消えた宮城野 宝香鵬 宏作

 宮城野部屋閉鎖から丸1年近く経った。
理由は当時幕内の北青鵬の後輩力士に対する暴力行為から端を発したこと。
以降は伊勢ヶ濱部屋預かりとなっている。
照ノ富士の引退、更には現・伊勢ヶ濱親方(元・横綱 旭富士)の定年が今年7月と迫っており、にわかに(白鵬の)宮城野部屋復活のタイミングがいつになるかという話題も聞こえなくもない。

今回はその1年前の閉鎖したタイミングで引退していったとされる4名(宝香鵬、大谷、千鵬、竹丸)のうちの「宝香鵬」を振り返る。

埼玉栄高校で相撲ではなく、レスリングをやっていたそうで、父とともに国技館で相撲観戦した帰りに当時の大関白鵬からスカウトされたという「おとぎ話」のような力士になったきっかけを持つ(高校も2年で中退)

三段目から幕下に上がるまでやや時間を費やしたが、ひとたび幕下に昇格してからは引退まで三段目以下に降格することはなかった。幕下を12年以上(74場所)張り続けたというのだからすごい。この記録は連続幕下在位記録歴代3位だそうです。

一時は、西幕下3枚目まで躍進したが関取昇進ならず。
最後まで白鵬の弟子として師匠を変えることはできないとして、部屋の閉鎖のタイミングと同時に相撲協会に引退届けを提出した。

宝香鵬 宏作
通算成績:360勝321敗27休

このうち、幕下で相撲を取ること500番近く。
関取の日の目を見ることはなかったが、力士としては胸を張って「成功した」と言い切れる部類の実績だと思う。

好物はカレーライス
座右の銘は「燃える闘魂」

第2の人生は充実したものであるのか。

超レアな動画を発見!
今、世間を震撼とさせている翔猿の本名「岩崎」時代に、この宝香鵬と対戦している一番を見つけた。

拝啓・弓取り力士様 聡ノ富士編

 先場所途中で横綱・照ノ富士(伊勢ヶ濱)が引退したのと同時に聡ノ富士の弓取り式も見られなくなった。6日目以降は琴翼(佐渡ヶ嶽)が再起用となってそのまま千秋楽まで続けた。

 横綱が在籍する部屋に所属する力士かつ幕下以下の番付下位の力士が弓取り式をする力士の原則となっており、この規定に当てはめれば、もう聡ノ富士の弓取り式は見られずじまいの可能性が高い。

弓取り式を行った最多回数を誇る力士は、他でもないこの聡ノ富士。
来る日も来る日も、結びの一番で勝利した力士に代わり弓を振り続けてきた。

さて本業の方は。
既に47歳。2か月後には更に1歳年を取る。
先の1月場所は、東序二段72枚目で2勝5敗。
どこに目標を置き、何を支えに相撲を取り続けるのか。

通算成績:566勝617敗21休

高校時代の柔道経験が活きているのかわからないが「居反り」で勝つこと16回を数える。
「アクロバット」は何も宇良だけの専売特許ではない。

2018年の9月に炸裂させた一番らしく、逆算すれば実に41歳で決めたこの荒技であった。

ちゃんこの腕前も高いらしい。

年寄・井筒 元明瀬山を思い返す

 現役引退から1年半、明瀬山は年寄・井筒として木瀬部屋の部屋付き親方として活躍中。
相撲協会員としては、指導普及部・社会貢献部に身を置いている。

人間性、キャラクターの良さは今さら言うまでもない。
東京開催の国技館に行けば、花道(通路奥)や売店周辺で時折お見掛けする。

爆発的な力(これといった)決定的な型を持ち合わせていなかったように思えたが、大学を卒業したばかりの22歳の青年が38歳まで現役を続けられた理由として「師匠の指導のおかげでした」と謙遜気味に答えたという(引退会見時のコメント)

改めて番付の変遷に目を通したが、十両昇進までは順調に駆け上がっていくも、幕内昇進は(初土俵から数えて)8年を要している。
(私はあとから知ったのだが)腰のヘルニアに悩まされ、出世の阻害となった要因らしい。

最高位:東前頭12枚目(2021年3月場所)
各段優勝2回
幕下 (2009年7月場所)
序ノ口(2008年3月場所) を記録。

好角家・能町みね子氏が命名したという「パンの山」と形容されたその垂れ下がった肉体で奮闘する動画を見つけた。
時は2021年初場所(5年ぶりの再入幕・明瀬山唯一の幕内勝ち越しを決めた場所であった)人情味あふれるインタビューも途中に収録されている。

(引退時に親方としての抱負を)「『この力士を応援して良かった』と思ってもらえるような力士を育てたい」と語ったそうだが、その言葉に匹敵する・相応しい若者を見つけられたでしょうか。

最後に、当時相撲ファンの間で話題となった断髪直後(大銀杏を切り落としたすぐあと)に明瀬山自身が朗読したメッセージの動画を貼り付けて、今日のブログを締めたいと思います。
9分以上に及ぶ感極まるスピーチでした。

井筒親方、今後とも変わらず応援させていただきます!

川副が再び輝きを取り戻す

 学生横綱から鳴り物入りでプロ入り
川副圭太もケガによる番付降下を余儀なくされた。

新十両場所(2023年7月)での左足関節靱帯損傷
次の場所でも右足肉離れを起こしいずれも途中休場
番付を序二段23枚目まで落とした(昨年7月)
その間に所属していた宮城野部屋も伊勢ヶ濱部屋に転籍。
気苦労もあったであろう(現在でも)

1月の初場所は東幕下60枚目で5勝2敗。
ほぼ同じ、似たような体格の炎鵬とは現在、偶然にも番付が近い。
再十両出世争いでどちらが早くたどり着くかという観点で見ても非常に興味を感じる。

たまたまテレビで見ていた初場所千秋楽の琴大進戦では、絶妙なタイミングで鮮やかに「内無双」を決めていた。
更にこの体格で「うっちゃり」を通算2回決めて勝っているというのだから驚き。

3月春場所の新十両昇進が決定している同部屋の草野とは同郷(熊本県宇土市)で保育園の頃からの幼なじみという(川副が2学年上)

捲土重来なるか。

大翔丸よ、追手風に光明をもたらせてくれ!

 翔猿の不祥事に揺れる追手風部屋。
この悪い空気・雰囲気を一掃したいところ。

部屋の力士を下にスクロールしたところ「大翔丸」の存在が。
その大翔丸のこの頃を要約して振り返る。

直近の初場所は西幕下34枚目で3勝4敗の負け越し。
関取陥落後、早や2年半ちょっと(16場所)
日大相撲部出身のエリートで、最高位は東前頭5枚目。
気づけば年齢も33歳。
主だったケガもここまでなし。
記録上の1休はコロナ関連によるもの。

基本は突き押し相撲。
幕下優勝を1回(2015年7月場所)記録している。

四股名の下の名前「翔伍」は本名でもある。
なので追手風の象徴「翔」の字が2文字存在している。
追手風に入るべくして入門したか。
だるまの化粧廻しを締め、土俵に上がる大翔丸の姿を俺はまた見たい。