鏡桜引退、角界を去る。

 大相撲の元幕内で、春場所限りで引退した鏡桜(伊勢ノ海)が3日、東京・両国国技館で引退会見を行った。  相撲は未経験だったが15歳でモンゴルから来日し、2003年名古屋場所で初土俵。約20年の力士人生だった。両膝のけがなどに苦しみ、引退までの10場所は番付外だった。鏡桜は「けががなかなか治らない中で、もう1回土俵に(戻りたい)という思いもありましたが、結局治らなかったです」と決断の理由を説明。それでも「けがやいろんなことがありましたが、本当にいい相撲人生でした」と晴れやかな表情で話した。(スポーツ報知より)

ここ10場所連続番付外、最高位西前頭9枚目の鏡桜がついに引退を決断したそうです。

ずっとどういう意向なのか、現役続行への意志はあるのか、気になっていた。

2021年7月まで鏡山部屋所属として現役を続行してきたが、部屋が閉鎖されたため、以降は伊勢ノ海部屋に転属する。

左上手を得意とし、引いてからの出し投げで崩しておいての寄りと、強烈な上手投げがある。一方で馬力や出足にはそれほど優れず、巨漢や速攻相撲には弱い傾向にあった。

また、鏡山部屋は鏡桜が入門した当初から力士数が極端に少なく鏡桜の付け人も他の部屋の取的が担っていた関係上、関取在位中も掃除・洗濯などは自身で担っていた(wikipediaより)

現役時代の大飛が所属していた大山部屋(師匠・元大関松登)も高望山が所属していた高島部屋(師匠・元大関三根山)も力士数が少なく、当時私も調べた住所を手にこの2つの部屋(建物)の前まで見に行ったが、閑散とした雰囲気で、とても賑わってる相撲部屋に見えなかった事を記憶している。

特にアマチュアで実績を上げた者は、現役時代に実績を上げた親方の元で指導を受け、将来を見据えたいと最近では、元横綱・白鵬の宮城野部屋に有力者が集まりがちといったネットニュースも散見されたが・・・。

やはり資金力がある(有力なタニマチがついて)数多くのコネやツテがあった方が部屋経営(関取育成)でも優位に立てるのか。

鏡桜の巡り合わせはこういった悲哀を一手に引き受けた形に見えたような気がする。

今後は未定とのことで、協会には残らないようです。

今年3月15日付で日本国籍を取得して、日本で生活する意向のようだ。

鏡桜 秀興(かがみおう ひでおき)
通算成績:437勝408敗65休(107場所)
最高位:西前頭9枚目

今から10年前の11月場所に現在の横綱・照ノ富士と対戦した動画があった。
当時の番付、東十両筆頭(鏡桜)東十両3枚目(照ノ富士)である。

20年間の土俵生活、本当にお疲れさまでした。

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熱海富士、春場所厳選3番

 熱海と言えば温泉と海水浴、だけじゃない。

角界の人気力士の一人、伊勢ケ濱部屋所属・熱海富士の出身地としても知られる。

初土俵から2年余り。西十両8枚目で迎えた熱海富士の春場所3番を振り返りたい。

3日目 島津海戦

元大関・若嶋津師匠の松ヶ根部屋に入門して11年が流れた。
十両7場所目の島津海、西7枚目である。

立ち合い左上手の熱海富士。右を差して寄っていく。島津海に巻き替えられるも寄る。
土俵際、島津海のすくい投げ決まる。熱海富士、残念3連勝ならず!

ほぼ勝利を手中に収めながら、逆転のすくい投げを食ってしまった。
土俵際が微妙なタイミングだったので、物言いがつくのではと熱海富士自身、一礼のあと見渡したが、軍配通り。

9日目 豪ノ山戦

元大関・豪栄道が師匠である武隈部屋の部屋頭、豪ノ山。
東6枚目で迎えた春場所はここまで7勝1敗の快進撃を続けていた。

動画がなかったので展開を書く。

右はず、左のど輪の豪ノ山、熱海富士左上手から寄る、上手投げも豪ノ山崩れない。
両者がっぷりの引きつけ合い、熱海富士最後はがぶり寄りで寄り切り。力強い相撲だった。
結果、今場所11勝を上げた豪ノ山も力をつけてきたなと思わせる一番であった。

10日目 落合戦

令和の怪物・落合とは、10日目に激突した。
史上初の幕下付け出しから所要1場所での十両昇進を果たした落合(宮城野)
春場所も熱い視線が注がれ、あちこちで情報が取り上げられていた。

後輩に負けられない意地と気迫が、相撲の神様を微笑ませたか。
終始(落合の)もろ差しを許し、苦しい体勢であったが、諦めることなく状況打開を図っていた。
左上手投げにいったところを落合は一気に勝負に出たが、土俵際、熱海富士が右に体を開いて突き落としが決まった。
闘志をむき出しにした見事な相撲で「怪物」を仕留めた。

全くの主観だけで3番を選んだ。
7日目の大奄美戦、がっぷりから豪快な上手投げで切って捨てた相撲も良かったな。

三月場所15日間を通して、左腕(ひじ)にサポーターを巻いていたが大丈夫か。大したケガ・痛みでないことを祈りたい。

自分(自ら)引きや叩きに出る(頼る)こともほとんど見られない、熱海富士スタイルは好意的。

力士としてのポテンシャルは、落合が「令和の怪物」なら、熱海富士は「相撲界のオオタニ」
ここまでの出世スピードだって、歴代7位に名を刻んでる(新十両昇進まで)

西十両8枚目、力士として15場所目で迎えた令和5年春場所を8勝7敗で終えた。
夏場所はわずかな番付上昇があるだろう。

私のささやかな夢のひとつは、数年後に熱海富士と落合が幕内優勝を賭けて戦う一番を見届けることだ。

稽古に精進し、力士として腕を磨き、大舞台で相まみえる両雄を見てみたい。

あたみん+土俵の砂つきです↓↓↓



朝乃山の壮絶執念 ~春場所・湘南乃海戦~

 関取復帰2場所目、東十両筆頭で迎えた朝乃山は、春場所を13勝2敗の好成績(優勝次点)で終わった。

不祥事による6場所出場停止に伴う番付降格で、三段目22枚目まで降格したが、復帰後はなりふり構わない必死さやガムシャラさがいい方向に作用し、再復活を遂げてきた。

今場所(3月場所)もそれを象徴するような闘志あふれる驚異的な相撲が7日目・湘南乃海戦であった。

土俵際、朝乃山(下手)湘南乃海(上手)での投げの打ち合いは、わずかな差で朝乃山に軍配が上がった。

顔から落ちた朝乃山。勝ち名乗りを受ける時の右目周辺には、かなりの擦り傷。

こうして6勝目を上げた訳だが、何としても白星を掴み取るんだという気概が感じられた。

この這い上がるんだ、やってやるんだという気概、現状に対する満足・慢心がない限り、まだまだ番付上位が望めるはず。

横綱・照ノ富士級の復活劇を待ち望んでるのは、私だけではないはずだ。

朝乃山タオル2種↓↓↓

玉正鳳、部屋のため・尊敬する義兄のため

 春場所、新十両として迎えたこの場所を8勝7敗で見事勝ち越した玉正鳳。

その玉正鳳。入門から11年かけて十両の座を射止めたが、関取になりながらも諸事情により、この春場所を自らの関取の立場と付け人の「二刀流」をこなしていたのをご存じだったか。

部屋頭の玉鷲・新十両の玉正鳳を除けば、序二段に2人だけで、合わせて4名しか在籍しておらず、人手が足りないため、師匠の片男波親方(元関脇玉春日)は「取組が終わったら玉正鳳に玉鷲の付け人をさせます」と話した。(中日スポーツより)

確かに春場所の玉鷲が出番を待つまでの間、気合いを注入するかのようなゴシゴシと力を入れた汗ふき、立ち合いの動きのチェック・確認等、自身が関取であることは関係なく、花道奥で黙々と付け人業に従事していた玉正鳳の姿が映し出されていた。 

今場所の新十両紹介、先々場所での幕下優勝インタビュー等で人柄の良さはお墨付き。

力士としては今場所6日目の友風戦で左脚を負傷したそうだが、状態はどうだろうか。

部屋のため、尊敬する義兄のために、身を粉にして働き続ける玉正鳳に好感度爆上がりだ!

玉正鳳の手形入り色紙です↓↓↓

正代、再覚醒への道 ~春場所を振り返る~

 関脇・霧馬山の優勝で幕を閉じた春場所。
他にも最後まで優勝争いを盛り上げてくれた、大栄翔と翠富士。
敢闘賞に輝いた金峰山や、惜しくも技能賞に届かなかったが若元春など。
いろいろな力士が話題になり、楽しませてくれたが、私の中ではやはり元大関の正代。
4場所ぶりの勝ち越し(2ケタ勝利)を上げたこの場所の目に留まった相撲を振り返りたい。

初日 豊昇龍戦 立ち合いすぐ左前みつを引く豊昇龍に対し、委細構わず右のど輪からの攻め・圧力で押し出した。
三役に定着すること丸一年(豊昇龍)この一戦はある種の試金石として見ていたが、一方的な相撲で決めてくれた。

https://www.youtube.com/watch?v=QWxqkbmGb-c

二日目 霧馬山戦 霧馬山に攻められて土俵際まで持っていかれるも、以前のような(失礼だが)弱気な雰囲気や、あまり抵抗ないまま土俵を割ることもなく、逆に盛り返し豪快に押し倒したこの相撲も評価したい。結果的に(今場所の)優勝力士に勝った訳だから。

四日目 若隆景戦 左をこじ入れて、迷いなく寄り前に出て、最後は腹も使って押し出し。この強引さも(正代に)欠けていたものだと思う。「勝つんだ」という気持ちが前に出た素晴らしい相撲だった。

七日目 阿炎戦 阿炎のもろ手突きに耐え、左が入った瞬間に迷うことなく前に出て、押し出した。左が入った瞬間の(この相撲はもらったという)確信と勝負を決めに出た行動(寄り・押し)、そのあとの息もつかせぬスピードが勝利を手繰り寄せたのだろう。

千秋楽 翠富士戦 立ち合いもろ差しを難なく許したが、土俵際でも慌てない。両腕で挟みつけて翠富士の自由を許さない。そのまま根こそぐようにきめ出し。正代らしさを取り戻しつつあった今場所は、勝ち星とともに自信も取り戻してきた”証明”とも言えるような一番だった。

https://www.youtube.com/watch?v=78kxF7erG08

負けた相撲にしたって、あと一歩の詰め・踏み込みがあれば、勝ってたであろう取組も2番あった。俗に言う「相撲に勝って、勝負に負けた」と言えるもの。遠藤戦と宇良戦はこれに当てはまるのではないか。
だから、筆者目線で言うと12勝3敗なんですよ。

~10勝5敗に終わって~

好成績に終わった要因は、足(右足親指など)の状態が良くなった(と思われる)こと、精神的な重圧(プレッシャー)からいい意味で解放された部分はあるのだろう。

たかが31歳、されど31歳。

失礼な言い方になるかもしれないが、元大関の正代直也にはまだまだ奥底に眠っている未知なる可能性があるように思えてならない。

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