80年代・隆盛を極めた九重の一角、大富士 慶二

 1980年代の九重部屋。

当時の師匠は現在のNHK解説者で知られる、元横綱・北の富士。

横綱に「ウルフ」こと千代の富士(優勝31回・通算1045勝)

北勝海(第61代横綱、現・日本相撲協会理事長)を輩出。

当時の角界を席巻した老舗名門相撲部屋である。

この2横綱に加えて、多くの九重部屋所属力士が活躍したが、今日は相撲引退後、タレントと

タレント時代の画像

としても活躍した、大富士 慶二に着目する。

1958年8月26日生、東京都大田区出身。

1974年9月、本名の「伊藤」で初土俵。
序二段を2年、三段目を4場所で通過、1977年3月場所、満18歳で幕下へ上り詰めた。
1978年7月、19歳で新十両昇進と順調な出世街道を歩む。

しかし、ここから幕下と十両の往復、関取と力士、栄光と没落・失墜の狭間での力士生活を送った(約8年)

1983年春場所、5度目の十両復帰を果たし、4場所連続で関取の座を守っていたが、同年9月場所2日目の益荒雄戦で右膝脱臼及び靱帯断裂の重傷を負い、幕下陥落。公傷が適用されるも回復が遅れ、1984年5月場所まで4場所全休する羽目に。

翌7月場所、番付を東三段目74枚目まで下がったが、地力の違いを見せて三段目優勝を飾る。翌場所幕下復帰を果たすも、また途中休場ののち3場所連続で全休。

休場明けの1985年5月場所、東序二段100枚目で7戦全勝で優勝(序二段)を決めた。
最終的に東幕下51枚目まで復活するも、1986年初場所初日に敗れ途中休場、場所後27歳で廃業を発表した。

最高位は西十両6枚目・十両在位10場所・十両陥落5回。
山あり谷あり、大富士の相撲人生だった。

~相撲界を去り、タレント転向へ~

お笑い界の巨匠・ビートたけしの勧めで芸能界入り。

オフィス北野所属のタレント・俳優となる。

当時、高視聴率番組だった

「風雲!たけし城」のアトラクション「すもうでポン」

「天才・たけしの元気が出るテレビ」等に出演・活躍。

また、演出家・蜷川幸雄作品の「夏の夜の夢」「近松心中物語」「NINAGAWAマクベス」「お気に召すまま」など数多くの舞台に出演。晩年は舞台中心に活動していたようだ。

2012年に54歳で亡くなっている。






 

宮城野の新星は、ものまねもイケてるッ!

 来たる春場所、所要1場所での新十両昇進を決めた落合(宮城野)

有り余るポテンシャルは、相撲だけではない。

https://twitter.com/i_lov_chubby/status/1624755180427444224

相撲も強くて、ユーモアもある。

落合のwikipediaにも書いてあった。

師匠の宮城野は「本当に相撲を知っている」と絶賛する一方で「私のモノマネなんかもやったりします」と意外な一面を持つことを明かした。 と。

どれだけ相撲ですごいかって、次の通り。

鳥取城北高校時代に2年連続高校横綱タイトル獲得。

卒業後、父親の会社である「有限会社野田組」に所属し、実業団横綱を獲得。

元横綱白鵬・宮城野の誘いがあり、宮城野部屋に入門した。

2022年度の実業団横綱であるため、幕下15枚目格付出でデビューとなった。

2023年1月場所の活躍は周知の通り。

お披露目となるはずの、2日目(デビュー)の王輝戦は、不戦勝。

4日目・中卒叩き上げの瀬戸の海(高田川)をすくい投げ。

6日目・明瀬山、7日目大成龍と元関取撃破。

9日目・時疾風、11日目・颯富士(元高校横綱)と元アマチュア上がりの強豪に連勝。

13日目・風賢央を突き落として、7戦全勝優勝を決めた。

幕下15枚目格付出力士としては、2006年5月場所・下田以来の史上2人目以来の快挙。

1月25日の番付編成会議で、3月場所の新十両昇進が正式に発表されたのであった。

春場所では、どんな旋風を巻き起こしてくれるのか。

あるいは猛者たちからの洗礼を浴びるのか。

宮城野部屋所属・落合哲也から目が離せない。

アラン・ドロンの吊り技祭り!

陸奥親方こと元大関霧島は現役時代、 甘いマスク・筋肉質の体付きと相まって、一躍人気力士となる。

また、その甘い顔立ちから、パリ公演の際に“角界のアラン・ドロン”と紹介されたそうだ。

三段目から始めたウェイトトレーニングと高蛋白食で強靭な体格を作り上げ、相撲の幅を広げていった。

足腰が強く、吊り技を覚え始めたたのはこの頃か。

1989年1月場所、小結に昇進したこの場所を1勝14敗で終える。

危機感を感じた霧島はこれを機に1日に20個の入った卵や、バナナ2本が入ったが入ったプロテインを摂取するとともに、ベンチプレス210㎏、スクワット350㎏というウェイトトレーニングを敢行し、体重を110㎏から130kg前後まで上げるなど、成功に至るまでの道のりには、涙ぐましい努力があった。

相撲の神様はちゃんと見ていた。

同年九州場所から、10勝・11勝・13勝で大関昇進が実現したのである。

体重増量+ウェイトトレーニングの継続=吊り技

というわけで、皆様を吊り技祭りにいざなう。

1990~91年は霧島にとって、大関への足固めから昇進を果たした全盛期と言えよう。

あの千代の富士を下した、土俵人生珠玉の2番。

こんな番外編も。
昭和63年夏場所とあるので、トレーニングを始めて3~4ヶ月経った頃か。
タフな戦いだった。

1997年12月に陸奥部屋を継承して25年以上もの歳月が経つ。

現在部屋頭の霧馬山にも、師匠譲りの華麗な吊り技を習得してほしいものだ。

元琴奨菊・秀ノ山親方、部屋開設へ

 元大関・琴奨菊こと秀ノ山親方が、出身地の福岡県柳川市で行われた地元後援会の発会式で「師匠(元関脇・琴ノ若)に独立したい意向を伝えている。来年3月に部屋が完成する予定だ」と明言。自身の部屋を立ち上げる準備を進めていることを明らかにした。 西スポより

引退して2年余、自ら部屋を興し、将来の横綱大関を育てる。

2016年1月場所に勝ち取った幕内最高優勝は、2006年1月場所栃東以来10年ぶりの日本人力士の優勝。

また同場所記録した3横綱撃破(鶴竜・白鵬・日馬富士)は、1991年初場所・霧島以来25年ぶりの快挙。

32場所務めた元大関

陥落後も4年近く、プライドを捨て頑張った。

ライバル豊ノ島は、残念ながら相撲協会を退職し、タレント業に舵を切った。

あの豪快ながぶり寄り、制限時間前のバウワー、(大関昇進時口上の)万里一空の如く相撲道を貫き通せる若人を求め、育てるべく、新部屋開設という新たなステージに向かう。

バウアー湯吞みです↓↓↓

45歳・天一、「定年までやろうかな」相撲愛の塊

昨年11月場所、10日目で通算600勝を達成した天一(新潟・山響)は、今年初場所、
西序二段25枚目で2勝5敗の負け越しで終わったが、45歳になった今でもその意欲は衰え
を知らない。

1977(昭和52年)11月22日生まれ、米どころ・新潟県南魚沼市出身。

おいしいご飯をたくさん食べて育った。

1993年3月、中学卒業と同時に北の海部屋に入門・初土俵。第55代横綱・北の湖チルドレンの一人である。

1997年7月場所、三段目優勝し翌9月場所には、初土俵から4年余りかけて幕下昇進。

2000年ぐらいから5年間、花相撲他で初っ切りを受け持っていたそうで、覆面を被って乱入しては、場内を大いに盛り上げていたそうである。

ケガが少なく、力士在位178場所中、休場はたったの14日しかない(力士情報より)

最高位は、西幕下10枚目(2006年11月場所)

2016年11月場所以降は、三段目か序二段に在位している。

通算600勝達成時には、「体が動くうちはまだ頑張りたい。定年(65歳)までやろうかなと思っているんですけどね」と豪快に笑い飛ばす天一。

土俵を離れれば、親子ほど年の違う後輩力士と積極的に交流を図り、食事を楽しむ。

天一 俊哉 (てんいち としや)
生涯戦歴  603勝622敗14休
三段目優勝 2回  (力士情報より)

45歳を数える年齢、178場所の力士在位から、天一は若手との対戦を通し、勝負を超越した

力士とは何か
続けるとは何か
生きるとは何か

白星と黒星を重ねながら、教えているのであろう。