大鵬魂の継承者・嗣子鵬 慶昌

 現在の大嶽部屋の前身・大鵬部屋の看板力士と言ったら、やっぱり私の中では「巨砲」と「嗣子鵬」の四股名が浮かぶ。

この両雄、年齢と学年は嗣子鵬が1つ上だが、初土俵は同じ1971年(昭和46年)1月の嗣子鵬に対して、巨砲は5月。2人とも大鵬の内弟子として、まずは(大鵬が現役時代所属した)二所ノ関部屋に入門。
新十両入りは全くの偶然で、1977年(昭和52年)7月と重なる。
切磋琢磨しながら、苦楽を共にしてきたであろう。

ここから出世の道のりに関しては、差が付いてくる。
巨砲は関脇まで登り詰め、三賞4回・金星10個と幕内を78場所務め上げた。
嗣子鵬は幕内と十両の往復を6回しているが、3度の十両優勝を挙げている。三賞と金星には縁がなかったようだ。

話を嗣子鵬で統一する。

1987年5月場所限りで引退。
若者頭に転身するも4年後に廃業。
その後は、愛知県稲沢市でちゃんこ料理店を経営していたそうだが、2006年10月に51歳の若さで亡くなられている。

これだけでは終わらない。
2011年より、現役時代から兄弟弟子として親交のあった元十両の大竜が大嶽部屋継承後、この嗣子鵬のお店を名古屋場所の宿舎として使用しているそうだ。

今年の名古屋場所から新会場・IGアリーナに変わり、王鵬の幕内上位定着に夢道鵬の新十両昇進と意気上がる大嶽部屋。大鵬魂を継承して、7月場所をさらに熱く盛り上げてもらいたい。

天国から嗣子鵬も見守ってくれている。

横綱昇進へ向け、止まらない追い風

 大の里、地元凱旋。

故郷・石川県河北郡津幡町で55年ぶりの巡業が行われ、チケットは完売、2500人が駆けつけ大いに盛り上がったという。

3月春場所。
石川県の相撲ファンや熱心な勧進元の念が届いたのか、地元巡業の直前、本場所できっちりと幕内優勝を仕留めるあたり、やはり只者ではない。

この日の朝稽古では大栄翔、錦木、明生らを相手に7勝1敗。
結びの一番(取組)では、横綱・豊昇龍を寄り切ったそうだ。
その豊昇龍戦で締めていた緑のまわしは、後援会から贈られたもの。
緑色は津幡町の町章に使われていて、地元の総意が込められてると受け止めたらいいのか(実際の町章)↓↓↓

次場所で綱とりがかかる訳だが、早くも地元後援会では”横綱昇進“を想定して土俵入りの三つ揃い化粧廻しの制作への準備・値踏みを始めるなど、75人目の横綱へ、あの輪島以来44年ぶりの地元・石川県出身横綱誕生へ向けて、その機運の高まりたるやとどまるところを知らない。

輪島の象徴と言えば、その廻しの色になぞらえた「黄金の左」

(その輪島引退後)44年が経ち、大の里は「緑」をシンボルカラーとするのか。


石崎涼馬、幕下卒業見送り・・・。

 石崎涼馬の十両入りはほんの僅かなところで取り逃した。

幕下筆頭で3勝4敗だからその夢なんて叶うはずもないのだが、14日目の7番相撲(風賢央戦)で、8割は掴みかけていたであろう新十両入りを逆転の突き落としを食らってしまい、惜敗。関取昇進持ち越しとなった。

まぁ、要するに相撲に勝って勝負に負けた、と。
流れと出足は良かったが(最後のひと押しのところで)若干、足が揃い気味で上体が伸びてしまい、正確に圧力をかけらなかった。風賢央は俵伝いではあったが、少しの余裕と余力があったか。

その風賢央戦↓↓↓

たらればの話をする。
この一番をものにしていれば石崎自身が新十両だったと思うし、貴闘力四男の昇進はなかったかもしれない。逆に言えば風賢央が負けていれば(この時点で)負け越しで状況次第では・・・、なんてこともあったのでしょうか。
勝敗が決する以前に、そういう(入れ替え戦的)意味合い込み・含まれての割だったかもしれませんが。

残念ながらプロ入り後、初の負け越しを喫してしまった朝紅龍弟。
この見えない高くてぶ厚い壁を乗り越えられるか。
乗り越えられずに角界を去っていった者も多くいるし、もちろん乗り越えて栄光を掴み取った者も多数存在する。

力士として身体的に恵まれてるとはとても言い難いが、プロ入り前に教員にまでなった英知で関取昇進の夢を果たせるか。
目安として2~3場所以内で吉報を待ちたい。

石崎兄弟が近い将来幕内上位を席巻してほしいところだが。

「崎」の字の一文字前は「岩」でなく「石」です。
念のため。

昭和と共に散った名力士・飛騨乃花

 10代目の年寄・二子山は、第45代横綱(初代)若乃花である。

1962年(昭和37年)の現役引退と同時に独立し、二子山部屋を興す。

横綱2名・2代目若乃花、隆の里
大関2名・初代貴ノ花、若嶋津 を始めとして育てた関取19名。
「猛稽古」という言葉に偽りなく、厳しい指導のもと、強豪関取が次々に育っている。

その中の一人に「飛騨乃花」という力士がいた。
四股名に書いてある通り、飛騨=岐阜県高山市出身。

この頃私も近隣に住んでいたので、よく朝稽古を見に行ったものだが、その稽古土俵を囲んだ顔ぶれが凄かった。上記4名に加え、この飛騨乃花・大寿山・若獅子・隆三杉・三杉里辺りがすらっと出てくる名前か。

下積み生活が長く、関取にたどり着くまで10年。
「稽古場横綱」と称されるほど、右四つになればその名をほしいままにしていたそうだが、本場所では幕内上位の壁を破れず、三役に上がることなく現役を終えている。
唯一の金星を北の湖から挙げている(1981年11月)初顔での快挙。
1989年1月場所限り引退。
最高位は前頭筆頭。
偶然にも「昭和」の終了と同じタイミングで土俵生活に別れを告げている。

引退後、年寄を襲名し角界に残っていたが、数年後に廃業。
相撲茶屋の経営に乗り出していたらしい。


朝青龍、2005年無敵伝説

ふた昔前、
2005年(平成17年)のドルジこと朝青龍、強すぎ。

この年の優勝賜杯は
・全場所この男のもの(6連覇・年またぎで前年11月場所より7連覇)
・年間成績 84勝6敗
・連勝を2回記録 
27連勝 2005年1月場所初日~2005年3月場所12日目
24連勝 2005年3月場所14日目~2005年7月場所7日目
・ひとり横綱まっしぐら時代(2004年1月場所 – 2007年5月場所)の中に組み込まれる。
・年間6敗、負けた相手
栃東、琴欧州2回、黒海、普天王、安美錦 
・次代(69代)横綱 白鵬との2005年は朝青龍の5戦5勝 
・大関には魁皇と栃東が君臨していたが、魁皇戦に至っては朝青龍の3戦3勝

など、手がつけられなかった。

取り口は左四つをベースに何でもござれといったところか。
独自の嗅覚で「いける」とセンサーが察知したら、百発百中とは言い過ぎかもだが、かなりの確率で獲物を仕留めていた印象。

引退時(2010年初場所後)29歳。
自分を律して少しでも抑制できれば、もっと違う相撲人生(横綱から現役引退、その先の親方(年寄)人生)を歩めたことだろう。

こんな2人の熱戦をもっともっと見たかったです。
この2008年初場所千秋楽の相星決戦は忘れられない。

対戦成績も拮抗していて、13勝12敗で白鵬ひとつリード。
決定戦を含めると15勝14敗でこの場合は朝青龍に分があったようですが・・・。