年寄・陸奥、8代から9代(現在)の変遷と関取たち

 陸奥部屋

今をときめく、そして次なる夏場所に大関獲りをかける関脇・霧馬山が所属する、元大関・霧島が師匠の「両国国技館」から最も近い相撲部屋である。

今日はその年寄・陸奥
第9代となる現親方に引き継がれる前、第8代陸奥から現在までの32年間を振り返る。

~第8代・星岩涛時代~

第7代師匠が停年を迎えた1991年1月場所後に(元前頭14枚目・星岩涛は)35歳で引退し、陸奥部屋を継承した。

7代からの弟子であるアルゼンチン出身の星誕期星安出寿が十両へ昇進したが、いずれも幕内昇進には至っていない。

しかし、部屋の勢力は徐々に衰退していき、(一時的ではあるが)部屋の所属力士がアルゼンチン出身の関取経験者2名だけという状況を招いてしまう。

逸話もある。
自身が師匠を務めていた頃の陸奥部屋は経営難からちゃんこを用意することにも苦労したといい、星誕期や星安出寿の両関取はマクドナルドで食事を済ませる事が多かったそうだ。自身も現役末期の頃はそれに等しい食生活をしていたとされる。

言うなれば、弱小部屋だったのである。

1997年11月場所後に元大関・霧島の勝ノ浦親方に陸奥の名跡と部屋を譲る事となり、同年12月限りで相撲協会を退職した。

因みに現在は鹿児島市内で、飲食店「天手古舞」(てんてこまい)を経営しているそうだ。

              8代の近影

~第9代・霧島時代~

8代から陸奥を継承した9代(元霧島)は、部屋を両国駅前に移転した。

2000年9月には14代立田川(元関脇・青の里)の定年退職によって閉鎖された立田川部屋を吸収合併。

関わった関取としては、
立田川部屋からの移籍組が
小結・白馬
前頭・敷島、豊桜、十文字、琉鵬

井筒部屋から移籍の
横綱・鶴竜

9代(霧島)が育てた生え抜き関取は、
十両・霧の若
関脇・霧馬山
となっている。

霧島といえば豪快な吊り技の数々が、目に焼き付いて離れない。
霧馬山にその必殺技の習得を託したいのだが、力士大型化が進む昨今では、それも難しいのかもしれない。

去年3月、11年ぶりに日本相撲協会の理事に復帰し、ナンバー2の事業部長に就任した陸奥親方。65歳定年を迎える来年4月までの「総仕上げ」として、幕内優勝を遂げた霧馬山を角界力士の顔として育て、大関・横綱へと導くことか。



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