバイバルの始まりだ。

一気に決めようぜ、木竜皇!!



尾上部屋の一番星

 北天海 葵(ほくてんかい あおい・東幕下28枚目)は、現在尾上部屋(師匠元小結・濱ノ嶋)の出世頭である。

あの元幕内・貴ノ岩を叔父に持つ⇒⇒

中学校までモンゴルで過ごし柔道を経験、得意技は内股だった。

高校は埼玉栄高校に入学(経緯は不明)
相撲部監督に勧誘されて、高校1年次から相撲を始めた。

同期には琴勝峰など。

高校卒業後は尾上部屋に入門。外国出身者に課せられる6ヶ月間の研修期間や、興行ビザ取得待ちがあったため、高校卒業から1年4ヶ月後の2019年7月場所に初土俵。

序二段と三段目で各段優勝を経験している。

幕下15枚目以内をここまで6場所経験。

目標・憧れの力士は元大関・北天祐。
四股名もやはり北天祐に由来していて、北天海の「海」の字には「モンゴルから海をわたって日本に来た」という意味が込められているそうだ。

部屋付きの音羽山親方(明るく元気な解説でおなじみの元・天鎧鵬)の見立てによれば、北天海は「離れてよし、組んでよし。両方磨いていけば関取が見えてくる」「一番はハートが強い」とのこと。

まだまだ奥底に眠っている才能があると受け止めた。

女性用扇子と憧れの「北天祐」が掲載されている雑誌です↓↓↓


 

 

藤島部屋期待のホープ、富士の山

 元大関武双山が師匠の藤島部屋。
両国からも程近く、住所は荒川区東日暮里。
最寄り駅は山手線鶯谷駅より徒歩6分のところ。

現在、関取は2人。
武将山 虎太郎・・・(西前頭16枚目・1場所で幕内返り咲き)

藤星雲 龍輝・・・・(東十両6枚目・新十両で見事勝ち越しを決め、十両2場所目)

この2人に続けとばかりに、幕下上位に躍進してきた若者がいる。

富士の山 優斗である。

最新番付では、西幕下13枚目。
静岡県富士市出身。 今年初場所(1月)から四股名を本名の鈴木から富士の山に変えた。
愛する地元の意を込めたであろう簡素な力士名には高く・大きく・雄大・壮大に生きる・目指すなどの願いが注ぎ込まれているのか。

経歴を簡単に振り返る。
小学校4年から相撲を始め、わんぱく相撲全国大会3年連続で出場、6年次にはベスト8まで進出。
中学では柔道部に活動しながら、相撲道場に通っていたそうなので、この頃は二刀流で活躍していた。
高校は沼津市にある飛龍高校(OBに翠富士・熱海富士・熱海富士妹(女子相撲で活躍))に入学、全国大会・高校総体で活躍した。
高校卒業を待たずして、中学2年時に稽古をする機会があった藤島部屋に入門を決意。

今年から改名したこのシンプルな四股名と押し相撲で関取射程圏内に登り詰めてきた。

藤島部屋現役3人目の関取誕生なるか、十両昇進へ向けて待ったなしである。

下の商品をクリックしてください↓↓↓↓↓↓↓↓

東幕下51枚目・黒姫山??

 番付発表より。

ネットニュース・スポーツ新聞記事で散見された「黒姫山」の記事。

ん??

東幕下51枚目・境川部屋、黒姫山虎之介。

来場所・7月場所より 「田中山」から「黒姫山」に改名をする。

なんか、聞き覚えのある四股名だなぁと思いつつ、調べてみたところ、

先代の黒姫山は立浪部屋の力士として、70年代に幕内上位で活躍。初土俵の同期には渡辺大五郎氏(元関脇高見山)らがいる。最高位は在位8場所の関脇で三賞は8回受賞し、金星も6個獲得。立ち合いの破壊力ある、頭から当たるぶちかましの威力から、蒸気機関車(SL)の代名詞ともいえる「デゴイチ(D51)」の異名を取った。82年1月の初場所を最後に現役を引退。その後は親方として後進の指導に当たり、13年11月に停年退職。19年4月25日に70歳で亡くなった。

この黒姫山の孫であることが発覚した。

正直、私は(祖父の)現役(全盛期)を見た世代ではない。失礼だがキャリア末期に少しお見かけしたぐらいである。

引退後は1999年2月、当時準年寄であった旭豊が立浪部屋を継承したため、長男の羽黒灘と次男の羽黒國を連れて立浪部屋から分家独立して武隈部屋を創設した。年齢も最高位も7代立浪を上回る年寄が部屋にいては旭豊がやりにくいだろうという配慮で立浪部屋を離れたのだと、当時は受け取られていた。新弟子は一切取らず、羽黒國が引退して所属力士が不在となった2004年3月場所後に部屋を(わずか5年で)閉鎖して、自身は友綱部屋へと移籍し、長く部屋付きの年寄・親方だった。

(孫・虎之介は)わんぱく相撲の墨田区大会で優勝したことはあったものの本格的な相撲経験はなく、両国中では吹奏楽部でチューバを担当していたことも判明。

2018年7月場所初土俵の21歳。
幕下在位8場所目でのこのタイミングの改名は、何を意味するのか。

より一層の奮起を促すものなのか。

力士になって丸5年。この辺りで一段と真剣に本気で相撲と向き合い、関取の座を手元に引き寄せてほしいものだ。

ピンク色が入ってるおしゃれなトートバッグです↓↓↓