陸奥親方こと元大関霧島は現役時代、 甘いマスク・筋肉質の体付きと相まって、一躍人気力士となる。
また、その甘い顔立ちから、パリ公演の際に“角界のアラン・ドロン”と紹介されたそうだ。
三段目から始めたウェイトトレーニングと高蛋白食で強靭な体格を作り上げ、相撲の幅を広げていった。
足腰が強く、吊り技を覚え始めたたのはこの頃か。
1989年1月場所、小結に昇進したこの場所を1勝14敗で終える。
危機感を感じた霧島はこれを機に1日に20個の入った卵や、バナナ2本が入ったが入ったプロテインを摂取するとともに、ベンチプレス210㎏、スクワット350㎏というウェイトトレーニングを敢行し、体重を110㎏から130kg前後まで上げるなど、成功に至るまでの道のりには、涙ぐましい努力があった。
相撲の神様はちゃんと見ていた。
同年九州場所から、10勝・11勝・13勝で大関昇進が実現したのである。
体重増量+ウェイトトレーニングの継続=吊り技
というわけで、皆様を吊り技祭りにいざなう。
1990~91年は霧島にとって、大関への足固めから昇進を果たした全盛期と言えよう。
あの千代の富士を下した、土俵人生珠玉の2番。
こんな番外編も。
昭和63年夏場所とあるので、トレーニングを始めて3~4ヶ月経った頃か。
タフな戦いだった。
1997年12月に陸奥部屋を継承して25年以上もの歳月が経つ。
現在部屋頭の霧馬山にも、師匠譲りの華麗な吊り技を習得してほしいものだ。