豊山3代 「新潟県」 「東農大」

 この「豊山」という四股名は、名門・時津風部屋に受け継がれる由緒ある四股名である。

過去に3名存在。
有力・有望な力士に引き継がれた訳だが、この3人には共通点がある。
それは「新潟県出身」で「東京農業大学出身」であることだ。

3代目・豊山

元前頭、本名・小柳亮太の近影。

本人・X(旧ツイッターより)

去年11月場所限りで引退。今年4月に秋葉原で四股踏みトレーニングをメインとしたパーソナルジムをオープン。

そのトレーナー業だけに留まらず、故郷・新潟や東京でのハーフマラソンや各種スポーツイベントへの参加。見据える先には、来年3月の東京マラソンを走ることにあるそうだ。
「元相撲取りでも、ここまでやれるんだ」というアピールか。

現役時代の体重は178㎏あったが、現在は120㎏台らしい。
上に貼った画像は、それ以上に瘦せたかもしれない。髪の毛切って、ひげもきちんと剃って。精悍な印象すら漂う。

現役時代の最高位は、西前頭筆頭で敢闘賞1回を受賞している。

「2024年は楽しみにしてて」と自身のツイッターで予告めいたことをつぶやいていたのが散見されるが、これは何を意味するのか。

学生時代は同学年で近畿大学の石橋広暉(後の朝乃山)とともに学生相撲界のトップを走り続けた逸材を持ってしても、年寄株取得困難になった犠牲者になった一人か定かでないが、相撲(四股)をベースにした個人事業の成功をどこまでも祈りたい。

初代・豊山

1961年から1968年まで現役として活躍。
最高位は34場所務めた大関。
初土俵(幕下10枚目格付出)から大関まで所要13場所。早い時期から横綱を期待されたが、大事な一番になると硬くなって取りこぼすなど優勝に縁がなく、遂に横綱昇進は果たせず未完の大器に終わった。1968年9月場所限りで引退。

引退直後に師匠だった元・双葉山が死去。元・鏡里の当時立田川の継承を経て、豊山に(時津風継承の)お鉢が回ってきた。
育てた関取として、豊ノ島・大豊・時天空・蒼樹山・天ノ山などが主な面々。

また、1998年から2期4年に渡り理事長に在職。相撲界の改革に尽力した。

2代・豊山

1970年3月場所から1981年まで現役として活躍。
最高位は東小結。幕下付出(59枚目)デビュー。のちに横綱まで登り詰めた輪島の1場所あと。高額な契約金や雑用の免除、引退後の部屋継承という異例の好待遇で花籠部屋に入門した輪島に対し、長浜(豊山)は年寄名跡の確約のみで時津風部屋に入門し、自ら進んで中卒の新弟子達に混じり、ちゃんこ番や掃除番など部屋の雑用も積極的にこなしていたという。

その横綱・輪島戦には激しい闘志を燃やし、金星4個を獲得した(通算対戦成績は豊山の8勝12敗)するなど善戦。

1981年5月場所限りで引退。年寄・湊を襲名。湊富士などを育てた。
教員免許を持つなど文武両道の2代・豊山だったが、2020年9月19日、膵臓がんのため、72歳で逝去している。

時津風部屋に栄光あれ↓↓↓


ウルフ伝説 ~対寺尾戦・吊り落としの巻~

 通算1045勝・幕内優勝32回を誇る、大横綱・千代の富士 貢。
思い出の一番と言ったら数あれど、この対決も忘れられない。
その千代の富士が、当時26歳の若武者・寺尾を吊り落とした一番だ。

1989年11月場所5日目

寺尾は当時、その場所を含めた三役在位連続8場所中の2場所目。終わって振り返れば寺尾の全盛期。対する千代の富士は34歳を迎えていたが、この1989年はここまで3度の優勝を飾っており、まだまだ衰え知らずの強さを発揮していた。

寺尾はこの年の初場所に(8度目の対戦で)千代の富士を外掛けで破っている。2匹目のどじょうを狙うとばかり威勢よく大横綱に挑んだ。結果はその時の復讐と言うか「公開処刑」のような幕引きだった。

立ち合いから回転のいい突っ張り、千代の富士は堂々と受けて立つ。「来てみろ!」「ほら来いよ」とばかりに。結果はひとしきり「突っ張らせておいて」ウルフは寺尾の右腕をたぐり、後ろにまわる格好になって土俵に叩きつけるように「吊り落とし」が決まった。

同じことを書くようだが、寺尾の愚直で一途、勝利への思いの込めた突っ張りの矢を次々に悠然と(平然と)受け止めて、力の差を「吊り落とし」という技で体現してみせた。

大横綱としての証がそこにある。

千代の富士対寺尾の取組は17回の対戦があるが、なんてったってこの一番が代表的・忘れられない対決だ。

34年経った今、愛弟子阿炎との2ショット↓↓↓


世代交代の時 ~武蔵丸から朝青龍へ~

 今やモンゴル人力士全盛時代。秋場所の番付を見渡しても幕内で6人(北青鵬を除く)十両で4人、合わせて10人いる(間違えていたら失礼)それまでは「相撲の外国人力士」と言えば「ハワイ出身」が定番・決まり文句みたいな感じだった。

調べてみれば、あの横綱・武蔵丸を最後に(2003年で)ハワイ人の力士が日本の大相撲にいないという状態になった。誰もが知ってる代表例で挙げれば、高見山・小錦・曙・武蔵丸の系譜がここで途切れたことになる。

そしてこの辺から「外国人力士=モンゴル」という構図に変わってきた。
主な理由としては
・モンゴルでNHKの大相撲中継が放送され、弟子志願者が多くなったこと
・モンゴル国技の「モンゴル相撲」が大相撲に応用が効くこと
・貨幣価値の違い・・・出世すればお金持ちになれる  など

先駆者として上げられるのは旭鷲山(元小結)そこから(象徴的な横綱として)朝青龍・白鵬・照ノ富士と続く。 

「武蔵丸」「朝青龍」

ここで世代交代の時。
この武蔵丸と朝青龍の対戦は9回あって、武蔵丸の5勝4敗。
8回目の対戦、朝青龍が武蔵丸に最後に勝った相撲の動画があった。

2002年(平成14年)7月場所・14日目

武蔵丸はその前の3月・5月と2場所連続優勝。最後の輝きを放っていた時期。
朝青龍も関脇として2場所連続11勝、この場所に大関獲りがかかっていた。

朝青龍がこの相撲に勝ち、12勝を挙げ大関昇進を果たした。
武蔵丸は10勝5敗でこの場所終了。翌9月場所で自身最後の12回目の優勝を挙げたあと、致命的な左手首の故障を患い全快することなく、翌2003年11月場所途中で引退となった。

以後、朝青龍は大関も3場所で通過。2場所連続の14勝1敗の優勝で横綱を勝ち取り、伝説に残る大横綱として君臨した。
武蔵丸は引退後、借株ということもあり部屋付き親方を長く勤めたあと、先代武蔵川親方(三重ノ海)の停年退職により年寄「武蔵川」を取得。念願の独立を果たしている(2013年4月)関取はまだ輩出していないが一時、甥の武蔵國が所属していたが幕下止まり。2019年9月場所限りで引退している。


今日は外国人力士「ハワイ」と「モンゴル」の歴史が交差する時期、歴史が切り替わる一番・取組に焦点を絞ってまとめてみました。

朝青龍ファン必見!!↓↓↓

 

高見盛が一番輝いた日

 現役時代の高見盛(現・東関親方)は、1度だけ当時の朝青龍に勝ったことがある。
2003年7月場所8日目の事。当時の番付は朝青龍が東横綱で横綱在位3場所目「偉大な横綱」として君臨するその礎を築いている時期だった。一方の高見盛は西前頭3枚目。この年から永谷園のCMにも出演。実力も人気もうなぎ上りに上昇中の頃だった。

いざ大一番へ。ロボコップと形容された気合注入シーンから。

相撲は、立ち合いすぐに高見盛が左上手を取る。この左上手が命運を分けた。朝青龍すぐさますくい投げで振るが強引。高見盛、チャンスを逃さんばかりに得意の右のかいなを返し、渾身の寄り切り!座布団が大量に(異常なほど)舞い飛ぶ愛知県体育館、高見盛も一礼する直前に「ヤッター!」と叫んでいたのだろう、明らかに口がそう動いていた。高見盛と観客の歓喜の渦はしばらく鳴りやまなかった。

高見盛はこの場所5日目にも横綱・武蔵丸相手に金星を挙げて、2横綱・2大関(武双山・千代大海)を破る大活躍、9勝6敗で殊勲賞を受賞した。

その後、長らく幕内で活躍。2011年9月場所に十両陥落後も奮闘を続けていたが、2013年初場所限りで引退。現在は審判部に配属され、あの独特の高見盛キャラはここでも生かされてる。

早いもので引退後10年が経つんですね。

これはユニークな逸品です↓↓↓

正代の 良い・普通・頑張ろう ~秋場所より~

良い正代 7日目・貴景勝戦
貴景勝ペースで進む。突き放し、左からのいなし、強烈な張り手を右から左から1発ずつ2発浴びせる。引いたところにつけこみ押し出して正代。張られたあと明らかに表情が変わった。 
貴景勝も初日黒星スタートのあと、5連勝できて6連勝を狙いたい取組だったのだろう。元大関に勝って更に勢いにのっていこうという腹積もりだったのかもしれないが、眠れる「正代」を起こす形になってしまった。正代の「気合入った版」これを常時見てみたいものだ。

普通の正代 14日目・朝乃山戦
正代だって元大関。こちらも元大関・朝乃山。自らの不祥事で一時は三段目まで番付を下げたが、捲土重来を期して番付を前頭2枚目まで戻してきた。
お互い五分の立ち合い、右差しから迷うことなく電車道。体・重心を預けて寄り切った。
実力者同士の実力伯仲の対決に思われたが、正代だってもっているものをいかんなく発揮し、積極的な相撲を取ればうまくいく、白星が取れる好例とも言っていいだろう。

頑張ろうの正代 6日目・霧島戦
霧島からの左のど輪で顔をはね上げられたが、左が入って寄って出た。勝負を決めに寄って出たが、霧島左からの強引なすくい投げ!正代は回しを引いてない分、伝わる圧力も弱めになり、体が伸びかかり気味のところに、霧島のすくい投げを食った形になってしまった。勝ち急いでしまったのか、もったいない一番を落としてしまった。

正代と申します↓↓↓