照ノ富士、力士人生を賭けて

 3場所連続で休場していた横綱 照ノ富士が初場所に出場することになったという。
師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)が「出ることになっている。本人はやると言っている」と明言したそうだ。途中休場した昨年名古屋場所以来、3場所ぶりの復帰となる。

いよいよ土俵人生を賭けて、初場所に「挑む」決断を下した。
慢性的な膝の痛み(爆弾)、去年7月場所を途中休場することになった腰の痛み(のちに骨折と判明)の状態・具合はどうなのか。

数々の定説・常識を覆してきた。
史上初の序二段陥落からの横綱昇進を成し遂げ、相撲史に伝説・歴史を刻んだ。

今の状態を語るなら、師匠の伊勢ヶ浜親方(元横綱旭富士)が述べたように「私から見ると、やってみないと分からない状態」が一番的を得ているか。

横綱在位(先場所まで)14場所(この期間中の)優勝4回だが、しかし途中休場3回、全休5回も数える。

もし初場所前半(100歩譲って)中盤まで、黒星(負け)が込むようなら覚悟は決まっているのではないか。

初場所の対戦が予想される主要どころとの(照ノ富士からみた本割のみ)対戦成績
霧島  10戦全勝
豊昇龍 7戦全勝
貴景勝 6勝4敗
琴ノ若 6戦全勝
大栄翔 8勝6敗
髙安  12勝13敗
宇良  5勝1敗
若元春 3戦全勝
阿炎  4勝2敗
豪ノ山 対戦なし
翔猿  6勝3敗

あくまでザッとだがこういった感じになった。
意外と見られる対戦相手・成績(数字)もある。

右四つ(がっちり)引きつけての(力強い)寄りや投げ、これでもかとばかり(相手が震え上がらせる・全てを封じる)極め出しが見られるか、それとも次世代台頭の波にのまれる形・結果になるのか。

照ノ富士春雄(32歳)に運命の場所が訪れた。

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黒豹の優勝2回

 元大関・若嶋津六夫こと本名・日高 六男。
痩身ながらも左四つからの投げなどで上位陣に食ってかかった。

鹿児島県種子島に1957年(昭和32年)1月17日に生まれる。
中学校時代は歌手の長渕 剛と同級生(有名な話)
高校から相撲を始め、相撲部監督だった(坂口純治)に二子山部屋を紹介され入門(1975年3月 ※同期に元関脇・太寿山)

十両(関取)まで丸5年。その翌年に新入幕と順調にその帆を上げていった。
入幕後は一度も十両に陥落することなく、三役(関脇)へ。
大関までの直近3場所は(10・12・12)と合わせて34勝、昇進基準に文句なし。
大関昇進1年目の1983年(昭和58年)も2場所目のケガによる途中休場を除けば、全て2ケタと大関としては十分に及第点。

若嶋津六夫の土俵人生の絶頂は翌1984年(昭和59年)に訪れるのであった。
2回の(幕内)優勝、綱取りをすぐ手元まで手繰り寄せた。

1回目(初優勝)はこの年の3月春場所。
この場所西横綱の千代の富士は右股関節捻挫により8日目から途中休場。
そんな中で若嶋津は初日から11連勝。敗戦は12日目(当時)関脇の大乃国戦のみ。
最終成績14勝1敗。
他、成績優秀者は西張出大関・北天佑12勝3敗(4日目・出羽の花、12日目・隆の里、13日目・若嶋津に敗戦)
東横綱・隆の里と東9枚目・麒麟児が11勝4敗など。
若嶋津、初優勝を決めた一番↓↓↓

翌5月場所は9勝6敗と低調に終わったが、直後の7月場所で巻き返し全勝優勝(2回目の幕内優勝)を飾った。この場所の優勝次点が北の湖の11勝、10勝で(隆の里・北天佑・大乃国・佐田の海)と続き、深掘りすれば後に大関となる小錦と霧島が新入幕。更にあの北尾光司が十両優勝を成し遂げていた(西筆頭・12勝3敗)※千代の富士は全休。

翌9月場所に2度目の綱取りが掛かったが、終盤まで優勝争いに加わるも結局11勝止まり。連続優勝と綱取りを逸した。
次年からケガや糖尿病、内臓の病気に悩まされ成績が徐々に低迷。大関を守るのがやっとの状態だった。

1987年7月場所途中で引退。
千代の富士とは極端に相性が悪かった(若嶋津の3勝25敗)

引退後は年寄・松ヶ根を襲名、1990年2月に独立。松鳳山などを関取として開花させた。
現役では手塩に掛けて育てた一山本と島津海が活躍中(島津海は初場所の新入幕)

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阿佐ヶ谷横綱決戦

 昨日からの続きになるが、輪島の横綱在位は47場所(1973年7月場所~1981年3月場所)を数えるが、この期間中に「横綱」として切磋琢磨した力士は(北の富士・琴櫻・北の湖・(2代目)若乃花・三重ノ海)と5名を数える。

「輪湖時代」と評され振り返ることが多いが、今日はそれを逆手に取ると言ったら言い過ぎかもしれないが、この5名のうちの一人、2代目若乃花(幹士)との対決に焦点を当てたいと思う。

この2人の対戦成績は(輪島から見た)19勝14敗と輪島が若干リードしている形になるが、横綱としての実績・力士としての最終形で振り返ると、若乃花も負けていない。

当時の両雄が所属する部屋は輪島(花籠)に若乃花(二子山)
元大関・魁傑の放駒部屋と合わせて「東の両国、西の阿佐ヶ谷」と言われたほど活気づき、実力・人気を兼ね備えた関取を何名も輩出している(1970~80年代)

「黄金の左」と称された絶対的な左からの投げを切り札に持つ輪島に対して、左四つからの上手投げなど、廻しを引けば若乃花も遜色ないスタイルを持っていた。

両者の熱戦を回顧する。

①1977年(昭和52年)9月場所14日目 対 若三杉戦(当時・大関)
昨日も貼りましたが(すみません)
脂が乗りきった頃の輪島。当場所は中盤まで9勝1敗と優勝争いの一員だったが、11日目から(豊山・貴ノ花・旭國)らに3連敗した翌日の取組だった。
一方の若三杉。この日までの成績は10勝3敗だった。最終盤の横綱大関との対戦(潰し合い)をしている最中だった。

②1978年(昭和53年)11月場所13日目 対 横綱・若乃花(2代目)戦
輪島と若乃花、ここまで12連勝と負けなしで迎えた「阿佐ヶ谷決戦」
途中「水入り」が入る大相撲。息詰まる熱戦の模様がこの動画越しにも伝わってくる。
先んじて言うと、この場所を制したのはこの若乃花。通算4回の優勝の内、唯一の全勝優勝を果たした場所でもあった。

輪島は33歳で引退。
若乃花は29歳で引退。

両者とも結婚(プライベート)で躓いた。

輪島はその後、年寄株を担保にしていたことが発覚後(結果論)になるが、栄光が衰えていったように思う。(プロレスラー転向・相撲評論家・バラエティ番組出演・アメフトのクラブチーム総監督など)
若乃花は1983年12月に二子山部屋から分家独立後、多数の関取を育てた。
また調べてみては、当時中学生横綱のタイトルを獲得した高見盛を間垣部屋に勧誘したとされるが(高見盛が)断ったとされる(初めて知りました)理事を10年務めたが、自身や部屋の弟子に関するトラブルが相次いだ。

輪島は2018年10月に70歳で、若乃花は2022年7月に69歳で逝去している。

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黄金の左、煌く3番

 第54代横綱・輪島大士。
とかく豪傑な力士で、エピソードに事欠かない。

プロ入門時の高額な契約金や(入門前での)引退後の部屋継承の保証。
私生活の派手さ(豪快な遊びっぷり)
好敵手・北の湖との「輪湖時代」とも呼ばれたしのぎ合いなど、語りつくせぬほど逸話の数々がある。

「黄金の左」と形容されたその強い強い下手投げで掴んだ勝利数は42。
その厳選した3番をお伝えしたい。

①1973年(昭和48年)5月場所14日目 対 横綱・北の富士戦
この場所の輪島は大関在位4場所目、15戦全勝優勝成る。前年から三役に定着。2ケタ勝利を重ねており、当時25歳の若武者(輪島)はメキメキと力をつけている頃だった。
片や北の富士は、正直言ってピークを過ぎかけていた時期で、この場所は東横綱として9勝6敗。その後はケガが重なり、翌年7月場所途中に32歳で引退した。
「新旧交代」に値する一番かもしれない。

②1977年(昭和52年)9月場所14日目 対 若三杉戦
時の大関、若三杉も下手投げでねじ伏せてみせた。
脂が乗りきった頃の輪島。当場所は中盤まで9勝1敗と優勝争いの一員だったが、11日目から(豊山・貴ノ花・旭國)らに3連敗した翌日の取組だった。
一方の若三杉。この日までの成績は10勝3敗だった。最終盤の横綱大関との対戦(潰し合い)をしている最中だった。
先んじて言うと、この場所を制したのは西横綱・北の湖(9回目・全勝)である。

③1977年(昭和52年)7月場所千秋楽 対 北の湖戦
この場所の輪島は強かった(絶好調)当時の三役陣を片っ端から撃破。14連勝で千秋楽決戦へ。
片や北の湖。7日目に関脇・黒姫山に手痛い1敗を喫するも、この黒星以外は順当に白星を積み重ねて13勝1敗で輪島戦を迎えた。
この場所の星取表を見渡してみて、(当時の)充実した両横綱が場所を引っ張り、盛り上げていたのがよくわかった。

輪島大士の出身地は、奇しくも年明け元旦に大地震に見舞われた石川県七尾市。
石川県を中心とした北陸地方の被災された皆様、並びに(北陸地方在住の)相撲ファンの方々へ心よりお見舞い申し上げます。
 被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。

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新年に輝く星、大の里と尊富士

 新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ「相撲、日々一考」をどうぞ宜しくお願い致します。

さて今年一回目の当ブログ。
どこに眼差しを向けようかと思ったが、新入幕・新十両から一人ずつ、大の里と尊富士を取り上げようと思う。更なる活躍と本領発揮(爆発)を期待して。

大の里泰輝(西前頭15枚目・二所ノ関)
鳴り物入りで入門、次の初場所はプロ5場所目を迎える大の里。
アマチュアでの輝かしい実績、話題性を鑑みてここまでの出世スピードは早かったか否か。
私は順調な方だと思う。2場所目(去年7月の)東幕下3枚目で4勝3敗の時は「あれ?」とは思ったが。
決して大袈裟ではなく、すぐにでも横綱大関を張れそうな立派な体格 192cm・183㎏(相撲協会公式サイトより)に、柔軟(幅広い)取り口、臨機応変なその(どこからでも来いとばかりの)スタイルに自信と経験(十両2場所12勝)が重なってきたか、次の初場所の大の里が凄く楽しみでワクワクする。
好成績から終盤(後半)には割りを崩して、三役以上と対戦し、三賞(敢闘賞)獲得あたりまでの活躍を今から期待してしまうのだが。
初土俵時から名乗っている大正時代に活躍した大関と、師匠の二所ノ関親方が出世したときに案に上がった四股名「大の里」は輝くことができるか。

尊富士弥輝也(東十両10枚目・伊勢ヶ濱)
下の名前は「みきや」と読む(本名)
こちらも保育園の頃から相撲を始め、アマチュアで数々の実績を残したエリート力士。
突き押し得意の24歳。プロ・スタートは前相撲(序ノ口)からとなったが、そこからの出世(昇進)スピードが早い早い。
先場所(11月場所)の6勝の内訳は
欧勝海(今場所同じく新十両)
千代栄・日翔志(2人とも九州場所は十両に在位)
對馬洋・千代の海(元十両)
深井(高砂の幕下ホープ)
この顔ぶれ・実力者にきっちりと勝利を収めている。
現在の伊勢ケ濱部屋は話題性で言えば、あの「永谷園」とCM出演契約をしたとされる熱海富士が広告塔的存在になりつつあるが、いよいよこの尊富士にもビッグチャンス・花開く時期が到来したように思う。
「尊富士」という四股名は、「尊」は地位の高い人という意味から転じて高い地位を目指すという意味、「富士」は師匠の現役時代の四股名「旭富士」に由来する。

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