愛知県体育館の優勝力士 昭和47年・高見山

 愛知県体育館での最後の場所だった名古屋場所。60年(60回)開催されたこの会場での優勝力士を振り返ってみた。
すると、52年前の7月場所にあの高見山が13勝2敗の好成績で史上初の外国出身力士による幕内優勝を成し遂げていたことがわかった。今日はここに着目して振り返ろうと思う。

アメフトに打ち込んでいたというジェシー少年。
しかし、高校時代に交通事故で足腰を負傷して1年間歩行不能になるほどの重傷を負い、アメフトを断念。
高校卒業後は運送会社で働いていた(パイナップル工場に勤めていたという説もあり)

相撲界に入るきっかけは、当時の明治大学相撲部長の紹介で師匠の高砂(元横綱・前田山)に5年間衣食住を保障するとスカウトされ来日。

苦労の始まり
異国・異文化の違いに苦しめられた。
ちゃんこの味に慣れるのに1年
体が固く、股割り稽古には「目から汗が出た」(←これ有名な話)

力士として
十両まで3年。その十両は負け越し知らずで5場所で通過。
幕内に上がって4年半でチャンスが訪れた。
この期間に敢闘賞2回、金星2個を獲得、小結9場所を経験。
順調な出世に平行して実力も着実につけてきた。

昭和47年7月場所
当時、一人横綱だった北の富士が全休、大関・大麒麟が途中休場ではあったが、高見山は並み居る強豪を撃破。13勝2敗で見事、史上初の外国出身力士による幕内最高優勝を成し遂げた(当時の番付・のちに横綱になる琴櫻は大関、関脇に輪島と三重ノ海、北の湖に至っては東前頭7枚目)2敗は(琴櫻と貴ノ花)によるもの。動画は千秋楽(優勝を決めた)旭國戦。

表彰式では当時のアメリカ大統領、リチャード・ニクソン氏の祝電が読み上げられた。

以後、大関候補として注目されるも2ケタ勝利が続かず。

しかし、気持ちは切らせた訳でない。
(初優勝以降の)獲得金星9個、三賞獲得・殊勲賞5回、敢闘賞3回を記録。

ジェシーは常々、「40歳まで相撲をとりたい」「両国国技館で相撲を取りたい」と語っていたそうだが、それは叶わなかった。

1984年(昭和59年)5月場所、引退を表明。

引退後、40年以上経った現在でも輝き続ける記録がある。
幕内在位:97場所
通算連続出場:1425回
金星獲得:12個
幕内通算出場:1430回
などなど。

引退後、年寄・東関を襲名。
墨田区東駒形のこの地で曙・高見盛・潮丸・華王錦などを育てている。

後年、あの元・横綱 白鵬が親方の宮城野部屋が仮住まいしていたが、例の不祥事により部屋が消滅。もぬけの殻になったであろうあの部屋の3階部分にジェシーは住み続けているのだろうか。

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