大島部屋最強力士

 旭海雄 蓮(きょくかいゆう れん)

関取不在期間が続いている大島部屋(師匠 元関脇・旭天鵬)に関取が一番近い位置に番付されたこのモンゴル出身力士(東幕下筆頭・自己最高位)

素朴な素顔である↓↓↓

簡単なプロフィールとしては
・相撲を始めたのは14歳。
・神奈川県小田原市にある旭丘高校の相撲部の留学生選抜試験に合格し来日。卒業後は日体大へ進学。高校大学時代共に全国レベルの実績を残す。
・同胞の親方が師匠の大島部屋に入門(おととしの11月に初土俵)とあった。

以来、急速に番付をひた走っている。
得意技、力の出る型・流れは正直よくわからぬ。

日体大の同期には大の里・阿武剋・石崎など逸材揃い。
何だかいい匂いがするではないか。

現師匠になってからの大島部屋に「関取」を賭けて大勝負の場所に挑む。


錦木、復活へ

 連続20場所守ってきた幕内から陥落(キャリア4度目)
同部屋の新入幕、伊勢ノ海伝統の「藤ノ川」(先場所までの若碇)と入れ替わる形で十両からの出直しを余儀なくされた錦木。

2年前の7月名古屋場所には、11日目まで1敗と優勝戦線を突っ走っていたあの輝きは少し薄れつつあるか。

背筋力の高さが証明する重い腰をベースにした四つ相撲(左四つ)になった時の力強さ・期待感にまだまだ錆付きは感じられないとみている。

また無類の酒豪と聞くが、名古屋(中部東海地区)には自身に合う好きな焼酎はあるのか。

繰り返しになるが、2023年名古屋での時の横綱・照ノ富士の極めにもめげずにすくい投げでぶん投げ、会心の金星を挙げた一番の動画を奮起を促す意味で貼り付ける。

まだまだ老け込む歳ではない。
玉鷲・佐田の海・髙安らと共に、なくてはならないベテラン力士の一角であってほしい。

米沢龍と山藤に託す期待、賭ける将来

 米沢龍と山藤。

(幕下以下の力士ではあるが)この2人も相撲の魅力を体現してくれる。

米沢龍 大喜(よねざわりゅう だいき)

元小結・両国が師匠を務める境川部屋に昨年5月に初土俵。
そこから大きく勝ち越し、番付を駆け上がってきた20歳のホープ、ハーフ力士。
入門前までの格闘技歴は柔道のみという、伸びしろたっぷり・磨けばどこまでも光りそうな好素材である。
どの角度から見てもまだ体重が必要に感じるが(現在132㎏)背筋力と握力が抜群にあるようで、四つ相撲でも堂々と渡り合う。

抜群の容姿で早くも多くの女性ファンを虜にしているようだが、番付上昇に伴い、こちらの方も青天井の人気と知名度が広がってくるに違いない。

山藤 勇治(やまとう ゆうじ)

角界の老舗・名門、出羽海部屋に3年前の春場所に入門。
一般人に見間違いそうな痩身な肉体だが、反骨精神と軽量を逆手に取った決まり手の多さと臨機応変な相撲展開で活路を見出そうと本当に頑張っている。
(近年での)小兵力士の先駆者、舞の海や炎鵬のようにアマチュアでの経験・実績があるから目が離せない。尊敬する力士を「維新力」と答えている21歳。
しかし、どう見ても某芸人によく似ている。
でもそんなの関係ねぇか。

さて、明日の番付発表。
ご両人はどの辺りに四股名が載っているのやら。


音羽山部屋、新境地。

 元横綱鶴竜が師匠の音羽山部屋が部屋開きを行ったそうだ。
23年12月末に音羽山親方が陸奥部屋から独立。24年4月に陸奥部屋が閉鎖となり、引き継いだまだ陸奥色が残る音羽山部屋が墨田区向島で新たな一歩を踏み出した。

元大関霧島はさておき、アマチュア経験・実績十分の浦山(近畿大卒・先場所(5月)幕下最下位格付出デビュー)を次鋒に元幕内・安芸ノ州の長男の今田など好素材・若者が所属する。

父親が大学教授、そして親方自ら勉強・スポーツともに優秀だったという過去が言葉の端々から感じとれる知性に伴う適格な解説、穏やかな人柄。

振り返れば、現役(横綱)時代は白鵬と日馬富士の陰に隠れた感は正直あったが、年寄株取得がうまくいかずに「鶴竜親方」時代が3年近くあり、巡り巡って師匠として一歩を踏み出せる喜びを相撲ファンとして立ち合えてうれしく思う。

残念にも上述の元横綱の両雄は角界から去っている。

今後は一時代を築いたモンゴル勢の一角として、どんな有望株を番付上位に送り出し、相撲界改革の担い手となれるのか。

音羽山力三郎と音羽山部屋。
それだけの大きな魅力と可能性を秘めた存在かもしれない。

これが負けか ~希代の横綱が喫した敗戦~

 2010年1月場所14日目 から2010年11月場所初日まで
時の横綱・白鵬は無双の強さで白星を重ね、積み上げたその数は63。
ほぼ一年間勝ちっぱなし、連勝街道を驀進していた。

幕内の連勝記録としては、今でも燦然と輝く史上2位。
ちなみに1位は(白鵬も心酔する)第35代横綱・双葉山の「69」

私の一方的な印象だけで言うならば(この頃の白鵬は)張り手やかち上げなどを前面に出すような相撲はさほどなかったように思う。

それくらい強かった。
自ら「後の先」と例えた相撲っぷり。どんな形・体勢にも概ね柔軟に対応し(対戦相手としても)隙を見出すのが難しかったように推察される。

連勝を止めたのは現・二所ノ関親方の稀勢の里。
当時の番付が東前頭筆頭であった。

相撲を振り返る。
白鵬の右差しを左おっつけで封じ、突き放す稀勢の里。横綱を追い込みながら、左四つに持ち込み右の上手は十分。
連勝中の白鵬、内掛けで抵抗するも効果なし。
まっしぐらに寄り切った。勝者は稀勢の里。

正面審判長横に崩れ落ちた無敵の横綱。
何か敗戦を噛みしめたような表情だった。

「これが負けか」

敗戦直後に白鵬が残した談話であった。

この白鵬の2010年は86勝4敗。
(当然ながら)3月から11月場所まで5連覇している。

幕内最高優勝45回中、13~17回目の優勝を達成した年。
年齢は25歳を迎えていた。

「いやぁ、強かった」
月並みな言葉しか出てこないが、他の表現が浮かんでこない。

初の休場を記録した2015年。
もしくはその前後あたりから(少しずつ)上述した相撲スタイルが散見されるようになったか・・・。

直近の白鵬氏の動き。
15世紀にモンゴル帝国を再統一した第34代皇帝ダヤンにちなんだ新会社「白鵬ダヤン相撲&スポーツ株式会社」を設立したことを発表したそうである。

新たな舵取りを純粋に応援したい。