曙 太郎が亡くなった。今月上旬に心不全で亡くなったとされる第64代横綱。
今日は曙の通夜が東京都内で営まれ、元横綱 若乃花の花田虎上さんや師匠だった元関脇 高見山の渡辺大五郎さんをはじめ大相撲関係者など約300人参列したという。
今日はこの曙の死を悼み、去年の8月に当ブログで投稿したものを加筆修正し、曙氏を追悼します。
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時は1993年(平成5年)11月場所・13日目
当時の大関・小錦は7度目のカド番でここまで5勝7敗、まさに大関維持へ崖っぷち・剣が峰に立たされてた。
対する曙は最高位・横綱に君臨すること5場所目。2場所連続優勝中。
ハワイから18歳で来日。相撲の事など何も知らなかった青年は、強烈な突き押しを武器にわずか5年で頂点(横綱)まで登り詰め、更なる高みを見据えていた頃か。
まずは、その取組動画から。
曙、立ち合いすぐの右上手。小錦、力一杯のど輪でその右上手を切りにかかるが、曙が引き付けて離さない。そのままがぶって寄り切り。
小錦、39場所守り続けた大関の座を手放した瞬間だった。
律儀な曙は小錦に一礼する(※この場面は今でも目に焼き付いています)
対して小錦はいつだって寛大だった。取組翌日には小錦に自身の勝利を謝ったが「これからの力士であるお前が俺に勝てないでどうする」と叱責されたという。
結果的に小錦の大関復帰は叶わなかった。その後、横綱大関を目論む若手有望力士に「立ちはだかる壁」的存在として大いに土俵を盛り上げてくれた。
1997年11月場所・13日目、対琴の若(現・佐渡ヶ嶽、琴ノ若の父)に寄り切りで敗れ負け越しが決まり、引退。小錦は「相撲人生に全く悔いはない。ハワイから日本に来ていい思い出ができた。相撲をやって本当に良かった」「2日間取れなかったが、ほかの力士に失礼だから。満足しています。ファンの方には、この場を借りて“15年間ありがとう”と言いたい」と相撲に深い感謝を語った。
小錦 八十吉 幕内優勝3回、(最高位の)大関在位は39場所。
曙はこの場所(1993年11月場所)優勝した(6回目・3連覇)が、これを境に膝やヘルニアなどで休場が多くなった。
2001年の1月場所は、持病となった両膝のケガの悪化により全休。その1月場所終了直後の2001年1月22日、両膝の回復がこれ以上見込めないなどの理由により、突如現役引退を表明。
引退前年の2000年は7月と11月の2回優勝をしたにもかかわらずの現役引退だった。
曙 太郎 幕内優勝11回、(最高位の)横綱在位は48場所。
相撲人生(出世争い)は、曙の勝ち。
両者のその後の人生(相撲界を離れたあとは)小錦が大量リードしている(周知の通り)
現在の曙は、2017年頃から寝たきりで記憶障害・心臓疾患等を抱えているそうだ。
ともかく、リハビリ中とのことです。元横綱はつらい現実を長い間戦っている。
人生どこで何が起きるかわからない。
この2人の人生の対比からも、それを見て取ることができた。
と、やや小錦寄りの投稿になっているか。
元横綱として協会に残り続けられたらどんな人生になっていたのか、どういうタイプの力士を育てていたか。真面目で謙虚なまさに曙のような力士を育ててほしかったな、合掌。
曙よ、永遠なれ↓↓↓
1997年5月場所優勝 曙太郎 カード