山響部屋を鼓舞するベテラン力士達

 江東区東砂にある「山響部屋」
東京メトロ東西線の南砂町駅から10分ほど歩いたところにある。

師匠は元前頭筆頭の厳雄。
部屋のルーツをたどれば、第55代横綱で相撲協会理事長まで勤め上げた北の湖が関わってくる。現在の山響(元・厳雄)は北の湖部屋で現役生活を送り、引退後もそのまま部屋付きの親方として残り、北の湖親方の逝去後、一代年寄だった「北の湖部屋」を継承・引き継ぐ形でスタートした形だ。時に2015年11月30日。なので現在の師匠となってからの(山響部屋の)歴史は浅くて短い。

力士は幕下大和湖を筆頭に14人。現在、関取はいない。

その山響部屋からうれしいニュースが発信された。ベテラン力士、北の湖チルドレンの一人でもある元前頭15枚目の北磻磨が快挙を成し遂げた。37歳1ヶ月で戦後最年長の三段目優勝。15年ぶりに三段目陥落という屈辱をバネにして高齢優勝を勝ち取ってみせた。
優勝インタビューでは「(相撲に対して)好きが増してる。幕内に戻れるように頑張ります」と清々しく充実した表情で抱負を語った。2020年9月場所を最後に関取から離れている。

「元関取」で言えば、鳰の湖も頑張っている。
9月場所も西幕下56枚目で4勝3敗と古豪健在。北磻磨と同い年・同じ学年の12月で37歳を迎える。2013年7月場所を最後に丸10年関取から遠ざかっているが、突き押し相撲で巻き返しを狙う。

あとはこの人を忘れてはいけない、レジェンド級の古参力士、あの「天一」も所属している。
秋場所は西序二段93枚目で4勝3敗。今回の北磻磨の三段目優勝のエピソードにも絡んでいて、戦後最年長の優勝記録保持者はこの天一だった(2013年秋場所・当時35歳10ヶ月)それから10年が経ち45歳になった今でも力士としての炎を燃やし続けている。初っ切りを担当していた過去がある。

ベテラン力士ばかりにスポットを当てて紹介してきたが、三段目に家島と家の島という兵庫県姫路市出身の兄弟力士もいる(家の島20歳・家島18歳)

北磻磨の来場所は幕下15枚目までに入ってくると予想する。
これといった趣味もなく、昼夜を問わず稽古に没頭する力士だそうだ。37歳がまだまだ奇跡を起こし、「山響部屋」の存在を再び世に知らしめる。

山響魂!!↓↓↓


積み重ねよう、大栄翔!! (9月場所を振り返る)

 9月秋場所の大栄翔の番付は「東関脇」
取り巻く状況としては、7月場所後の夏巡業中、名古屋場所13日目の若元春戦で叩き込みに敗れた際に胸を土俵上に強打して肋骨を骨折していたことを明かした。後から振り返れば、その翌日の阿武咲戦の立ち合い一瞬の叩き込みも、一刻も早く勝負を決め、余計で無駄なダメージ・消耗を避けたいという意図には合点がいった。最終成績9勝6敗で終えた訳だが、迎えた9月場所は…。

序盤戦(最初の6日間)で見るなら、正代と北勝富士戦は大栄翔の相撲を取り切っていた(2勝)初日の明生には立ち合いすぐに叩かれ、3日目阿炎戦はもろ手突きから即刻押し出された。5日目6日目の対隆の勝、宇良戦は自ら引いてしまい墓穴を掘る結果に。
この時点で2勝4敗。肋骨骨折の弊害は大きいのかなと思っていた。

しかし、何かが吹っ切れたのか翌7日目から8連勝。相撲内容も伴ってきた(特に9日目以降)7日目・琴ノ若、9日目・若元春との「関脇決戦」では大栄翔主導での相撲を取ることができ、関脇の先輩としての矜持を見せた。
個人的に目に焼き付いているのが、13日目の新鋭・豪ノ山との激しい突き押し相撲と翌14日目、大関霧島との(決着時の)アクロバットな小手投げである。

順を追って紹介する。
13日目・豪ノ山戦

豪ノ山もただでは引き下がらない。三役(関脇)に対して堂々と張ってみせた。しかし勝負は大栄翔。最後は手玉に取ってみせた。

https://www.youtube.com/watch?v=6bpvROfXS3w

14日目・霧島戦

霧島があてがいながら突き返す。もろ差しになった霧島に大栄翔は外四つ、極める体勢(絶望的な体勢)から大関を腹にのせるようにして右からの小手投げを鮮やかに決めてみせた。

千秋楽・貴景勝戦は力負けするような感じで、送り出しに敗れ大栄翔の秋場所は終わった。

10勝5敗、大栄翔を含めた3関脇の中では1番の勝ち星・成績を上げ、来場所も今場所同様に「東関脇」に番付されること間違いなし。

優勝と大関を掴むには何が足りないのかな。
言うまでもないが、日々の稽古と自己調整(メンテナンス)を怠ることなく来場所に臨もう。来場所(九州場所)直前の11月10日に30歳を迎える。

大栄翔勇人、力士人生のクライマックスはこれから起こるのだ。

いつも手元に↓↓↓

日翔志が翔ぶ

 隆盛著しい追手風部屋にまた一人関取が誕生した(現役7人目)
日翔志 忠勝(ひとし ただかつ)

9月場所で見事、千秋楽で7人による優勝決定戦を制し幕下優勝を果たした26歳である。
秋場所では、4番相撲となる6日目の志摩ノ海戦で十両の土俵に登場。寄り切りに破って白星を上げた。
ここまでの経歴をまとめる。
日翔志 忠勝こと沢田日登志は1997年8月14日、東京都武蔵野市に生まれ、立川市で育つ。相撲好きの祖父の影響で5歳の頃から地元の相撲道場に通って稽古を積んだ。中学校は新潟県の中学校に相撲留学、高校は名門埼玉栄高校に、大学は日本大学へと進学、数々の全国大会で実績を上げ、優秀な成績を残してきた。
大学卒業後は日大事業部に就職し、選手として活動しながら日大相撲部でコーチを務めたが、コロナ禍の影響で大会が中止となり、1年で退社してプロ入りを決意、追手風部屋に入門した。
2021年5月場所で初土俵。2場所後の9月場所に序二段優勝と上々の滑り出しだったが、この9月場所後の稽古中に頸椎(けいつい)損傷の大ケガ。下半身が動かなくなり、約2ヶ月もの寝たきり生活が続く。休場中には父の急死もあった。引退も考えたが、周囲からの激励もあり2022年5月場所から土俵に復帰、そこからは序二段と三段目で優勝、今年から幕下に昇進後も勝ち越しを重ねて十両(関取)の座を勝ち取った。

幕下優勝でのインタビューで日翔志は
「うれしい。けがをしたときは相撲をやめようかなと思ったがやめなくてよかった」
「ここまで来られるとは思っていなかったので感慨深い」と喜びを噛みしめていた。

わずか2年半の間にこれだけの紆余曲折を乗り越え、力士としての喜怒哀楽を味わってきた。
座右の銘を「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」と話す26歳。ここまでの苦労を成功に変える日が訪れた。

追手風部屋オールスターズ↓↓↓


世代交代の時 ~千代の富士から貴花田へ~

 2日連続貴乃花ネタで。

日本中の注目を集めて、若貴兄弟は1988年3月場所に初土俵を踏む。
兄弟で切磋琢磨し、先輩力士(兄弟子)からの様々な妬みにもめげず、毎日の猛稽古を積み重ね、
十両昇進:17歳2ヶ月、幕内昇進:17歳8ヶ月と驚異的なスピードで番付を駆け上がっていった。
そんな(当時の)貴花田に大一番が訪れる。
1991年5月場所の初日に、幕内優勝31回、53連勝などの記録を持つ大横綱・千代の富士への取組が組まれた。

当時の千代の富士を取り巻く状況は、この前年の1990年に優勝を2回記録(1月と11月)3月場所・7日目の花ノ国戦で通算1000勝を達成も夏巡業で左足を痛めて同年9月場所を全休、1991年になり、初場所2日目に逆鉾との一番で左腕を痛めて途中休場、翌場所も全休した。
35歳となり、大横綱の現役生活もいよいよ佳境に入ってきた頃だった。

その決戦。
貴花田右差し。千代の富士はその貴花田の右をおっつけて差し手を嫌う。貴花田左前みつを引く。千代の富士はこれを切るも、貴花田一気呵成に頭をつけながら前に出て寄り切った!18歳9ヶ月での史上最年少金星獲得!

取組後の千代の富士は、18歳の新鋭に対して「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」と最大級の賛辞を送った。この時点では引退かと思われたが当時の師匠・北の富士に翻意され現役続行。「もう1敗したら引退する」と決意して、翌日の板井戦に勝ち、3日目の貴闘力戦で完敗。その日の夜に緊急記者会見し現役引退を表明した。引退理由として「最後に貴花田と当たってね、若くて強い芽が出てきたなと。そろそろ潮時だな」と貴花田戦の衝撃を挙げた。

今でも語り継がれている千代の富士の引退会見とそのきっかけとなった貴花田戦、千代の富士自身が初優勝を遂げた1981年初場所・北の湖との優勝決定戦の2番を合わせて。

奇しくも、貴花田の父「角界のプリンス」こと元大関・貴ノ花も大関候補とも呼ばれ、当時日の出の勢いだった千代の富士に一方的に敗れると、この時の相撲を引き金に貴ノ花は引退を決意したといわれている。そこから11年が経ち、貴ノ花の息子・貴花田に千代の富士は引導を渡された。

この因縁から32年が経った。貴ノ花と千代の富士は鬼籍に入っている。
貴乃花は相撲協会を退職、現役時代から常人ではあり得ないほどの紆余曲折・辛酸をなめた。
そんな貴乃花再婚のうれしいニュースを聞き、念頭に浮かんだことを書いてみた。

秋場所総決算号が新発売!↓↓↓

再婚おめでとう、貴乃花!

 貴乃花が再婚を発表した。

元横綱の貴乃花光司氏(51)が1歳上の一般女性(52)と再婚したことが28日、分かった。
再婚相手は貴乃花氏が10代で十両だった頃に約2年間交際していた「初恋の相手」だといい、今年3月、女性から貴乃花氏へ送った手紙をきっかけに再会。30年以上の時を経て再びの交際がスタートしたという(ENCOUNTより)

あの平成の大横綱が「初恋の相手」と再婚を果たしたという、うれしいニュースだ。

思えば貴乃花は「結婚」「家族」という部分でこれでもかというぐらいに「苦難」の連続だった。

・わずか20歳、大関昇進直後での「婚約破棄騒動」

・「洗脳騒動」を発端とする兄・虎上(3代目・若乃花)母・藤田紀子との絶縁。

・河野景子との結婚も(失礼を承知で言えば)お世辞にも「横綱」「親方」を支えるタイプではなかった。少なくとも「高田みづえ」のように芸能界・タレント活動をスパッと辞めて引退し、若嶋津のことを陰でサポートし続けてきたように。「普通のおかみさん」として力士たちとの同居・寝食をともにすることを拒み、自宅マンションから適宜、部屋に通ってくるという業界の慣例からすれば、異例なスタイルを取っていた。
真相はわからないが、貴乃花が相撲協会退職したほぼ同時期に離婚したのも、相撲(貴乃花)ファンとして印象が悪かった。

この前妻との間には1男2女を儲けたが、どうやら疎遠になっているらしく、今回の再婚も事前に知らされてなく驚いていたとか。

つい最近
「自分の屍(しかばね)だけは誰にも看取られたくない」
「本当に一人の生活が快適です。再婚はよほど縁のある方がいたら」
とコメントしていたと思ったが、この考え・思いを覆すぐらいの素敵な初恋の方との再会だったのだろう。

現在ではバラエティ番組やテレビCMの出演、大学教授就任。各種支援活動等、幅広く活躍中の貴乃花氏。

今回の再婚を報じたネットニュースに掲載された貴乃花の写真は、もう何十年も見られなかった本当にうれしそうな笑顔が印象的だった。
「花田光司」を少しずつ取り戻し、心穏やかに、充実した余生を送ってほしい。

貴乃花よ、甦れ!!↓↓↓