高見盛が一番輝いた日

 現役時代の高見盛(現・東関親方)は、1度だけ当時の朝青龍に勝ったことがある。
2003年7月場所8日目の事。当時の番付は朝青龍が東横綱で横綱在位3場所目「偉大な横綱」として君臨するその礎を築いている時期だった。一方の高見盛は西前頭3枚目。この年から永谷園のCMにも出演。実力も人気もうなぎ上りに上昇中の頃だった。

いざ大一番へ。ロボコップと形容された気合注入シーンから。

相撲は、立ち合いすぐに高見盛が左上手を取る。この左上手が命運を分けた。朝青龍すぐさますくい投げで振るが強引。高見盛、チャンスを逃さんばかりに得意の右のかいなを返し、渾身の寄り切り!座布団が大量に(異常なほど)舞い飛ぶ愛知県体育館、高見盛も一礼する直前に「ヤッター!」と叫んでいたのだろう、明らかに口がそう動いていた。高見盛と観客の歓喜の渦はしばらく鳴りやまなかった。

高見盛はこの場所5日目にも横綱・武蔵丸相手に金星を挙げて、2横綱・2大関(武双山・千代大海)を破る大活躍、9勝6敗で殊勲賞を受賞した。

その後、長らく幕内で活躍。2011年9月場所に十両陥落後も奮闘を続けていたが、2013年初場所限りで引退。現在は審判部に配属され、あの独特の高見盛キャラはここでも生かされてる。

早いもので引退後10年が経つんですね。

これはユニークな逸品です↓↓↓

正代の 良い・普通・頑張ろう ~秋場所より~

良い正代 7日目・貴景勝戦
貴景勝ペースで進む。突き放し、左からのいなし、強烈な張り手を右から左から1発ずつ2発浴びせる。引いたところにつけこみ押し出して正代。張られたあと明らかに表情が変わった。 
貴景勝も初日黒星スタートのあと、5連勝できて6連勝を狙いたい取組だったのだろう。元大関に勝って更に勢いにのっていこうという腹積もりだったのかもしれないが、眠れる「正代」を起こす形になってしまった。正代の「気合入った版」これを常時見てみたいものだ。

普通の正代 14日目・朝乃山戦
正代だって元大関。こちらも元大関・朝乃山。自らの不祥事で一時は三段目まで番付を下げたが、捲土重来を期して番付を前頭2枚目まで戻してきた。
お互い五分の立ち合い、右差しから迷うことなく電車道。体・重心を預けて寄り切った。
実力者同士の実力伯仲の対決に思われたが、正代だってもっているものをいかんなく発揮し、積極的な相撲を取ればうまくいく、白星が取れる好例とも言っていいだろう。

頑張ろうの正代 6日目・霧島戦
霧島からの左のど輪で顔をはね上げられたが、左が入って寄って出た。勝負を決めに寄って出たが、霧島左からの強引なすくい投げ!正代は回しを引いてない分、伝わる圧力も弱めになり、体が伸びかかり気味のところに、霧島のすくい投げを食った形になってしまった。勝ち急いでしまったのか、もったいない一番を落としてしまった。

正代と申します↓↓↓

がぶり寄りを回顧した

 がぶり寄り・・・相手の廻しを自分の方へ引き付けて腰を上下に揺り動かしながら寄り進むことである。寄り進むうちに相手の腰が浮き自身の腰が相手より低くなる形が理想型とされる。

このがぶり寄りで、力士として大関まで駆け上がり成功を収めたのは琴風琴奨菊

琴風豪規
いろいろ調べていると琴風は元々下半身が硬く、また後に膝の怪我に(あれだけ)悩まされ、いかに膝への負荷・負担を少なくさせることなどを合理的に考え習得した技らしい。

1981年3月場所2日目 対横綱 輪島戦

この相撲なんかは、琴風の良さがよく出て且つがぶりを修得した理由・経緯などが集約された理詰めの相撲ではないかと思う。

またこの相撲は大横綱・輪島の現役最後の一番になり、“歴史”の重なった対決でもあった。
琴風はこの3場所後に初優勝を果たし、その次の場所に大関昇進を決める。
琴風にとってこの輪島戦は、ケガから復活後の分岐点となった懸け橋的な取組になったのではないか。

琴奨菊和弘

琴奨菊のがぶり寄りは、左を差してがぶり寄りで相手を一気に寄り切るのを得意とする。左四つの型を持ち、右上手を取らずに右からのおっつけや右で抱えて相手の左を封じながら寄る、珍しいスタイルだった。
彼のがぶり寄りは入幕からしばらくした頃の把瑠都戦でたまたま出たことがきっかけで得意技となったという。なのでアマチュアからプロ入りし、下積みの頃に習得したものではないらしい。

2011年5月場所千秋楽 対大関 把瑠都戦

がぶり寄りの醍醐味、お手本のような相撲である。
(上述から)しかしこの相撲ががぶり寄りへの契機になって開眼したかは定かでない。

琴奨菊はこの3場所後に大関昇進を決めた。そこから大関を32場所勤め上げた。
2017年3月場所で関脇に陥落。以降も金星3個獲得するなど輝きを放つ。
2020年11月場所8日目に引退。
年寄・秀ノ山を襲名し、独立するという話がかねてから聞こえてきてたが、計画は進んでいるのか。

がぶり寄りと言えば、この佐渡ヶ嶽の2大レジェンドをすぐ思い出したが、元関脇・荒勢(花籠)も得意としてましたね。相撲界廃業後タレントなどで活躍したあの荒勢です。

琴風の時代を懐かしみましょう↓↓↓

新十両大の里に黒星をつけた男

 9月場所12日目、十両優勝争い一山本とともにトップを走っていた大の里が北の若に敗れて2敗に後退した。大の里は話題沸騰のプロ3場所目で新十両のこの場所も破竹の9連勝、一山本との直接対決で悔しい初黒星、翌日美ノ海に勝ったあと(12日目)の対戦だった。

大の里に2敗目の黒星をつけた北の若って・・・。

山形県酒田市出身、大の里と同い年・同じ学年の22歳。八角部屋所属(師匠は相撲協会理事長でもある元横綱北勝海)高卒からのデビューのため、力士経験・所要場所数は大の里よりも上・多い。

~簡単な経歴を~
相撲は小学3年の時に始めた。早くも小学校・中学校と全国大会で入賞や優勝の実績を残している。やはり相撲の資質があったのか、高校は名門・埼玉栄に相撲留学。3年次に高校横綱のタイトルを獲得するなど3年間を通して活躍、実績を残す。

高校卒業後に八角部屋に入門。選んだ理由は、わんぱく相撲出場のため同部屋に宿泊した際に、同郷の大岩戸ら部屋関係者に良くしてもらったり、酒田市にある北の富士の親族が経営するちゃんこ料理店で(北の富士直々に)声をかけられたことが入門理由だそうだ。
因みに北の富士は北の若の入門の際に酒田市役所への表敬訪問に同行した。そのようなことから北の若は「北の富士の秘蔵っ子」と目されている。

~入門後~
「高校横綱」という肩書ほど順調・スピード出世という訳にはいかず、新十両まで3年近くを要した。そこからは上がったり下がったりして、先場所(9月場所)では東十両2枚目で8勝7敗とようやく幕内をはっきりと射程に捕らえるところまで上昇してきた。

自ら進んで稽古するタイプではないのか、「大師匠」の北の富士氏からも厳しい檄が飛んでいるようだ、「稽古不足」だと。

現在、八角部屋には北勝富士とこの北の若の2人。
長らく活躍した隠岐の海も引退し、年寄・君ヶ濱を襲名。つい先日に断髪式・引退相撲をしたばかりだ。これからは部屋の看板力士ということを自覚・意識した上で、活躍・番付上昇を期待したい。

北の若が母校・埼玉栄高校から寄贈された「今日学べ」と書かれたオレンジ色の化粧廻しを締めて幕内土俵入りするのはいつの日か。

コーヒーやお茶を相撲に浸りながら↓↓↓



豪太郎の首投げ

 相撲の決まり手は82手ある。
カテゴリーとしては「基本技」「投げ手」「掛け手」「反り手」「捻り手」「特殊技」などに分かれる。
現在の武隈親方(元大関・豪栄道豪太郎)は、得意とは言わないが時折、苦し紛れの「首投げ」を見せることがあった。
この「首投げ」、少なくとも決まり手の「王道」ではなく、この技はプラスイメージとか、いい相撲だったと語られる決まり手ではあまりない。

どちらかと言えば、「苦し紛れ」「一か八か」「やぶれかぶれ」といったマイナスな印象が先行する。

しかし、元大関は現役中、この決まり手で24番制してみせた。この24のうち3番は横綱に対してのものである。
動画もあった。2015年夏場所12日目、時の横綱・白鵬戦である。

※首投げ・・・左右どちらかの手で、相手の首を巻きつけ、巻き込むようにして投げる。とあった。 

この場所の豪栄道は大関5場所目、前場所(大関4場所)までは8勝が3回、5勝10敗の負け越しが1場所と、お世辞にも「大関」という肩書に見合った実績は上げていなかった。

この白鵬に対して首投げを決めたこの場所も8勝6敗1休と左肩剝離骨折のため14日目から途中休場とパッとしたものではない。

豪栄道の現役を終わって振り返ってみても、大関在位33場所中、優勝1回と2ケタ勝利7回。(途中休場含む)負け越しが10回と正直言って横綱を狙えるような器ではなかった。

引退から3年余りが経過して、去年(2022年2月)から武隈部屋を東京都大田区に創設。部屋頭は躍進著しいあの豪ノ山である。

37歳、一国一城の主の夢と目標はやはり自身が成し得なかった「横綱を育てること」だそうだ。

豪栄道に染まれ↓↓↓