ご当地で勝負を賭ける、島津海

 九州場所のご当地力士、十両から幕内へ大勝負を賭ける力士がいる。

島津海 空(しまづうみ そら)
鹿児島県種子島(西之表市)出身
父は地元・草相撲の強豪力士。そのため現役時代の大関若嶋津と相撲を取る機会があり、この時の縁が自身の松ヶ根部屋入門に繋がったという。

小学校1年から廻しを締めて地域の大会に出場したこともあるそうだが、特筆すべき実績は挙げておらず、ほぼ未経験から中学校卒業と同時に当時の松ヶ根部屋に入門した(師匠・若嶋津)

三段目に上がるまで初土俵から1年かからなかったが、そこから幕下まで3年ちょっと。さらにその時から十両まで5年以上かかった。この間に休場が3場所あり、三段目との往復が続いた時期もある。

去年3月に念願の新十両入りを決めた場所途中に自身を育ててくれた若嶋津が停年。
十両昇進後は2ケタ勝利こそないもののコツコツと番付を上げ、いよいよ勝負の時がきた。

速く動いて、いかに得意のもろ差しに持ち込めるかがカギとなる。
種子島出身、浅黒い肌、どこまでも前師匠の若嶋津を彷彿とさせるこの島津海の活躍に期待したい。

十両昇進を決めた時の会心の一番がありました↓↓↓

現師匠とともに放駒部屋を盛り上げる↓↓↓

続・育盛物語

 ありふれた言い方だが月日・歳月が経つのは早いものである。
異色・珍名力士の育盛が去って相撲界を早や9年が経った。
当ブログでこの育盛を取り上げてから、1年以上が経つ。

(皆様のおかげで)この投稿はコツコツと着々とアクセスを集めている。
ありがとうございます。

そうこうしているうちに、YouTubeを見ていたら更新されていた、育盛の近況を伝える動画が。
聞けば半年ぶりの更新で、この間は大なり小なり鬱状態が続いていたそうだ。
現状では「食事が難しい」とのこと。
食べれる時は食べれるけど、食べれない(ひどい時)には戻してしまうこともあるとか。
鬱って、想像できなくて難しい。
体重も10㎏以上も以前より減ってしまったとのこと(60㎏弱)と、元相撲取りを感じさせない現状だ(元々、相撲をやるには)軽量すぎたが。

今後についても語ってくれた。
・(なるべく)動画の投稿頻度を増やすこと。
・今までは(複数本の動画を)限定公開だったのを元通りに公開していくつもり。
など語っていた。

一角度(いちかくど)からひたすらに元・育盛が映し出され、ある種声明のような動画ではあったが、育盛こと田井 雅人が元気そうにやっていることだけは確認できた。

珍名四股名を名乗ったがゆえに、ここまでスポットを浴び続けるのも「育盛」こと田井雅人の運命か。

育盛は今月8日で27歳を迎える。
彼の今後の人生・道のりは誰にもわからない。

https://www.youtube.com/watch?v=DFfl9UQG9lE

相撲シーズン到来だ↓↓↓




正代直也、32回目の誕生日🎂

 相撲協会公式ツイッターを見れば、今日はなんとあの正代の32歳の誕生日ではないか!

今場所(九州場所)は、東前頭2枚目。
まだまだ幕内上位の一角として活躍する使命があり、それは若手力士の壁・お手本的存在であり続けることを意味し、三役上位陣に対しても名前だけで心理的プレッシャーを与え続けられる力士だ。

先場所は東の3枚目で8勝7敗。
3連敗スタートからの9日目終了時点で3勝6敗で「これは(勝ち越しが)難しい」と思っていたが、そこから巻き返して翌10日目以降は5勝1敗で最終的に勝ち越してみせた。

何が言いたいかって、得意の右四つ(右差し)に持ち込んだらまだまだ全然いける!
具体的に挙げれば、先場所13日目以降のラスト3番は力強かった。

今場所(熊本県出身の正代は)ご当地九州場所。
地元・宇土市に正代の勝利を祝う祝砲の花火を何発打ち上げることができるか。

ちょうど1週間後の日曜日、正代が九州場所の土俵に降臨する!

これくらい気迫あふれる、闘志をむき出しにするような相撲を見せてほしいものだが↓↓↓

このタオルを手に正代に念を送ろう↓↓↓

こんな感じです↓↓↓

竹葉山、師匠として

 12代宮城野こと竹葉山真邦。
失礼だが、力士として現役時代はそんなに大成したわけではないが、引退後に年寄宮城野を襲名して後の白鵬 翔ことモンゴル出身 ムンフバト・ダヴァジャルガル少年との出会いが相撲人としての竹葉山の人生(立ち位置や存在感)を大きく変えた。

入門当時身長175cm、体重68kgしかなかった白鵬だが、大きな手足と腰、柔らかい筋肉を見るに、もしかしたら化けるかもと思い、入門してからの2ヶ月間は稽古をさせず、毎日吐く程に食べさせ牛乳を飲ませ続けたり、当時部屋の経営に余裕がなかったにもかかわらず白鵬の口に合う鹿や羊の肉をわざわざ予算を割いて調達したという。

当時の面影が甦る↓↓↓

こうして、竹葉山の白鵬に対する環境作り・バックアップ体制と本人(白鵬)の並はずれた努力と血と汗と涙の結晶・積み重ねが調和し、「大横綱」の称号を手元に引き寄せることになる。

しかしその反動と言ってはなんだが、20代で数多くの栄光を手にした白鵬は(どこまで本人の自覚があったかわからないが)力士として人として徐々に「肥大化」していったのは否めない事実だと思う。
当時、話題になった横綱としてあまり相応しくない行為として挙げられるものとして
・(立ち合い時の)かちあげ
・(立ち合いや取組中の常軌を逸した)張り手(ビンタ)
・(肘に着用していた)サポーター疑惑(何か入っているのでは?)などと言われた。

そしてここまで(白鵬が横綱として)いろんな記録・実績を打ち立てると
「師匠」と「弟子」の肩書・言葉の持つ意味が段々と薄らいできた印象が少なからずあった。
「師匠」の最高位は前頭13枚目
「弟子」は横綱を張っていたのだから。

「師匠」としての「弟子」白鵬に対する舵取りやコントロールは(当時)自然と難しくなっていったのではないかと勝手に推察するが。
亡くなった朝潮が、朝青龍の扱いに苦労していたように。

話が横道に逸れた。
時の少年(後の)白鵬が縁あって入門したのは、竹葉山が師匠の宮城野部屋。
(白鵬が)冨と栄光を築いたのも宮城野部屋。
竹葉山は白鵬を育てるのにこれ以上ない労力を注ぎ込み、大横綱に育て上げ「名伯楽」と呼ばれるまでになった。

竹葉山は、弱小だった宮城野部屋を一大勢力にまでになる基盤を作り上げ、更なる栄光への架け橋を白鵬へ受け継いだ大人物である。

宮城野部屋の歴史の証人です↓↓↓

大ちゃんこと朝潮が急逝

 いやぁ、びっくりしました。
つい先程、ネットニュースで4代朝潮 先代高砂 (本名・長岡末広)が小腸がんのため67歳で亡くなったというニュースを聞いた。

先月24日に、朝青龍とのエピソードを主とした投稿をしたばかり(もちろん自業自得の部分もあるが)朝青龍を始めとした弟子の問題で苦労したなぁと。

現役時代をダイジェストで。
とにかく北の湖に強かった・分がよかった(対戦成績・朝潮の13勝7敗)
その北の湖戦を含む、2代目若乃花と千代の富士を撃破する一番が集約された1983年(昭和58年)初場所の朝潮の活躍ぶりをプレイバック!この朝潮が大関に昇進する2場所前のことでした。加えて、皮肉にも(2代目)若乃花はこの一番が現役最後になった。

振り返ってみると、「大ちゃん」こと朝潮太郎の全盛期・最盛期だった頃の相撲が一括されている。当時の若乃花に引導を渡したのもこの朝潮。

大関に上がってからは、パッとした成績を治められてない。大関在位36場所中、2ケタ勝利が7回のみ。膝を中心とした足の故障が多く「大関」を守るのがやっとだった。

引退後、年寄として

引退後、年寄・山響を襲名し、部屋付き親方だったが、先代若松の病気廃業を機に若松部屋を継承。
ここから、後の大横綱・朝青龍や(現役として活躍している)朝乃山に出会い、師匠として(部屋経営)の部分でいい思いもしたが、特にやんちゃな朝青龍には苦労して、振り回された。
3年前に高砂部屋を朝赤龍に託し任せ、名跡交換で錦島へ。最後は朝乃山の不祥事に自らも関与・関わる部分があり、半ば追われる形で相撲界と袂を分かつ。

1年程前から、死因とされる小腸がんを発症したと言われてる。

親しみやすいやすいキャラ、愛くるしい笑顔、今でもすぐそこにいるような気がしてならない。お悔やみ申し上げます。

ご冥福をお祈りします