純血・中卒、高田川流

 モンゴル出身力士を中心に多くの外国人力士が台頭する現在の相撲界。
日本出身でも高校大学でアマチュア相撲や柔道などを経験し入門を志願してくる若者がかなり多くを占めるようになった昨今の相撲界。

この流れを抗うかのように、純血主義・(基本的に)中卒のみの入門の受け入れ、弟子育成を貫き続ける高田川部屋(師匠は元関脇・安芸乃島

藤島部屋(後の二子山部屋)に所属し、猛稽古で鍛え這い上がってきた。
関脇12場所を務め、獲得した金星は驚異の16個!
(千代の富士・北勝海・旭富士各4個、大乃国2個、曙・武蔵丸各1個)
そして有名なのが、勝利後の無口で寡黙な殊勲インタビュー。
「負けた力士に失礼だ」という理由であえてそうふるまっていたそうだが。


引退後、(同部屋で活躍した)貴乃花との確執で年寄株取得・移籍には時間を要したそうだが、2009年に先代・高田川と年寄名跡を交換する形で高田川部屋を継承した。
2009年9月に部屋を新築・移転し、完全に一国一城の主となる。

現在の関取は、湘南乃海竜電(先代からの弟子)・白鷹山と個性派揃い。
特にまだ年齢が若く、立派な体格で伸びしろが大きく感じられそうな湘南乃海には奮起を求めたい。
幕下に目を移せば、ホープとして名高い大辻(今場所・西幕下15枚目)や安房乃国など。
三段目には43歳の古豪・大雷道(元十両)もいる。

行司では、天下の「木村庄之助」(在位2場所目)も高田川に籍を置く。

昭和の香り漂うこの高田川部屋力士達が浪速の土俵を熱く盛り上げる。

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若碇上昇中

 若碇(伊勢ノ海)がじわじわと関取まで近づいている。

連続勝ち越しを先場所までで「6」と伸ばし、初土俵以来負け越し知らずである。
迎える春場所の番付は東幕下10枚目。
また二世力士(サラブレッド)としても知られ、父は元・幕内の大碇(NHK中継の解説にも度々登場している・あと相撲体操の講師など)

若碇は東京都江戸川区出身だが、今場所(3月)の公式プロフィールの出身地を江戸川区から京都府京都市西京区に変更したとある(父・大碇の出身地にどうやら無断で変えられたとか)

(若碇の)相撲歴。
5歳で相撲を始め、中学3年時に都大会準優勝。
強豪・埼玉栄高校に進学。1・2・3年時に全国大会や関東大会で優勝・準優勝、8強など好成績を収め実績を積み重ねてきた。

そしてプロ入り(昨年初場所)同期には(幕下15枚目格付出だが)あの伯桜鵬がいる。

去年7月場所に三段目優勝を飾るなど、本人の努力が重なり合い、順調に出世、番付を上昇中。

血は争えないのか、父同様「小兵」力士の位置づけで体格で戦っている(176cm・112㎏)
三段目優勝を決めた一番の動画を見つけました。右側のざんばら髪が当時の若碇です。

忙しく動き回り、多彩な技を仕掛け、スピードとタイミングで勝負する(勝負に出る)・・・ってタイプですかね。
関取への山がどんどん険しくなってくる地位ですが、春場所はどんな相撲を見せてくれるのでしょうか。

新序出世披露では父が現役時代に使用した化粧まわしを締めて土俵に上がりました↓↓↓

 ガンバレ!!

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大の里、幕内上位に殴り込みだ!

 不祥事が次々と発覚、揺れ動く相撲界。
そんな憂鬱など吹き飛ばしてと託したくなる若者が幕内上位に登場してきた。
春場所・西前頭5枚目まで上昇してきた大の里。
アマチュア横綱(2連覇)からプロ入り(幕下10枚目格付出)
プロ6場所目の大器。

先場所、新入幕(西前頭15枚目)で敢闘賞受賞(11勝4敗)
9日目まで8勝1敗で突っ張り、10日目からは割崩しで三役(琴ノ若・豊昇龍・照ノ富士)と当てられたが、敢え無く上位の壁に跳ね返された。ここからただの敗戦ではなくいろんなことを思い知らされたことだろう。

その後の3番は、元・三役や(幕内上位常連組だったが)この3人に圧勝してみせた。
この経験にプラスどういうことを意識しながら、稽古を積み重ねてきたか。
(三役陣から)杭を打たれた結果になったが、何を修正してきたか。

普通に素質もそうだが、修正能力というか(経験に基づいた)対応能力みたいなものが半端ではなさそうなので、期待したい。
流れ・状況にもよるが、横綱大関に1人(多くて2人)勝ちそうな土をつけそうな気もする(大きな願望込み)少なくともひと泡吹かせる展開に持ちこめるか。

また、性格・人間性も優れているらしく、(出待ちなどの)サインや写真撮影なども可能な限り応じているようで人気も上昇中。

宮城野(白鵬)や(引退した)北青鵬のパワハラ隠ぺい騒動。
新弟子検査申し込み過去最少27人・・・等、マイナスな情報を忘れさせ、本場所を盛り上げてくれるのはこの大の里であってほしい。

神社巡りが趣味の23歳である。

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再十両の偉人 若隆景と北磻磨

 苦労人2人が再十両として顔を揃える。
西10枚目に若隆景(荒汐)、東14枚目に北磻磨。

~若隆景の苦労の足跡~

ちょうど1年前の春場所、関脇6場所連続になるこの場所、2ケタ勝利を続けていた訳ではないが、近い将来の大関候補・期待したい存在では間違えなくあった。
この春場所前に高砂部屋に行き、朝乃山との稽古で左脇腹付近を痛めたらしく、この怪我の影響で10日間稽古を休み、ほぼぶっつけ本番で臨むこととなった。
案の定5連敗スタートとなったが、6日目から4連勝と盛り返し、6勝6敗で迎えた13日目の琴ノ若戦に悲劇が起きる。
取り直しになったこの一番、最初(本割り)の相撲で土俵際の投げの打ち合いの際に右膝を痛めたそうだ。
取り直しの一番では、琴ノ若の叩きに乗じて一気に寄り切り、勝利したのは若隆景だった。
しかし、翌14日目には「右前十字じん帯損傷、右外側半月板損傷、骨挫傷、右外側側副じん帯損傷で3か月程度の療養を要する」との診断書を提出して途中休場することとなった。師匠の荒汐は「歩けないぐらいの状態」と言うぐらいの大ケガだった。

これがその時の相撲(取り直しの一番も含めて)↓↓↓

3場所連続全休=全敗扱いとなり番付は急降下。
手術・リハビリを経て、再起する頃には(去年11月場所)には「関取」の座も失っており、東幕下6枚目から出直すも5勝2敗。相撲(実戦)の勘を少し取り戻し、今年初場所には幕下優勝。文句なしの関取復帰を決めた。

大関を見据えようかというところで大ケガをした訳だがまだ29歳。
若隆景の復活劇、というか相撲人生第2章となる春場所が楽しみである。

~37歳6ヶ月、9度目の十両昇進~

北磻磨に敬意を表する。
ずーっと彼の苦労と向き合い、着目してきたわけではないが、近年の星取を照らし合わせると去年の5月(東幕下28枚目・2勝5敗)と7月(西幕下49枚目・3勝4敗)の連続負け越しで三段目に落ちた時には、失礼だが「これまでかな」と思ったことを否定しない。
ここから三段目優勝(7戦全勝)・翌場所の東幕下11枚目で6勝1敗(7番相撲を落としたのみで6連勝と突っ走った)のだから凄い・偉い・感動もの!
戦後2位の高齢記録(再十両の)史上最多タイとなる9度目の十両昇進となる春場所を前に
「何回も諦めずにきたからこそですから、自分らしい記録」と言い
今後の目標を「ただ幕内に上がることではなく、幕内で“大活躍”です」と力強く語ったという北磻磨。

稽古は噓をつかない。
北磻磨の土俵戦歴がそのことを立証している。
ここまで培ってきた経験と戦術で小兵・軽量のハンデを苦にしない大ベテランの活躍を願ってやまない。

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花相撲で唯一大横綱に勝った男!

 先日、フジテレビ系で放送された「日本大相撲トーナメント」
毎年2月に行われる花相撲。

この中継が酷かった。相撲そのものは否定しないが、中継の形態。
「花道リポーター」と称して、お笑い芸人と女性タレントの力士に対するトンチンカンな質問や実況のアナウンサーもあまり相撲に詳しくなく、興味もあまり持ってないような感じがなんとなく伝わってくるようだった。
本場所中継を見慣れているので、もう少し人選(ゲスト)をよく厳選した方がいいのかなぁと思った。

話がガラリと変わる。
1970年代後半から80年代後半にかけて活躍した「栃光」という力士がいた。
この栃光がこの日本大相撲トーナメントで「快挙」を成し遂げている。

「栃光」って言ったって2人いた。
1人は大関を通算22場所務めた栃光正之。
こちらじゃなくてもう一人の方。
栃光興福。
日本大相撲トーナメント第6回大会(1982年)の優勝者である。
何が言いたいかってこの栃光は、本場所で「横綱」にめっぽう弱かった・対戦成績が悪かったことで知られる。
対輪島      2勝15敗
対三重ノ海    2勝17敗
対若乃花(2代目)2勝29敗 ときて
対北の湖     0勝29敗 という有様。

 しかしこの時のトーナメントでは、準決勝であの天敵・北の湖を破り、決勝で2代目若乃花と当時の横綱2人を破り優勝を果たし、トーナメント歴代優勝者としてその名を連ねている。

なぜ、栃光興福はこれほどまでに横綱に弱かったのか・・・。
稽古嫌いに愛煙家で酒好きと力士・アスリートとしてレッテルを貼られてはいけない3か条を持っていた。あとは、右四つからの下手投げが主武器であったがいつからか半身での相撲を取ることが多くなったとかでこの辺も横綱に勝てなかった一因か。

高校で柔道やレスリングで活躍し、入門後の順調な昇進、柔軟な体質・重い腰からかかる期待は大きかった。幕内の在位は長かったが、今ひとつ(力士としての)印象パッとしたものが無かったように思える。あとは本人の欲のなさかな。

花のニッパチ組なんですね。
同い年に北の湖、2代目若乃花、麒麟児、大錦なんて名前が出てきました。

当時の師匠・栃錦がどうして「栃光」という由緒ある四股名を付けたか継がせたか。
この意味とメッセージを受け入れて稽古に精進し、多少なりとも節制に努めていれば力士としてもっと大成していたかもしれない。
かつての千代の富士が時の大関・貴ノ花に禁煙を勧められ感激し、後の横綱昇進につなげたように。

1987年5月場所限りで、力士引退と同時に角界からも去っていった。

その後はサラリーマン生活を経て、ちゃんこ屋を経営していた時期あり。
2002年12月、49歳の若さで早逝している。

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