尾車部屋発・豪風行き3力士の現在地

 年寄・押尾川、現在は元関脇・豪風が所有していて、去年(2022年)2月に独立。

同じく昨年4月に墨田区文花に新築した部屋も完成し、豪風の代になってからは、まだ産声を上げたばかりの部屋である。

それに伴い、豪風が現役時代に所属していた尾車部屋の師匠(元大関・琴風)の停年も重なり、矢後天風飛燕力の3力士も移籍・転属してきた。

矢後と天風は元幕内、飛燕力は最高位幕下29枚目ながら、40歳。149場所を戦い抜いてきた大ベテラン。

今場所は、どの辺りに番付されているのかなと調べてみた。
各力士の最初(左側)に書いたのが、今場所(最新)の番付である。

矢後 太規(やご たかのり)

西幕下17枚目 最高位・西前頭10枚目。


アマチュア横綱のタイトルを手に、同じ中央大学出身の豪風(現・師匠)が所属している尾車部屋に入門(2017年5月場所・幕下15枚目格付出)




同年9月場所、3場所目で新十両。2場所で幕下へ逆戻りとなったが、その場所で(東幕下筆頭)5勝2敗と勝ち越し、1場所で十両へ復帰。

そこから丸2年、13場所に渡って関取の座を維持してきたが、やはり膝のけがに苦しんだようである(これ溯ると中学時代に両膝の靱帯、左半月板を痛めた過去があるらしい)
2021年から現在までは十両9場所、幕下5場所を務めた。

ゲン直しで飲みに行ってストレスを発散するようなタイプではなく「冗談のひとつも言わない堅物」とのこと。

今年初場所千秋楽、宮城野部屋のホープ川副と対戦した動画がある。

矢後太規28歳、本領発揮はまだこれからだと見ている。

天風 健人(あまかぜ けんと)

東三段目26枚目 最高位・東前頭13枚目。
香川県仲多度郡琴平町出身。

小学校入学前から柔道を始め、数々の実績を上げる。
中学2年次には四国中学総体で優勝したことで尾車部屋関係者の目に留まり、師匠(元大関・琴風)が自らスカウトしに赴いた。

入門後、長い下積みにも挫けず8年かけて新十両。
その場所で10勝を上げ、十両優勝を争う活躍を見せた。

2016年7月場所では、初日から5連勝。その後も連敗することなく白星を積み重ね、14日目に臥牙丸に勝って12勝目をあげ、初の十両優勝が決定。最終成績は13勝2敗。

翌場所、新入幕を遂げるが5勝10敗で負け越した。現在、天風の幕内在位はこの1場所のみである。ここから負け越しが続き、2018年5月場所に幕下に陥落。
その後、右膝の関節が外れるという大けがの影響で2018年9月場所から3場所連続で全休した。

愛称として、本名(下の名前)の「ケント」と「讃岐の口車」とあった。
これは、角界随一の口達者であることから師匠の尾車からつけられた異名だそうだ(笑)

飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ)

西序二段12枚目 最高位・西幕下29枚目

最後を飾るのが40歳の大ベテラン力士、飛燕力である。

1998年3月場所で(元大関・大麒麟師匠の)押尾川部屋から初土俵を踏む。同期には追風海、玉乃島、北太樹、玉飛鳥らの豪華メンバー。

1999年7月場所は6勝1敗の好成績で(序ノ口)優勝決定戦に進出しているが敗退。

序二段生活が長く続く中、2005年3月場所限りで押尾川部屋が閉鎖された後は、一門の尾車部屋に移籍する。

2008年からは、三段目に定着。
チャンスが訪れたのは、2014年7月場所。この場所の13日目には、6戦全勝同士の取組として、初土俵以来土付かずの20連勝だった安彦(後の剣翔)を突き落としに破り、初土俵から98場所目にして初の各段優勝となる自身初の三段目優勝を飾った。

翌9月場所に99場所目にして初の幕下昇進を果たした。この場所は1勝6敗の成績で、1場所では三段目に陥落。
2018年5月場所は、2番目の相撲で右膝靭帯断裂の大けがをしたため途中休場となった。初土俵以来初の休場で連続出場も834で止まった。
以降は、三段目と序二段の往復が続いている現状である。

2022年1月場所後、相撲協会の定例理事会で、尾車部屋が閉鎖されることと、押尾川部屋を新設することが承認され、自身は押尾川部屋へ転籍することになった。所属部屋が押尾川部屋に戻るのは、旧押尾川部屋が閉鎖されて以来17年ぶりとなった。

2度の部屋転籍を経験している稀有な力士だ。

レアもの。尾車部屋バスタオル↓↓↓

行くしかないでしょう!

 

いよいよ今度の日曜日から始まる五月場所を告知する相撲協会公式Twitterを見つけた。

モデルは見ての通り千代丸関です。

私は2日目の2階指定席を購入しました。

前回(今年初場所)、名物「国技館焼き鳥」は、製造工場の従業員寮で、コロナのクラスターが発生したらしく、これにより作業できない状況とかで販売中止となっていた…。
ので、今回はきっちりとリベンジを果たし、焼鳥を頬張ると心に決めている。

気づけば千代丸も32歳。今場所は東十両10枚目に番付された。

バラエティ番組に多数出演で親しみやすいキャラクターは広く知られている。

最高位は東前頭5枚目。三賞・金星獲得はここまで記録がない。

基本的な取り口は突き押し。太鼓腹をうまく使った土俵際の寄りもあり。
この動画で少しだけ見られる(スロー再生部分で)

兄弟力士としても知られ、弟は元小結・千代鳳。
2021年11月場所限りで引退し、現在は年寄・大山を襲名している。

またこの兄弟、鹿児島県志布志市出身。
同郷では、1980年代後半から90年代初めに活躍した元小結・陣岳(井筒)がいる。

最後に懐かしい名前が出できたな。

大砂嵐入りのレアものです↓↓↓

はっきり言って実力派です

 宝富士 大輔 36歳(伊勢ケ濱)

来たる夏場所は西前頭10枚目に番付された。

かつては最高位「西関脇(2016年9月場所)」まで君臨した実力者である。

近畿大学出身。
アマチュア時代、数々のタイトルを手に高校・大学、そして同郷・青森県の先輩でもある、元横綱・旭富士が師匠の伊勢ケ濱部屋に入門。

某タレントに似ていると話題になった事もあるが、それは置いといて。

ここ数場所は年齢による衰えもあるのか、身体的な事情があるのかわからないが
2022年9月場所 東前頭5枚目 5勝10敗
  同年11月場所 東前頭8枚目 3勝12敗

と負け越したあと、8勝・8勝と勝ち越し、夏場所では西前頭10枚目と番付を上げてきた。

宝富士の取り口(勝ちパターン)は左四つ・左四つがっぷりに至る左差しが絶対的な形である。

会心の相撲としては、この白鵬戦が一番宝富士の利点が生かされた相撲だったように思う。
速い相撲だったし。

最近の伊勢ケ濱部屋というと、特に翠富士と錦富士の台頭が著しいが、忘れちゃならないこの実力派を。

妙義龍、碧山と並んで2位タイとなる現役幕内高年齢だが、「左四つの盤石相撲」をまだまだ見せ付けてほしいものだ。

宝富士・力色紙いかがですか↓↓↓

痛みに耐えてよく頑張った!  鬼の形相に至る3番

 2001年夏場所時点での貴乃花光司は、横綱在位38場所・幕内優勝21回を数えていた。

経歴を振り返ると、20回目の優勝から21回目の優勝まで13場所要している事や(この期間中)肩や腕などのケガにより2場所休場したりと、力士(横綱)としてのピークが徐々に過ぎているのは、本人も自覚していたと思う。

当時の番付(星取表)を見渡せば、
横綱 東 貴乃花 西 武蔵丸
大関 魁皇・武双山・出島・雅山・千代大海の5人。
後の横綱・朝青龍は西小結
同じく白鵬に至っては、初土俵した次の場所で、東序ノ口16枚目の番付というから時代の違いを感じさせる。

本題に戻る。
当の横綱・貴乃花は、初日から13連勝で(不戦勝1を含む)優勝争いを独走していた。
14日目、武双山に巻き落としで敗れた際に、右膝半月板を損傷する大けがを負った。
その一番。

(千秋楽の出場に対して)関係者も休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため強行出場した。
テーピングすらせずに土俵入りを済ませ、迎えた武蔵丸との横綱対決(本割り)

ご覧の通り、立合いの変化に全くついて行けず敢え無く敗退。
これで武蔵丸と相星となり、続く優勝決定戦。

前日の武双山戦で、立つことも困難なほどの重傷を負ってもなお、どうやったらここまで自分を掻き立てることができるのか。気迫満点の素晴らしくも輝かしい相撲だった。

取組直後の鬼の形相、興奮冷めやらぬ表情での勝ち名乗りを受ける場面は今も記憶に新しい。

~当時の首相が来場した名場面~

これで終わりではなく、続く表彰式には観戦に訪れていた当時の小泉純一郎首相が内閣総理大臣杯の授与を自ら行い「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と賛辞を送った。
(動画 5:55あたりから)

しかし、皮肉にもこの22回目優勝が貴乃花最後の優勝となった。
右膝の故障はかなりの重症だったのである。
この後7場所連続全休で治療に努めたものの十分に回復せず、2003年1月場所途中で現役引退を表明したのだった。

今思えば、小泉首相の表彰式来場と貴乃花に対する賛辞は、相撲の神様からの演出だったのかもしれない。

私も夢でした↓↓↓


名門・時津風に灯りをともした男

 時津風部屋、あの第35代横綱双葉山が興した由緒ある部屋、溯れば双葉山相撲道場である。(下の画像・左から場道撲相山葉双と横書きの看板が薄く見える)

関取は、去年11月に豊山、2020年7月に人気力士・豊ノ島がそれぞれ引退。

現役の関取は正代ただ1人の孤軍奮闘状態である。

こんな状況を打破するべく、一人の救世主が現れた。

時疾風 秀喜(ときはやて ひでき)である。

今日はこの時疾風の十両入りと前途を祝して人物像を紹介したい。

時疾風 秀喜こと冨栄 秀喜(とみえ ひでき)は1996年8月25日、宮城県栗原市に生まれる。

相撲との出会いは小学校2年。地元の相撲クラブで始めた。

中学生の頃から小牛田農林高校の合宿に参加しており、その縁で同高校に進学。
主な実績としては、3年次にインターハイ3位。

大学入学後(東京農業大学)は、同学年に当たる翠富士と錦富士が近畿大学を中退して角界入りしたことに刺激を受けて、角界入りを決意。

卒業後に時津風部屋に入門。
2019年3月に初土俵を踏んだ。

序ノ口に名前が載った翌5月場所を6勝1敗。
次の7月場所を7戦全勝で見事、序二段優勝。
翌9月場所も6勝1敗の好成績を挙げ、序ノ口・序二段・三段目を各1場所で通過。

幕下に上がっても順調に勝ち越しを続けるが、10枚目以内に入ると負け越しを記録するようになる。やはり甘くないというか、実力者たちが厚い壁となって立ちはだかってきた。

2021年9月場所、左太ももの肉離れと右ひざ内側靭帯の損傷により途中休場するも、翌場所には復帰して5勝2敗。以降コツコツと勝ち越しを積み重ね、念願の関取昇進を果たした。

さぁ、これで翠富士と錦富士に一歩近づき、これからが本当の勝負だ。

178cm・129㎏の体格を駆使したスピード相撲が持ち味。

時疾風秀喜 疾風のように現れた新十両の場所で疾風(しっぷう)を巻き起こすことができるのか。

時津風部屋の歴史がこの一冊に集約されてます↓↓↓