「鋼」なしにいられない by音羽山

 鋼 一幸

 相撲部屋にはだいたいどこの部屋でも「ちゃんこ長」と呼ばれる幕下以下で相撲経験の長い力士=ちゃんこ番をやった回数・その優れた腕(料理技術)を持つ者がいる。ここで身に付けた調理の技術を活かして、引退後にちゃんこ料理屋を開業する者も多くいるのは周知の事実だ。それに加えて人柄・人間性が評価されれば、明確な肩書こそないが、新しく入門してくる新弟子の「教育係」的な役割も担わされる。

第71代横綱・鶴竜でさえも取得困難な年寄株をやっとの思いで「音羽山」襲名と同時に部屋を興すことができたのが、おととし2023年年末のこと。
現在は陸奥部屋から移籍してきた元大関(初場所・西前頭筆頭)の霧島を始めに、6名の所属力士を数える。
なかでも、親方(鶴竜)の井筒部屋入門(新弟子)から引退までずっとそばに寄り添い、負けては(取組の)相談にのり、ちゃんこ長として鶴竜に細かく気配りするなど、長年の間、全幅の信頼を置かれているのがこの大ベテラン「」である。

その鋼の現役生活の略歴

15代井筒時代に入門(2000年3月場所、当時18歳高卒)今なお「逆鉾魂」を受け継いでいる。アマチュアでの相撲経験はないようだ。
2003年3月場所から井筒部屋に由緒ある四股名「鶴嶺山」を襲名。
部屋の大きな期待を集めたが、ここまでの最高位は東幕下16枚目(2005年11月場所)
自ら「『鶴嶺山』なんて顔じゃない」とばかり2011年7月から現在の四股名である「鋼(はがね)」に改名。
師匠や後援者から付けられたものかと思いきや、自分で考えて決めただそうで「鍛えることでいろんな形になったり切れ味を増す鋼のように、気持ちが折れてもまた一から鍛え直して研ぎ澄ませばいい」との思いが込められたセンスや機知に富んだ粋(いき)な四股名だ。

初場所は東三段目29枚目(三段目20枚目台以上に番付されるのは)ちょうど5年ぶりとなる。現在3場所連続勝ち越し中。ベテランの味を見せつけることができるか。

(現在43歳という年齢から)僭越ながらこの好漢に、引退後「若者頭」や「世話人」といった協会の(縁の下の力持ち的な)要職(ポスト)を与えることはできないのであろうか。


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