手計家の人々

 現在3人の関取が所属する佐渡ヶ嶽部屋の一角・琴勝峰(本名・手計富士紀(としき))は、小学1年で相撲を始め、入門してから6年近く経った今では、幕内上位に顔を出すようになった。

4歳年下の弟がいる。同部屋・幕下の琴手計(ことてばかり)である。
こちらは5歳の時から相撲を始め、アマチュアで優秀な成績を上げ、力士経験2年足らずで現在幕下で活躍中。

今日はこの手計兄弟とご両親を含めた「手計家」を紹介する。

まずは兄・琴勝峰。
埼玉栄高校へ進学し、同級生には納谷(現・王鵬)と塚原(春日野・幕下)がいた。
アマチュア時代、団体戦では実績を残したが、個人戦では優勝経験が無いとのこと。
現・琴ノ若が柏市相撲スポーツ少年団の先輩にあたり、小学生時代から部屋に誘われていたことから高校3年の在学中に、佐渡ヶ嶽部屋に入門(2017年11月場所)
幕下には(初土俵を含めて)所要6場所での到達。
そこから十両へは、その翌年(2019年)の九州場所と順調に歩を進めた。
その十両を3場所で通過。幕内へ上がるが、2021年初場所2勝13敗、翌春場所には右足のケガで途中休場するなどして、十両陥落。
再起し、十両優勝を確実な実績に再入幕後(2022年春場所)現在に至る。

突き押し、四つ相撲のどちらかに絞ることは考えず、「押しても組んでも、自分から攻めていきたい。その時の流れを大事にしたい。両方を磨いていけたら」と”二刀流”を宣言し、上位を目論む。

続いて、弟・琴手計。
去年初場所初土俵後、3月・5月と序ノ口・序二段優勝、三段目を2場所で通過。
幕下に至っても、今年3月(春場所)は3勝4敗と負け越したものの、今場所(5月)は東23枚目で4勝3敗だった。右四つ・寄りが得意の19歳である。

さて、今度はご両親。
母親は韓国出身の方だそうである。なので、琴勝峰・琴手計兄弟は日本と韓国のハーフになる。

そして父親は、元ボディビルダーだそうです。
2017年の千葉県の大会では上位に入賞したこともあるとか。

このご両親2人で、千葉県柏市(柏駅近くで)居酒屋を経営されてるそうです。
「達麿(だるま)」という店名で、毎日地元の市場から新鮮な魚介類を入荷した料理が美味しいとの評判で、創業50年以上も続いている柏界隈でも有名な居酒屋だとわかりました。

https://tabelog.com/chiba/A1203/A120301/12016384/

本題に戻る。
琴勝峰(23歳)、琴手計(19歳)と前途は洋々だ。
角界の看板にもなり得る可能性を秘めた2人には、質量ともに十分な稽古と経験を積み重ね、自信と実力を養ってほしい。次代のホープなのだから。

噂の力士 翔猿と宇良

勝っても負けても元気をくれる。
どんな技を繰り出すのかわからない。
相撲が楽しい。

この言葉があてはまる現役幕内力士と言ったら、翔猿と宇良か。

夏場所の相撲から(2人の直接対決を含む)持ち味の出た取組を3番集めてみた。

まずは
5日目・翔猿-貴景勝

激しい突っ張り合いから、翔猿が左差し右上手投げ・外掛け・掛け投げの要領で、翔猿は上手投げ、貴景勝すくい投げの打ち合いになったが、貴景勝に軍配。物言いがついたが「貴景勝の体が先に落ちていて」軍配差し違えで翔猿の勝ち。
土俵際の投げの打ち合いで、翔猿は土俵下へぐるりと一回転。前日(4日目)照ノ富士戦で痛めた右肩に施したテーピングもちぎれていたが、肩で息をしながら勝ち名乗りを受けた。

11日目・宇良-錦富士

錦富士、立ち合いから左差し一気に寄る。堪える宇良、左四つがっぷりに持ち込む!
錦富士が仕掛け、出し投げを連発して宇良を崩して寄る。土俵際で宇良が捨て身のとったりが決まった。腰をくねらせながら宇良は曲芸(アクロバット)を見せてくれた。

12日目・翔猿-宇良(両者の直接対決)

両者しばしの(変化を交えて)突き合い。翔猿いなすも局面変わらず。
両雄見合う中、宇良が低い姿勢になって相手の胸に頭をつけ、反るようにしてひねり倒した。
25年ぶり決まり手の「ずぶねり」さく裂!言わば曲芸師同士の対決は宇良に軍配!

(番外編 今年初場所9日目・宇良-錦富士)

https://www.youtube.com/watch?v=ORQ0wxCgAoE

この一番も記憶に新しく、かき消されることはない。
見よ、宇良のまるで何かを念じるかのような手の動きを。

身長175cm程度、体重130~140㎏ぐらいで幕内上位で活躍することはこのぐらいしないと通用しない・生きていけないと体現してくれているのか。

(相撲の)スピード
技の種類・(繰り出す)タイミングをもってのキレ
勝敗直後のパフォーマンス

翔猿と宇良、年齢・身長・体重に関わらずに行われる無差別で戦う相撲の奥深さを具現してくれる2力士である。

翔猿関と一緒に体操を↓↓↓


誇らしい8勝7敗

 夏場所(5月)前の貴景勝の立ち位置・状況

大関在位23場所目。
綱獲りから一変、慢性的な膝や首などの痛みとの戦い、6度目のカド番で迎えた大関。
四股名(下の名前を)光信(みつのぶ)から貴信(たかのぶ・本名)に変更。

迎えた夏場所。
本来の押し相撲(自分のペースだと)危なげない相撲や、立ち合い少し変化して(相手の)間合いを崩したりなどで、前半戦を6勝2敗で折り返した。

しかし、(現状は)相撲を取るのがやっとなのか、取組が終わったあとの土俵を降りる時(一段一段そっと降りていく・時には躓きそうになるなど)の仕草には、満身創痍感が嫌でもわかった(伝わってきた)

9日目以降は苦闘が露骨となる。
上位陣(三役)、(その時点での)成績優秀者との避けられない対戦が続いたからだ。

四つ相撲になったら太刀打ちできず、勝った2番は機を見ての引き技(大栄翔戦)、立ち合い当たってすぐ左(横)に動いての送り出し(明生戦)でなんとかかど番を乗り越えた。

八角理事長は「見られた相撲じゃないけど…」などとコメントしたそうだが、彼(貴景勝)は、現状の持っているもの全てを出したのではないか。なんとしても勝ち星を8つ掴み取るんだ、大関を守り来場所につなげるんだという思いだけで夏場所に臨んだと思われる。

令和五年五月場所 西大関 貴景勝貴信 常盤山部屋 8勝7敗

(一部相撲ファンを除いた)世間は「大関」という地位・肩書に対して、(否応なしに)勝ち星・相撲内容を求める。冷たいものだ。
慢性的なケガや痛み、諸事情なんて見ない・知らない・わかってない。

それに対して貴景勝は、どんな時も変わらない。
⒈ いつも支えてくれる周囲の人達への感謝の気持ち
⒉ 相撲に対する謙虚な姿勢 稽古・(食事面を含めた)私生活・体のケア
⒊ 負けた相撲に対しては「負けたのは弱いからです」と全てを自らに抱え込み、一切の言い訳をしない。                

貴景勝だって、26歳の一人の若者である。
このような素晴らしい言動や心構えは、なかなか出てくるものではない。

家庭(所帯)だって持っている。
美しい妻・かわいい子供の存在は、何より励みになっているだろう。

来場所(名古屋場所)は霧島(霧馬山)が昇格して、大関2人体制になる。

貴景勝は「貴景勝式」を貫きつつ、突き押し相撲に更なる磨きをかけ、霧島に対して
・大関の地位を守り抜くのはこれだけ大変なんだ
・これだけの重圧と戦わなければいけないんだ
というような大関23場所で培った経験の厚みを伝承していくような存在でもあってほしい。

7月の名古屋場所は、丸一か月後の来月9日に初日を迎える。
まずはその時まで、痛めている膝や首のケアをしっかりと行い、状態を上げつつ調整を進めてほしい。 楽しみにしている。



金峰山、初の上位挑戦で得た経験と財産

 金峰山晴樹 5月場所番付・東前頭5枚目 25歳 木瀬部屋

ドルジこと(元横綱・朝青龍)の紹介で、来日。日本の高校に編入学、「相撲取り」として花開き、「関取」にまで登り詰め自己最高位で迎えた夏場所は、金峰山にとっての初の幕内上位挑戦だった。少しばかり振り返る。

~三役力士と1勝3敗~

3敗
7日目・照ノ富士戦 初の横綱挑戦、初の結びで取る力士としての栄誉を感じながら、迎えた一番は、照ノ富士が強い立ち合いからの右を深く差し、金峰山の左がバンザイする形になり、なすがまま。じわじわと寄り追い詰め、最後は叩きつける感じの上手投げで照ノ富士の勝ち。初の横綱挑戦は経験と格の違いをまざまざと見せつけられる結果で終わった。

12日目・正代(小結)戦 復調の気配が漂う感のある元大関戦。
立ち合いはやや金峰山の方が前で立ったが、正代が左おっつけから体を入れ替え一気に寄り切り。矢継ぎ早に展開を主導し(金峰山に)考える隙、挽回する時間を与えなかった。幕内上位で取り続ける上で必要な要素のひとつ、スピード決着の重要性を教えられた。

13日目・琴ノ若(小結)戦 右差し・左上手の琴ノ若がしっかりと腰を落としながら、金峰山に圧力をかける感じで丁寧に寄り切った。大型力士に対するいいお手本になるようない一番だったのかもしれない。(金峰山も客観視できたろう)

1勝
10日目・貴景勝戦 慢性化している膝の痛みがかなり悪い中での出場。カド番を回避するのが精一杯だったのかもしれない(貴景勝)立ち合い直後に左にいなして、そこにつけ込む形で押し出して金峰山の勝ち。これに関しては、(ひざの)痛みを抱え万全の状態で戦えない貴景勝が哀れに感じた。もちろん勝利したのは見事だったが。

~三役力士が教えてくれたこと~

・経験(番数)潜り抜けてきた修羅場の数・実力
・スピード決着の重要性
・腰を落としながら、圧力をかけて丁寧に寄る

初の三役挑戦、(今後の)課題と基本の大切さを取組を通して伝えてくれたように思います。
力士(プロ)として、初めての負け越しを喫しましたが(4勝11敗)この壁を乗り越えて、体格同様、スケールの大きい力士になって上位に戻り、活躍する日を心待ちにしたい。

金峰山のサイン色紙です↓↓↓

茨城・阿見町に部屋を構えて早や1年

 元横綱・稀勢の里が部屋を興し、茨城県阿見町に新部屋が完成して一年が経った。

部屋は約6千平方メートルもの広大な土地に新築。稽古場は効率性を重視して通常1面の土俵を2面つくり、屋外にはバスケットボールができるスペースを設けた。既存の相撲部屋の常識にとらわれないこだわりを感じさせ、異例の広い敷地を生かしての地域交流や相撲普及など幅広い構想があるという。
(日本経済新聞より)ちょうど一年前の記事です。

元関脇・嘉風の中村親方の内弟子を含めて、現在総勢19人を数える二所ノ関部屋。

有望株・関取が手に届きそうな力士もいる(生え抜きで)

大の里・・・2年連続アマチュア横綱の看板を引っさげ、幕下10枚目格で5月場所デビューしたばかりの23歳。先場所6勝を上げ、来場所は十両目前に番付されることが予想される。
初土俵の場所から四股名を与えられるほどの期待の逸材。
「大の里」とは、大正から昭和初期に活躍した青森出身の大関で、164センチの小兵で力が強く「相撲の神様」の異名を取った力士だそうである。

他にも龍王・宮城と続くが、尾車部屋からの移籍組。高橋や嘉陽も日体大相撲部からの入門なので、(日体大出身の)中村親方が独立するまでの在籍かもしれない。

花房(はなふさ・三段目)、藤宗(ふじそう・序ノ口)このあたりがアマチュア経験・実績を上げ入門した生粋の「二所ノ関戦士」か。

広大な土地に大きな部屋を構え、力士達は伸び伸びと稽古を重ね、相撲に精進した生活を送る。都心・東京近郊に多く所在する相撲部屋の概念に逆行するかのような新機軸を打ち出して早や一年。

早稲田大学大学院で、弟子の育成法や部屋の運営手法などを多面的に学んだ二所ノ関親方の相撲理論・哲学はこれから一層花開く。

「稀勢の里」名前入りの巾着袋はいかがですか↓↓↓