2001年夏場所時点での貴乃花光司は、横綱在位38場所・幕内優勝21回を数えていた。
経歴を振り返ると、20回目の優勝から21回目の優勝まで13場所要している事や(この期間中)肩や腕などのケガにより2場所休場したりと、力士(横綱)としてのピークが徐々に過ぎているのは、本人も自覚していたと思う。
当時の番付(星取表)を見渡せば、
横綱 東 貴乃花 西 武蔵丸
大関 魁皇・武双山・出島・雅山・千代大海の5人。
後の横綱・朝青龍は西小結
同じく白鵬に至っては、初土俵した次の場所で、東序ノ口16枚目の番付というから時代の違いを感じさせる。
本題に戻る。
当の横綱・貴乃花は、初日から13連勝で(不戦勝1を含む)優勝争いを独走していた。
14日目、武双山に巻き落としで敗れた際に、右膝半月板を損傷する大けがを負った。
その一番。
(千秋楽の出場に対して)関係者も休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため強行出場した。
テーピングすらせずに土俵入りを済ませ、迎えた武蔵丸との横綱対決(本割り)
ご覧の通り、立合いの変化に全くついて行けず敢え無く敗退。
これで武蔵丸と相星となり、続く優勝決定戦。
前日の武双山戦で、立つことも困難なほどの重傷を負ってもなお、どうやったらここまで自分を掻き立てることができるのか。気迫満点の素晴らしくも輝かしい相撲だった。
取組直後の鬼の形相、興奮冷めやらぬ表情での勝ち名乗りを受ける場面は今も記憶に新しい。
~当時の首相が来場した名場面~
これで終わりではなく、続く表彰式には観戦に訪れていた当時の小泉純一郎首相が内閣総理大臣杯の授与を自ら行い「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と賛辞を送った。
(動画 5:55あたりから)
しかし、皮肉にもこの22回目優勝が貴乃花最後の優勝となった。
右膝の故障はかなりの重症だったのである。
この後7場所連続全休で治療に努めたものの十分に回復せず、2003年1月場所途中で現役引退を表明したのだった。
今思えば、小泉首相の表彰式来場と貴乃花に対する賛辞は、相撲の神様からの演出だったのかもしれない。
私も夢でした↓↓↓