明瀬山予報 ~願いを込めて~

 明瀬山光彦、38歳。
関取離れて丸2年が経った。突き押し相撲メインだが、四つ相撲(右四つ)からも勝機を見いだす。ここまでの最高位は東前頭12枚目(令和3年3月場所)
前頭4場所・十両38場所を務めてきた。最後の十両在位は2021年7月場所と関取生活から遠ざかっている(幕下生活が長い)

近々の7月(名古屋場所)では、東幕下16枚目で5勝2敗と勝ち越している。
来場所は幕下10枚目以内には食い込みそうな気がするが。
その7月場所の取組2番だけであるが、動画があった。
5日目・大翔丸(追手風)戦と10日目・生田目(二子山)戦である。

https://youtu.be/BgXE6Bmmi7Y?t=72

いずれも勝った一番だった。

5勝を収めた顔ぶれも(順に)
尊富士(伊勢ヶ濱のホープ)
大翔丸(最高位・東前頭5枚目)
西乃龍(境川のホープ)
生田目(狼雅に次ぐ二子山No.2)
琴手計(ご存じ・琴勝峰の実弟)

と錚々たる顔ぶれ(番付を考えれば当然だが)

私は旭天鵬(現・大島親方、元関脇)と、安美錦(現・安治川親方、元関脇)の40過ぎまで関取を務めた2大レジェンドに肩を並べてほしい、一歩でも近づける存在になってほしいと切に願っている一人である。

言わずと知れた話題性・人気抜群のこの明瀬山光彦に、まだまだ関取として活躍する姿に俺は賭けている。

祈・再十両へ↓↓↓

朝志雄、何度でも這い上がる

 力士人生を送る上で膝のケガは切っても切れない、言わば付き物のような感じと言えなくもない。
これらを乗り越えて初めて一人前・プロになったという逆説的な考え方・位置づけもあるという。

高砂部屋の朝志雄。彼もまたつらい(膝の)ケガ、番付陥落による厳しい待遇の変化を乗り越え、十両復帰を見据えられる地位まで少しずつ番付を戻してきている。

朝志雄 亮賀(あさしゆう りょうが)こと村田 亮は大学時代のアマチュア全国大会の実績が認められ、三段目格付出資格を得た。高砂部屋所属・2017年3月場所初土俵。
3場所目には幕下。その1年後に西幕下筆頭での3番相撲で右膝の側副靭帯損傷・前十字靭帯部分断裂の大怪我を負い、この場所は途中休場。
長い悲劇の始まりだった。
そのあとの3場所連続全休、復帰した場所も2番目の相撲で右膝の怪我を悪化させ途中休場プラス次の場所全休。序ノ口まで番付を落としたが、序ノ口優勝と次場所も優勝逃すも7戦全勝と意地を見せ、番付を再浮上させた。

2021年秋場所(9月)念願の新十両昇進を果たす。
しかし、前場所後に右足首の腱が切れていたことが判明。その影響から、新十両の場所は1勝14敗と大きく負け越した。その2場所後には患部を庇いながら出場を続けた結果、右膝靱帯の断裂が判明。手術とリハビリが重なり、4場所連続で全休。またもや番付を序二段(60枚目)まで落とし、7勝0敗で優勝を飾る。直近の名古屋場所では、東幕下50枚目で6勝1敗の星を残し、また大きく番付を上げることだろう。

膝の大怪我からの復活劇は、横綱照ノ富士や元大関琴風が(主立って)有名なところではあるが、この朝志雄だって負けてはいない。
常人の理解を越えたケガの痛み・手術・リハビリ(時間経過)

朝志雄の四股名には

「朝」・・・高砂部屋伝統の「朝」
「志」・・・出身地の志摩と出身道場の志友館から「志」
「雄」・・・「雄々しい」、さらに学生時代の恩師・浜野文雄監督の名からもらった「雄」

という素晴らしい意味や願いが込められてるそうだ。

ここ3場所連続6勝1敗でケガ(膝)の状態もいいのだろうか。更にもうひと踏ん張りだ。
是非、この四股名を関取(十両)以上の土俵で満員の観衆の中に光り輝かせてほしい。

明日、8月8日で29歳を迎えるそうだ。

高砂部屋バスタオルでさっぱりと↓↓↓

炎鵬の吊り技に魅せられて

 5月場所・10日目から頸部(けいぶ)椎間板ヘルニアで全治約3カ月と診断されて途中休場、7月場所は5年ぶりに幕下陥落(西幕下筆頭)でここでも全休。来場所もかなりの番付降下が予想される「令和の牛若丸」こと炎鵬。

ひねり技を得意としている。特に左右の区別なしに両方から捻りを繰り出す。
基本的に懸命に横に動いて、相手の意図を崩し勝機を見出す。
師匠・元横綱白鵬の宮城野親方からは「絶対に止まってはダメだ」と口酸っぱく言われてるそうだ。

そんな炎鵬でも1場所に「吊り技」で2勝を挙げた場所がある。
おととしの3月場所に「吊り落とし」と「うっちゃり」で決めた2番。
偶然にも動画が残っていた。
順番に令和3年3月場所9日目・天空海戦で見せた「吊り落とし」

続いて11日目・佐田の海戦の「うっちゃり」

引退した石浦(現・間垣親方)に筋力トレーニングを教わり、体幹を鍛え上げた賜物らしいがそれにしても見事な技・決めっぷりだ。

小兵・軽量がゆえにどうしても体力差や力でねじ伏せられる場面が見受けられる。

負傷した部分をできる限り治し、また土俵を沸かせてもらいたい。

待ってるぞ、炎鵬!!↓↓↓

 

貴景勝貴信、27歳

 大関貴景勝が今日(8月5日)で27歳になった。誕生日おめでとう!

・立ち位置、現状の確認

慢性的な膝や首の痛みが依然としてある。
7月場所は両膝半月板損傷のため全休。来たる9月場所はカド番で迎える(7回目)

「ボロボロ」「満身創痍」27歳の大関へ現実に向けられるつらく冷たい言葉はこんな感じのものが当てはまるか(失礼を承知で言ってます)

「霧島」「豊昇龍」2場所連続で大関が誕生することになるが、この2人に先輩大関として少しでも(膝や首、あちこちの)痛みを治して・和らげて、壁として立ちはだかることが出来るかな。

(おそらく)来場所は琴ノ若も加えての3関脇、加えて実力拮抗の上位陣に(相撲界)看板力士としての“洗礼”を浴びせることができるか。

現状の予想解答としては「??」信号機の色で例えるなら「黄色点滅」ぐらいが現実ですかね。

27歳の大関には、実年齢とは反比例する(大関を維持していく上での)肉体の劣化・ダメージが高い可能性であるものと思われる、思います。

今年初場所、3度目の優勝時の心にしみるインタビューです。

感動して何度も再生し目と頭に一問一答が焼き付きました。
私個人の応援を継続する理由の礎です。

どんな状況になろうとも応援し続けます、頑張ってくださいね、貴景勝関!!

頑張れ、貴景勝!!↓↓↓

藤ノ川と市ノ渡

 両者の共通点。
昭和末期に学生相撲から鳴り物入りで入門(エリート力士)
力士としては短命に終わり、前評判の高さを思えば、それほど大成しなかった。
というところか(失礼)

両者の経歴を振り返る。

~藤ノ川・服部~

藤ノ川こと服部祐兒は1960年8月20日生まれ、愛知県大府市出身。
同志社大学進学後に相撲を始め、アマチュア主要タイトルを17回獲得。
現・伊勢ケ濱親方の元横綱旭富士とは大学の同期にあたり、のちの横綱を稽古場では凌駕する力があったとか。

1983年3月場所に、伊勢ノ海部屋から幕下付出で初土俵。四股名は本名の服部。
3場所で通過し十両入り。この十両では9場所・1年半を要し、1985年3月新入幕。同時入幕として(琴ヶ梅・花乃湖・寺尾)と豪華な面々。自身もこの頃に「藤ノ川」と四股名を改名(当時の伊勢ノ海親方の現役時代の四股名を受け継いだ)
幕内は甘くなかった。脇の甘さをつかれ、苦し紛れの小手投げが多くなった。精神面での弱さも影響、腰痛も患い大成ならず。1986年11月場所、前頭11枚目の地位で3勝12敗と大敗したのを機に番付を一気に幕下まで落とした。陥落後の2場所も勝ち越しできず、1987年7月場所限りで26歳で引退。年寄襲名の話もあったそうだがこれを固辞し相撲界を去った。

廃業後は日本テレビのスポーツ番組で相撲解説をしていたが、現在では大学教授と日本相撲連盟の評議員を務めていて、アマチュアではあるが相撲とは縁がある。

~市ノ渡~

市ノ渡三四四、珍しい漢字の並びの下の名前だが、本人の昭和34年4月生まれに由来しているそうである。青森県上北郡七戸町(旧・天間林村)出身。
元関脇魁輝(長らく友綱親方)が市ノ渡の母方の従兄にあたる(天間林出身で(魁輝と)繋がってきますね)
高校から相撲を始め(三本木農業)東京農大時代には全国大会に出場するなど活躍。
1982年3月場所・幕下付出で初土俵(時津風部屋から)左四つ・寄りが得意だが、突き押しでも力を発揮。1年後に十両昇進。安定した成績を残し入幕を期待されたが、故障が多く1985年5月場所を最後に幕下に陥落した。その後1場所だけ十両に復帰したが、幕下で低迷。1989年9月場所を最後に現役を引退した。 その後の消息は不明だ。

アマチュアエリートが必ず成功するか・大成するかと言ったら、それは別で、期待通りの出世をしないまま終わった例は何例もあった(プロ野球の世界も、他のどの世界もそうだろう)

(成功するには)努力と運となんでしょうかね・・・。

親方気分に浸りましょう↓↓↓