元大関・清國の波瀾万丈

~193㎝・105㎏の落語家~

 元大関・清國には落語家の息子がいるそうだ。

ネットニュースの見出しから
父は大関清国の林家木りん、真打ち昇進披露宴で「大谷選手と同じ193cm。年俸は全く違います」のオチ

東京の落語家の真打ち昇進パーティーは、都心のホテルなどで行われるのが常。両国国技館の地下宴会場を会場に選んだ理由は、木りんの父・佐藤忠雄氏が元大関清國(7代目伊勢ケ浜親方)で、弟子の力士たち、大相撲関係者に囲まれて育ったからだった。
師匠の木久扇は、木りんの入門の経緯を語った。 「木りん君は8番目のお弟子さんでして、入門時、落語に対する純粋な気持ちはなく、お友達のお父さんに『預かってくれ』と言われた。なぜ、土俵から高座に移るのか。すぐ辞めると思った。いつ辞めるんだと思ったら、ずっといる。(一食に)ご飯7杯に生卵5個、しゃけの切り身が3切れ! (食費がかかると)かみさんが震えあがっちゃって、『来ないでもらうことはできないの』(と言われた)
と笑いあふれる真打ち昇進パーティーのエピソード数々。

清國??
(幕内)優勝は新大関で迎えた1969年(昭和44年)の1回のみだが、大関を28場所勤め上げ、金星7個・三賞7回受賞した元大関、第7代伊勢ヶ濱である。
1974年1月場所中に引退。年寄・楯山襲名のあと、1977年3月、先代(元横綱・照國)の急死により、伊勢ヶ濱を引き継いだ。

親方時代は様々な災難に遭遇した。前妻と長男、長女を日航ジャンボ機墜落事故で失い、その後再婚して二男・嘉由生(現在の林家木りん)をもうけるも、現妻を追い出そうとした親方の近親者が週刊誌に捏造記事を売り、現妻の名誉を傷付け、さらに文京区白山の土地5億円を詐欺により詐取されたりした。後に詐欺を行った者が逮捕され、現妻の名誉も回復した。
2004年9月、週刊誌上で甥の玉乃島(現・放駒親方)を中心とした現役力士の無気力相撲を批判したことで役員待遇を解かれるなど不祥事が続いた(Wikipediaより)

現在は、2007年まで所在していた伊勢ケ濱部屋跡地で(台東区寿)「相撲茶屋 清國」として営業しているようなのですが・・・??そこからの詳細がいまいちわかりませんでした。

清國の現役時代をリアルタイムで知らない私としては、何としてもこの映像の印象が焼き付いている。

この7代・伊勢ヶ濱(清國)が育てた関取としては
黒瀬川・神幸・斉須・若瀬川・白岩など(あくまで主に)

現在の伊勢ヶ濱の後継は、清國自ら指名した元横綱・旭富士。
横綱・照ノ富士を筆頭に関取5人を有する相撲界の一大勢力を率いる親方である。

お勉強しましょう!↓↓↓


横綱に勝つということ 感涙にむせぶ琴勇輝

 現在の「荒磯親方」こと元関脇・琴勇輝。彼もまた人情味あふれる力士だった。
気っ風の良さを現すかのような突き押し一本の相撲。
立ち合い不成立時の深く丁寧な一礼は、先日に投稿した豊真将を彷彿とさせる。

香川県小豆郡小豆島町出身。
高校を1年で中退。かつて見学したことのある佐渡ヶ嶽部屋に入門する。
新弟子時代から稽古熱心さに定評があり、出世は早かった。序ノ口は1場所、序二段と三段目は各2場所で通過。幕下通過は多少時間を要して13場所。
2011年9月場所で念願の新十両昇進を果たす。そこからじわじわと番付を更に上げた。

琴勇輝のピーク・キャリアハイは2016年にある。唯一の三賞受賞と金星獲得、最高位の関脇に登り詰めたのは、この2016年だ。
初金星を挙げた感涙にむせぶ姿が目に焼き付いて離れない。この年の春場所3日目の日馬富士戦である。「ホゥッ!」付きでどうぞ!

相撲は見事!文句無し!
そのあとの勝ち名乗り(懸賞金受け取り)・土俵下でのふるまい・殊勲インタビュー(お世話になった人たちへの感謝の言葉)・(偶然にもこの日の正面解説だった)師匠・佐渡ヶ嶽親方からの労いの言葉、この一連の情景は本当に感動した。毎日500回の腕立て伏せと鉄砲を欠かさず継続してきた努力の結晶だった。

この2016年を境に足(特に膝)のケガに苦しむ。十両へ陥落する度に幕内へ這い上がってきたが、2021年3月場所限りで引退。

断髪式後「初心に戻りたい」「ここでリセットして新しい幕開け」との理由で丸刈りにしたエピソードは有名。
中学時代の学業の優秀さも手伝ってるのか、解説が上手くて明瞭であることも知られる。

私自身香川県(高松)に転勤を経験した過去があり、勝手に親近感を覚え、贔屓に(推し)にしていた力士だった。親方としての今後ももちろん応援している。

「ホゥッ!!」↓↓↓

森永賞は秋場所も力士と観客の味方です!

懸賞とは・・・
幕内の取組で勝利した側の力士に授与される賞金。協賛企業や団体が取組を指定して提供する(手取り3万円程度)

主な懸賞提供企業として
永谷園、大関、伯方塩業(伯方の塩)、サンアグロ(千代田化成、丸ツバメ)、三光丸、クリナップ、高須クリニック、タマホーム、財宝、フローラ(HB-101、ニオイノンノ)サトウ製薬(ユンケル)伊藤園(お~いお茶)や(※5月場所で見かけた珍しいものとして)フジテレビお昼の番組・ぽかぽかなど(このフジテレビに関しては坂上忍司会MCの「バイキング」も懸賞を出してましたね)

高須クリニックは、一番(いち取組に対して)多い時に4~5本懸ける時があったと思う。
「yes!高須クリニック」「yes!yes!高須クリニック」「yes!yes!yes!高須クリニック」
現地で見ていると「yes!」のアナウンスが1個増えていく度に「ウォー」と歓声が増していくのは気のせいか。高須院長が砂かぶりのいい席で観戦に訪れているのをよく見かける。

話が横に逸れたが、この相撲の取組にかけられる懸賞でかなり以前・昔からあるのが森永製菓が協賛している森永賞。(東京場所限定)
1951年(昭和26年)1月場所から出してるらしい。
現在のように(場内の)ファン投票により懸賞を懸ける一番を決めるようになったのはその翌年の1952年1月場所からである。

参加方法・投票の仕方は、森永ミルクキャラメルやチョコレート等の森永製品の空き箱に当日の幕内の注目取組を一番選んで投票する。締切時間があって、15:30(千秋楽は15:00)まで受け付けている。投票場所は国技館1階廊下の片隅に投票箱・スペースがある(いつも定位置)
投票した観客に抽選で記念品(主に森永製品の詰め合わせ)が当たるかもしれない!
子供の頃は何回かチョコボールの空き箱(口ばしのあたり)に書いて投票をした記憶が数回ある。大人になってからは(ここウン十年、投票場所を見ては)「あぁ、あるなぁ」程度で通り過ぎる・スルー程度だ。

今度の秋場所、1回現地で観戦するので、久しぶりに投票してみようかな。

回る回る、「森永賞」懸賞旗が回る。

投票に参加しよう↓↓↓



所作が美しく、真面目で温厚 豊真将

 元小結・豊真将 現在の立田川親方である。
所作が丁寧で清々しく、真面目で温厚(引退後の)時折呼ばれる解説からも、そういう要素が伝わり感じ取れる。力士としてはケガや病気に大いに苦しめられた土俵人生といったところか。その経緯を振り返る。

豊真将 紀行こと山本 洋介は1981年4月16日、山口県下関市(旧・豊浦町)で生まれた。相撲との出会いは地元の中学校の校庭に立派な土俵小屋があり、そこで鍛えられたのがきっかけ(3つ下の後輩に現在の山科親方・豊響がいたそうだ)
高校は埼玉栄高校へ相撲留学。全国大会に出場した。学業にも精を出し成績優秀(上位だったとか)その後、日大に進学するも蜂窩織炎が悪化、1年で相撲部を退部。しばらく経ったのちに大学も中退。相撲部で同期だった里山(現在の年寄・千賀ノ浦)らのプロ入りに触発され、バイト先の社長の紹介で開設されたばかりの錣山部屋に入門した。時に22歳11か月。

(退部後)約3年のブランクがあるせいか、入門当初の豊真将に対する錣山の印象は良いものではなかった。ひたむきに基礎からみっちりと稽古を積み、徐々に本来の力を取り戻した。
新十両へは初土俵から12場所目。その翌々場所には新入幕入りを勝ち取って見せた。

三賞を受賞し、順調に出世していく中で訪れた初めての試練は、2008年7月場所後の左手首の手術。術後の経過が思わしくなく、翌9月場所は自身初の休場。後から振り返れば、この辺からケガや病気に苦しめられることが多くなる。
2010年5月場所で東前頭2枚目で迎えた場所前に首を痛め、初日から6連敗で7日目から休場。復帰後、番付を小結まで上昇させ復活をアピールするも、左肩腱板断裂により2013年1月場所から2場所連続休場。そこから番付を前頭4枚目まで再上昇させてみせたが今度は虫垂炎の手術を2014年1月場所前に受け、この場所全休。翌場所十両陥落も見事14勝1敗で再復活を遂げた。

しかし、相撲の神様はどこまでも豊真将に残虐だった。
同年7月場所5日目・日馬富士戦で右膝前十字靱帯損傷など右脚を4カ所も痛める重傷を負い、全治2ヶ月の診断。右の膝から太ももが左の倍近くも腫れ上がって自力で歩くこともままならないほど。

皮肉にもこの取組が現役最後の一番となった。
回復状況が思わしくなく、翌2015年1月場所は幕下転落。初日から休場となったあと、6日目に引退を発表。年寄・立田川を襲名した。

引退後は、自身が所属していた錣山部屋の部屋付き親方となり、阿炎に次ぐ関取を誕生させるべく、元寺尾の右腕となり指導に邁進する日々だ。
「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と豊真将の引退会見時に錣山親方は称賛していたそうで、相撲や取り口だけでなく、所作や礼儀といった人間性の育成にも期待をしたい親方である。

引退会見の動画を見つけました。
実直さあふれる素晴らしい会見インタビューです。

豊真将と錣山部屋と↓↓↓

宮城野人気力士(伯桜鵬と炎鵬)休場の可能性高し

  伯桜鵬が休場の可能性があるらしい。5月の夏場所から左肩の広範囲にテーピングを施しているが、本人は「状態はあまり良くない。どうなるか分からない」と話しているようだ。夏巡業も休場していて、治療・回復を優先したものだと思われる。

新入幕で迎えた先場所、見事11勝を上げて敢闘賞と技能賞のダブル受賞。千秋楽まで優勝争いに加わり、場所を大いに盛り上げてくれた。

「左肩関節亜脱臼」というのが現状の正式病名らしい。「亜」が付くのと付かない脱臼は何が違うのか、千代の富士の脱臼とはどういう違いがあるのか、専門的に掘り下げた事はわからないが、私はこの際手術を受けて、時間がかかり(番付後退を余儀なくされても)しっかり・きっちり治した方がいいと思う派である。手術をする・しないの次元で慎重に熟慮を重ねているようだが、それは表向きのコメントとして、もうある程度、計画に対して踏み出しているのかもしれない。

繰り返すようだが、先場所の活躍は目覚ましかった。109年ぶりの偉業成るか!?のところまでホントに行きましたからね。千秋楽の豊昇龍戦。最後の塩からの睨みあいからスゴかった(◎_◎;)

~炎鵬、今場所も休場へ~

もう一人の宮城野部屋の人気力士・炎鵬は秋場所も全休の意向を示した(こちらは決定)
夏場所10日目から頸部椎間板ヘルニアで休場が続いてる。先場所から幕下へ転落も「どこまで落ちても土俵に必ず戻りたい。その一心でやっている」「首のけがの後遺症で筋力が落ちている。体調が100%になるまでは出場しない」と話しているそうだ。

小兵で軽量というと、首の痛みと切り離すことができないのか。今まで受け続けてきた衝撃・ダメージは相当なものをこうむっているのではないか。最近では元石浦の間垣親方が同じような痛み・似たような病名で苦労してきた。大関・貴景勝も「首の痛み」という部分では、同様の括りに入る。

伯桜鵬20歳・炎鵬28歳、これから先の力士人生・現役引退したあとの人生の方がはるかに長い。親方(白鵬)には長ーい目で考えた英断を下してほしい。

回復を待ちましょう↓↓↓